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 三日間の臨時休校と共に、保護者に対する説明会が開かれた。  『水無瀬みなせそらさんが音楽室で自殺しました』  出席した私の母によると、学校からの説明はそれだけで、後の小一時間は騒ぎに対する謝罪の言葉がつらつらと述べられたらしい。要約すると、 『たかが自殺で大騒ぎしてしまい申し訳なかったです』  ということだ。  死後の世界が初めて観測されて以降、自殺者の数は指数関数的に増加し、今では一日に数万もの人間が、世界のどこかで自ら命を絶っている。日本においてもそれは同様で、どこの市町村でも、毎日のように人が自殺する。世界の裏側で幼い子供が餓死しても、悲しくもなんともないように、例え顔見知りの誰かが自殺したところで、私たちはほとんど何も感じなかった。『向こうに行ったんだな』と、少し感慨深くなる程度だろうか。むしろ世間では、つまらない芸能人の不倫だとか政治家の賄賂だとかの方が、よっぽど深刻な問題として認識されている。  死とは、幸せな場所に飛び立つこと。  小学校のとき、道徳の時間で習った台詞。  最近では、『死』を別の言葉に置き換えた方が良いという意見もある。『障害者』が『障がい者』に変わったように、『死』も、『出発』や『旅立ち』、あるいは『回帰』や『祝福』などと言い換えられるのかもしれない。 「アメリカのアッタマ・イイー・ユニバーシティの歴史的な発見以降、殺人事件の数は劇的に減少しました。理由を説明できる人?」  社会担当の南先生が訊くと、三人の生徒が手を上げた。そのうちの一人が先生に名前を呼ばれ、説明し始める。 「死がまだ恐怖の対象であった五十年前までは、人を殺すことは、その人に対する憎しみの、最も強力で効果的な表現方法でした。殺人とは、人間の存在そのものを消し去る行為であったからです。しかし、死後の世界が観測され、そこが安寧で幸福な場所であると判明した現代では、殺人は『相手に幸福をもたらす行為』へと成り下がってしまいました。『死は幸せな場所に飛び立つこと』であるからです。現代の犯罪は、憎しみの表現方法としての価値を失った殺人から、生きている人間に苦痛を与えるための強姦や強盗へとシフトしているのではないでしょうか」 「いい答案だね」  南先生はぽんぽんと拍手する。「現代社会では、殺人罪よりも、強姦や強盗罪の方が、より重い罪であると判断される。柳くんの言ってくれた通り、生きている人間に対する苦痛が最も重罪であるからだよ。殺して、死んでしまえば、それはもはや幸福を与えたことになってしまうからね」  授業は淡々と進んでいき、教科書のページが一斉に捲られる。  ふと、空を見る。空はいなかった。空の座席はもうなくなっていた。空の後ろに座っていた百瀬さんが、それ以降の座席の人と一緒に一つずつ前に詰めて、人一人分の空白は容易く埋められていた。 「ですが、同時に新しい問題が生じました。殺人事件の被害者が減った一方で、自殺者の数が急激に増加したのです。……ご存知の通り、先日、この学校でも、私たちの仲間であった水無瀬空さんが自殺しました」南先生は穏やかな口調で言った。「しかし、私は思うのです……これは本当に痛ましいことなのでしょうか? 近年の素晴らしい発見により、死はもはや死ではなくなりました。死は、永遠に続く人生の、一つの通過点となりました。水無瀬さんは死んだ? いいえ、これは死ではありません。水無瀬さんは死んでなんかいません。これは、旅立ちであり、祝福です。彼女は、私たちより一足早く、大いなる幸福を手に……?」  南先生の演説が、空虚な教室に響き渡る。けど……それは壊れたラジオのように、突然止まった。  天井にまっすぐ、手を伸ばしている生徒がいたからだ。凛だった。 「……八代さん、何か質問ですか?」 「はい」凛は立ち上がる。「話を遮ってしまって、すいません……。私、その、ずっと考えていたのですが……」 「なんですか?」話を中断されたことが不快なのか、南先生は苛立ちを隠しきれない口調で凛を急かした。 「空の死は、本当に自殺だったのですか?」 「…………は?」  目を見開き、呆れた声色で聞き返す南先生。「そのように、学校から説明があったはずでは?」  先生の言葉を無視して、凛は話し始める。 「私は空と友達だったので知ってますけど、空は十八歳の誕生日に『生存選択の権利』で死ぬことを決めていました。それなのに、誕生日の前夜に、空は学校で自殺した……。おかしくないですか? 空はなぜ、わざわざ学校で死ぬことを選んだのでしょうか。次の日を待っていれば、空の家族は政府から遺族手当を受け取ることができたのに」 「……どうしても早く死にたかったのではないですかね? 政府によって殺されるのではなく、自分の手で、自分の命を終えたかったのかもしれませんよ」 「もう一つあります」凛は自分に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。「これは公にされていないみたいですが、私が空の屍体を見た時、空の首は切断されていました。自殺をするのに、わざわざ自分の首を切断する人がいますか? また、それはどうやったら可能なのでしょうか? ノコギリを使ったとしても、普通なら首を最後まで切断する前に、出血で死んでしまうと思うのですが」 「それは……」  戸惑う南先生に、クラスの副委員長である上条くんが追い討ちをかける。 「凛と一緒で、空のことは俺も不思議に思ってました。職員室で先生たちが話していたのをちょっと盗み聞きしたのですが、切断された空の頭は、まだ見つかっていないみたいですね」上条くんの告白に、教室がざわつき始める。「仮に空が自分の首を切って自殺したのなら、胴体の近くに生首が落ちてないとおかしいでしょ? それがないってことは、音楽室の中にいた別の誰かが、空の首を教室の外に待ち去ったとしか考えられない。常識で考えて、そいつが空を殺したってことになりますよね?」 「君たちは何を言っている!」南先生は怒号を上げる。「いいですか、水無瀬さんは自殺したのです! ……これは本来、君たちに教えるべきではないですが、水無瀬さんの屍体が見つかった時、音楽室のドアには鍵がかかっていました。その鍵はどこにあったと思います? 屍体が身にまとっていた、ブレザーのポケットです! これがどういう意味だか分かりますか? あの時、音楽室に這入ることができたのは、水無瀬さんただ一人ということです。仮に上条くんの言う通り、水無瀬さんを殺し、その首を持ち去った人物がいたとしましょう。その誰かは、いかにして音楽室の外に出たのでしょうか? あるいは、どうやって部屋の外側から、鍵を使わずにドアを施錠できたのでしょうか?」  不可能だ。私も南先生と同感だった。  そもそも、音楽室の鍵に合鍵があるとは思えないし、例えあったとしても、ドアを出てすぐそこの廊下には、忘れ物を取りに来ていた早乙女くんがいた。彼に気づかれずに、空の頭を持ち去って音楽室を後にできたとは考えられない。  では、窓からは……? いや、それもだめだ。音楽室は三階の東側にある。暗闇の中、校舎の壁を伝いながら二階や屋上に移動できたとは考えにくい。 「でも、自殺だったら、頭はどうなるんですか!? 生首に羽でも生えて、自分でどっかに飛んでいったとでも言うんですか? それとも、本当はまだ何か隠してるんじゃないですか?」 「黙りなさい! 私は何も隠してなどいない! 水無瀬空は死んだんだ……。幸福な世界に旅立った。それで、この話は終わりです」  他殺であるとすれば犯人の存在が否定されて、自殺であるとすれば消えた首の存在が否定される。 「空……どうして、死んだの?」  凛は嘆いた。  教室にカオスが満ちる。誰もが、空の死を認め、混乱し、恐怖は伝染した。感じたことのない、あるいは忘却していた、絶対的で不可避の存在……。  死が、ここに舞い戻った。  ✳︎ 「姉は殺人小説を崇拝していました。ミステリ、と、姉は呼んでいましたが」  放課後。  私と柚の携帯に、空のメールアドレスからメッセージが届いた。『音楽室に来てください』件名はなかった。  立ち入り禁止のテープを潜って中に這入ると、黒いロングコートを羽織った青年が割れた窓の側に佇んでいた。「水無瀬りく、名探偵です。水無瀬空は僕の姉でした」青年は名乗った。 「君は何を知っているの?」  私が問うと、陸は「エヴリスィン」と応えた。「……ああ、失礼。ご存知かどうかは知りませんが、本来ならば、私はアメリカのアッタマ・イイー・ユニブァアシティに留学中でして、……ああ、もちろん飛び級ですよ。それで、ちょっと英語が出ちゃうのです、無意識に」  照れ隠しなのか、陸は空に似た綺麗な黒髪を指で撫でていた。 「姉が自殺したと聞いたので、急遽日本に駆けつけてきたのです。いろいろと面倒な処理を終えて、やっとこさでここに来ることができました」 「……それで、陸くんはなんで私たちをここに呼んだの?」  柚が訊くと、陸は演技っぽくニヤリと笑った。 「明らかにするためです。姉は、自らがミステリになることを望みました。そして、ミステリとは、謎の提示に次いで、その解決が不可欠です。僕は探偵役として、姉の死の謎を明らかにします。ああ、なんて姉想いの弟なのでしょうか」  ミステリ。推理小説とも呼ばれていたが、どちらも現代においては死語である。  死が死ではなくなり、単なる『意識の移動』と化した今、必然的にミステリの存在価値は失われた。誰も死に対して興味を持たなくなったのだ。恐怖も魅力も神秘性もない、砂浜の砂のように、死はありふれたものとなってしまった。 「フーダニット、ハウダニット、ワイダニット、それぞれを明らかにすることで、姉の死は解決されます。ただ、冗長に語るつもりはありません。僕の研究は佳境を迎えていまして、今すぐにでもアメリカにゲットゥ・バェァッ(get back)したいのが本音です。手短に話しましょう」  陸は細くしなやかな指を、ぴんと天井に向けた。 「まず、フーダニットから。姉は自殺しました。先輩たち二人は、姉の自殺に協力しました。以上です。異論はありますか」  私と柚は黙っていた。陸は満足げに肯いて、言葉を継ぐ。 「では、次はハウダニットです。先輩たちは『首なしゥラァイディア(ライダー)』をご存知ですか?」 「知ってるよ」柚が応えた。「道路にピアノ線が張られていて、そこにバイクでつっこんだライダーの首がはねられた。けれど、首を失ったライダーは走り続け、夜な夜な自分の首を探してバイクで彷徨い続ける、っていう都市伝説でしょ」 「ええ。よくご存知ですね。実は、僕は姉も『首なしゥラァイディアー(ライダー)』と同じように、ピアノ線を利用して首を切断したのだと考えています」  陸は窓辺から数歩だけ進み、血で汚れたグランドピアノの屋根に腰を落とす。 「ここで姉は死にました。さて、床をご覧ください。ピアノの、脚のところです」  言われた通り、しゃがみ込んでピアノの脚と床の設置面を見る。木目調のフローリングに、擦れたような跡が残っていた。それは三本の脚から、全て同じ方向に伸びている。 「フローリングの傷は、窓に向かって伸びていますね。また、ピアノの脚と胴体の境目にも、傷が残っていました」  次に、陸はピアノから離れ、再び割れた窓に目を向けた。 「先生たちの話によると、ドアを壊して音楽室に這入ったとき、窓の鍵はすべて施錠されていたそうです。ご覧の通り、窓硝子は破られていますが……その破片は、窓に外に飛び散り、部屋の内側には、窓の破片はありません」 「窓を割った何かは、教室の外側から中に這入ってきたのではなく、内側から外に飛び出した。そういうことだよね」  私の言葉に、陸は「はい」と肯いた。「加えて、もう一点。窓からピアノまでの距離は、僕の歩幅で三歩程度……約、二・三メートルでしょうか」  実際にグランドピアノと窓との間を何度か行き来しながら、陸は呟いた。 「『首なしゥラァイディアー(ライダー)』で例えると、ゥゥラァイディアー(ライダー)は姉で、バイクはこのピアノでしょうね。姉の生首はここから窓の外に吹っ飛んだ。ライ・カ・ゥロケットゥ、ですね、ハハ」 「何がおもしろいの?」 「別に」不自然なほど端正なその顔から笑みが消えた。「ここで確認すべきものは、もうありません。屋上に行きましょう」  屋上に上がると、陸は東側の校舎の、ちょうど音楽室の真上にあたる場所に向かった。 「ゼェァッゥ・ヒィァァ(That’s here)」  そこは、空が死んだあの夕方、私が立っていた場所だった。 「見てください、フェンスに跡が残っています」  陸が指さしたのは、フェンスの地面に近い箇所だった。十字の部分がやや歪んでいて、擦れたような傷がついている。 「さて、大変長らくお待たせしました。ハウダニットをご説明いたしましょう」妙に改まった口調で、陸は喋り始めた。「まず、先輩のうち一人が、屋上のフェンスにピアノ線の端を巻き付け、三階の音楽室に向かってもう一方の端を垂らします。フェンスのこの場所からピアノ線を垂らすと、下にはちょうど音楽室の窓があります」  空が死んだとき、窓が割れる音は真下から聞こえてきた。 「次に、姉は音楽室の窓から身を乗り出して、屋上から垂らされたピアノ線をキャッチします。その後、ピアノ線を挟んだ状態で窓を施錠し、あらかじめ用意しておいたロープで自分の身体をグランドピアノに縛り、固定します。さらに、首にピアノ線を巻き付け、加えて髪の毛をピアノ線に結びつけることで、頭とピアノ線が離れないようにします。あとは、ピアノ線の端に重りの入った鞄をくくりつけ、鞄を窓に向かって放り投げるだけです。十分な重さの鞄が準備できれば、ピアノ線が窓の外に引っ張られる力によって、あの細い首ならいとも容易く切断されるでしょう」  あの日、私は非力な空の代わりに、空の鞄を三階まで運んだ。とても重くて、肩が痛くなったのを覚えている。 「ピアノから窓の距離は二メートルちょいです、さすがの姉でも全力で投げればどうにかなるでしょう。切断された首は、ピアノ線に結びつけられた髪に引っ張られ、割れた窓の外に飛び出した」  忘れ物を取りに来た早乙女くんが目撃したのは、ピアノ線に巻きついた空の生首だった。しかし、電灯のない校舎の東側では、暗くてピアノ線が見えなかったため、生首だけが宙に浮いているように見えた。 「あとは、屋上にいた人がニッパーか何かでピアノ線を切断し、もう一人が地上で、落ちてきた姉の生首と鞄、それからピアノ線を回収すれば、一応の証拠は隠滅できます。もちろん、それなりに時間のかかる作業でしょうし、誰かに目撃されてしまうリスクがないわけではありません。しかし、姉が死んだ瞬間、窓が割れたことにより、人々の注目は三階の音楽室に集中しました。誰にも気づかれずに屋上を後にし、三階の群衆に溶け込むことは、そう難しくなかったと思います」  陸の推理に間違いはなかった。  弟は優秀だと、空は言ったっけ。たしかにその通りらしい。 「まあ、一つ、気になることがあるとすれば、姉の生首の行方ですかね。まだ見つかっていないということは、お二人のうちのどちらかが隠し持っているのだと思いますが……いかがでしょうか?」  陸の言葉に反応して、柚は胸に抱えた鞄を両手でぎゅっと抱きしめた。「……渡さないよ」 「ああ、まあ、そうですか。姉の生首、自慰行為にでも使うのですか? 好きに活用していただいて結構ですけど、腐らないように注意するといいかもしれないですね」 『私はずっと柚のそばにいるでしょ? 』  あの日の屋上で、空が柚に告げた言葉が蘇る。空は誰よりも優しかった。 「最後はワイダニットですが……これは先程も言った通り、ミステリオタクの姉は、ミステリになりたかったのでしょう。だから、ミステリにおいて最も象徴的なファクターである『密室』あるいは『顔のない屍体』を、自らの死に包含させた。それによって、姉の死は、他殺でも自殺でもない、人間の理解できる範疇を超えた、正体不明の謎となりました。正にそれは、五十年前の、死後の世界が発見される以前の死であり、人々が恐怖し、忌み、嘆いた、死としての価値を取り戻した死……、つまり、ミステリにおける死を、姉はこの世界に復活させたのです」  空が言った『夜明け』とは、死が死としての意味を取り戻した世界、つまり、ミステリが復権した世界。空は、自らの死によって、ミステリを取り戻そうとしたのだ。 「……しかし、姉は僕のように、才能に恵まれていなかった」  なんだろう?  陸から、闇が満ちる。空が、闇に侵食されていく。  日が沈み、夜が始まる。 「どんなに表面を取り繕っても、結局は自殺なのです。特別でもなんでもない、そこらじゅうに溢れかえって、掃いて捨てるほどある、つまらない、しょうもない、ゴミのような自殺の一つに過ぎません。姉の死で世界が何か変わりましたか? ナスィンッッ(nothing)!!! チェンンジドゥッッッ(changed)!!!」  陸の演説は続く。 「僕は変えます、この世界をっ!!! 茜先輩、なぜ生き物は死を嫌うのでしょうか? 痛み、苦痛、それらは、我々を死から遠ざけるために、本能が我々に仕込んだセンサーです。このために、我々は生きて苦しまなくてはいけない。なぜ苦しんでまで、死を遠ざける???? ビッコーーーズッッ! それは、本能は知っているからです。死は、我々が感じ得る苦痛よりも、はるかに辛く耐え難いものであると!!」  陸はぜえぜえと肩で息をする。 「僕はあの論文で、どうしても気に食わない箇所がありました。死は循環であるとか、その辺りはいいでしょう。しかし、科学者たちは、なぜ死後の世界が安寧で幸福であると知っているのでしょうか? 死んだこともないくせに! 僕は違うと思います。死は苦しく、耐え難く、まるで、身体一つがやっと入るようなコンクリートの箱に、永遠に、気が狂うこともできずに、ずっとずっとずうっと閉じ込められているような、救いのない、絶望的なものだと考えています。だからこそ、最初に誕生した生命は、本能で感じたのです。『生き延びなければ』と。……私は、来年、論文を発表します。ああ……空姉ちゃんの言った通りだ……夜明けは、もうすぐそこだぁ(恍惚)」  終わり

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