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 四月に入り、職場では新しい顔が増えた他の店舗から異動してきた従業員もいれば、去っていった者もいる。角善堂書店新宿店でも店長が交代した。新しく店長に就いたのは、まりあよりもベテランの角田かくだという女性だった。これまでの少々適当な感じのある前の店長よりも、きちんと仕事をチェックしていく感じなので、真面目なまりあとしてはやりやすいと最初は思った。  角田が店長になった時の挨拶でのことだった。 「ええ、この度角善堂書店新宿店の店長になりました角田紀子のりこと申します。大型店舗の店長に就くのは初めてなので、右も左も分かりませんので、いろいろ教えてください」 そう挨拶した後に、 「この店舗では多少ルーズになっていた部分もあったと聞いてますので、これからはそう言った部分を引き締めていきたいと思いますので、その点はご協力をお願いします」  と威厳を込めて言った。  浅倉さんは早速、新しい店長に嫌悪感を示した。 「なんかさあ、今度の店長は堅苦しいよね。本よりも帳簿を眺める時間の方が多いって感じがして、合わないわ」 「うーん、いなくなった人のことを悪く言うのはアレだけど、前の店長はちょっと部下の使い方が荒かったから、その分の仕事やってくれるのはいいよ」  まりあは何とかフォローしたかったが、浅倉さんにはやはり違和感があるのか、 「噂で聞いたんだけど、あの人、前の店で店員とバイトが付き合ってるって噂聞いてから問い詰めて、バイトを辞めさせたんだって。河合さんもバイト先の相手と結婚してた身だから、気を付けなよ」  と噂を持ち出して、角田のことを否定してかかる。 「何で気を付けることがあるの? 私とっくに離婚してるから大丈夫だって」 「いやいや、二度あることは三度あるって言うからね。もし、バイト君と付き合ったらって思うと……」  まりあはヒヤッとした。 (もしかして、浅倉さんは私が篠宮君を振ったことを知ってるんじゃないの?)  疑う気持ちを抱きながら、 「いやいやいや、そんなことは二百パーセントないから!」  と気色ばんだ。浅倉さんは 「何、ムキになってんの?」  と言いながら、まりあから離れて品出しを始めた。  ゴールデンウィーク休みに入る前、まりあは仕事からの帰り際、篠宮に 「河合さん、ちょっとお話したいことがあります」  と言われて、止められた。今度は何だろうと思った。また何か厄介なことになるのではと警戒し、 「何かな?」  としか話さなかった。 「これ読んでもらえますか」  篠宮が差し出したのは白くて細長い封書だった。まりあは、未練を断ち切るために突き返そうかとも思ったが、 (それは失礼に当たる)  と思い、受け取ることにした。 「ほら、店長に見つかったら、怒られるよ。早く行きな」  そう言うと、篠宮をフロアへ半ば強引に送り出すと、手紙をパンツスーツのポケットにしまった。  まりあは家に帰って子供達を寝かせると、篠宮から渡された手紙を読もうと思った。通勤鞄を手探りで探し、白い封筒を見つけ出した。鞄に雑に入れていたので、ところどころ折れ曲がっていたのだが、気にせずに封を開けた。封筒の中には、手書きの手紙が1枚だけ入っていた。下の方には携帯電話の番号とメールアドレスが書かれていた。それを見た後で、じっくりと手紙の内容を吟味する。 前略 河合まりあ様  先日は不躾なことを言ってしまって、大変失礼しました。涙を流しておられたのを見た時に、僕はとんでもないことを言ってしまったのだとわが身を反省しました。あなたのことを微塵も考えず、自分の思いを一方的に伝えることで踏ん切りがつくだろうと暴走してしまいました。重ねてお詫び申し上げます。  ですが、僕はどうしてもあなたへの想いを捨て去ることができませんでした。あなたはこの前、「私には魅力がないから他の女性を探しなさい」と言われました。しかし、僕にとってはあなた以上に魅力のある人はいません。あなたの魅力を挙げれば、キリがありません。一つはひとり親で2人のお子さんを育てていること、もう一つはそのような厳しい状況にもかかわらず、仕事をバッチリとこなしていること、さらに言うと、僕だけでなく誰にでも優しく母のように接してくれいること、他にもありますが、これ以上は挙げるのをやめます。  ここまで魅力的な人に出会ったのは初めてです。こんな若輩者で、あなたと釣り合うのかどうかは分かりませんが、もう一度言わせてください。僕はあなたのことを愛しています。もしよければ、僕とお食事に行きませんか? もし、この誘いが煩わしいなら、この手紙を破って捨ててください。もし、誘いを受けていただけるのならば、下に書いてある電話番号か、メールアドレスまで返事をお願いします。無理にとは言いません、僕の感情とかは気にしないでください。 では、お体に気をつけて、お互いに仕事を頑張っていきましょう。 草々 令和〇年4月〇日               篠宮 亮 090-○○○○-×××× ○○○○@×××.com  手紙を読んだまりあは、混乱した。彼がどうしてまりあのことを愛しているのかが分からなかった。 (私が目の保養とか言って、一方的に好きになっているのとはわけが違うんだもんね)  そう思いながら、彼女はこの手紙をどう扱おうかを考えた。彼の思いの深さを考えたら、無下に捨てることは無礼に当たると思った。 (何せ、篠宮君にはこれからがあるからね、会って直接断ろう)  そう決断したら、彼女の行動は早かった。すぐに食事に行く旨のメールを送り、 「一回きりです」  という断りを入れて送った。  このメールがターニングポイントになるとは、このときの彼女は知らなかった。 つづく

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