死神たちのリバ☆ゲーム
ディープ・クリムゾン・サフラワー⑦

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 それにしても、「こうしん」とか言ってたが……なんのことだろう。どうも『オール』するらしいのだが。  まさか、夜通しこの地獄が続くっていうんじゃないだろな――いや、まじ勘弁だ。  と、そこにふと、なにか漢方薬のような匂いが漂ってくる。これはたぶんお香の匂いだろう。  姫君が戻ったところで俺を取り巻く状況に変わりはない。いや、藤は話をしてくれるだけ遙かにましだったか。  この場にしばらく、微妙な沈黙が続いた。  姫君から返ってくる言葉は突き放したもののようで、まるで言外に早く帰れと言いたげに聞こえる。 たぶん声云々以前に、この会話で男の心をへし折ってきたんだろうな……  それなのに帰るなとはどういう了見だ。女性の気持ちは、まったくわからない。  下がったままだった御簾も藤が開けていったので、俺にも外庭と夜空が見える。月はさっきよりもさらに高い位置に来ていた。夜の十時頃だろうか。   「歌は詠まぬのか?」  唐突に、姫君が尋ねてくる。 「歌? 詠まない。全然」  素で答えてしまったが、この時代の男女のやり取りは、和歌でというのがお約束のはずだ。歌が詠めないのなら、その男は「ダメ男」の烙印を押される。  ふっふっふ。こりゃバイバイだな。やっと解放されるのか。  俺はそう思ったのだが、  ふふふっ  衝立の向こうから、思わず笑ってしまったというような声が聞こえてきた。馬鹿にされたような感じではなく、ただ単に可笑しいという感じだ。  あのツンツンの姫君も笑うのか。笑っているところが全く想像できない。もちろん、一体何にツボったのかも、それと同じように俺には想像がつかない。 「手持ち無沙汰であろう。我が琴を弾こうぞ」  話の展開についていけず、唖然としている俺を知ってか知らずか、返事も待たずに準備を始めたようだ。布が床を引きずる音のあと、カタカタと何かを動かす音が続いた。  と、その時、姫君の軽くない悲鳴が上がる。  な、なんだ?  俺は慌てて立ち上がり、衝立の向こうへと踊り出た。  姫君の視線の先には、やや大きめの黒い物体がカサカサと蠢いている。 「く、蜘蛛ぞ」  ふう、Gでなくてよかったぜ。あれはまさに汎用飛行型決戦兵器だ。さすがに俺も気持ち悪い。  それに比べ蜘蛛さんは、不快害虫は食べてくれる、地獄に糸を垂らしてくれる、そんでもって超ラブリーときたもんだ。もう「さん」付けで呼んじゃいたくなる存在だった。  蜘蛛を外へ逃がそうと、摘まみ上げるために右手を伸ばしたところで、姫君に左腕をつかまれた。毛皮に焚き染められたお香の匂いだろうか、部屋に漂うお香とは違う匂いを感じる。 「ああ、大丈夫、大丈夫。俺、蜘蛛は平気だから。外に出してあげるよ」  そう言って姫君の方を振り返ろうとしたが、俺は予想外の力で引っ張られてしまい、バランスを崩して、姫君の上へと倒れ込んでしまった。  慌てて体を起こそうと体を支えた手が、姫君の顔の横と、そして胸へと置かれる。姫君の顔を隠していた扇子は、落としたのだろうか、無くなっていた。  なるほど。  彼女の顔を見て、俺は藤が言ったことのすべてを納得する。そして、月の光に照らされた姫君の顔を見て、息をのんだ。  顔に白粉は塗っていないようだが、そんなものを塗らずとも、その肌は月の光を受けて純白に浮き上がって見えている。漆黒の髪とのコントラストが、モノクロの肖像画を映し出していた。  ただ、サファイアのように碧く輝く瞳だけが、驚きで大きく見開いた眼の中に、異なる色で描き入れられている。  高い鼻は、彫りの深い顔立ちを一層際立たせていたが、漂う異国情緒を強調するスパイスでこそあれ、その美しさを損なうものではない。  そう、『彼女』は美しかった――しかしそこで、きっと、気づいてはいけないことを気づいてしまった。  毛皮の上着がずれてしまっていて、俺の右手が、単衣の上から姫君の胸に触れている。そこに女性にあるはずの柔らかな感触は無く、ただその細い体を支える肋骨の硬さだけが、俺の手に伝わっていた。  思わず、つぶやく―― 「男……なのか?」  次の瞬間、『彼』のその美しい碧眼から、涙が一粒、つーっとこぼれ落ちる。 「えっ!?」  驚いて思わず体を離すと、『彼』は顔を見せまいとするように、力の限り俺から顔を背けた。  しばらくそのままでいた後、姫君が、ゆっくりと立ち上がり寝所のほうへと向かう。 「コノエ殿、今宵はお引き取りを」  そして震える声でそれだけを言うと、振り向くことなく部屋を出ていった。  俺は、声を出すこともできないまま、ただ茫然とその場に座りつづける。  ちょ、ちょっとまて、どういうことなんだよ。おーい!

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