遊ばれ女と婚活
LGBTQデリケート

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 ガラス張りのシールームに新商品の化粧瓶が飾られている。  ゆったりとしたスペースに化粧水、乳液、クリームの三点。  シンプルなデザインながらゴールドの蓋が優美な高級感を醸し出す。    翠は会社に呼ばれた。  辞令だ。  百貨店の同期が寿退社する。  チーフでの移動になるので一応出世だ。    同期本人も違う要件で来社していたようで休憩室で遭遇した。 「結婚、おめでとう」  背中に声を掛ける。  同期はドリップ式の自動販売機で珈琲を買ったようで、待機中だ。 「ありがと」  取り出し口から珈琲を手にして同期は簡素なテーブルセットに座った。 「誰とする?」  翠はカフェモカを選択すると壁に背をもたれ、それを待つ。   「高校の同級生」  カフェモカを片手に翠も同じテーブルに着いた。 「なぜに今まで黙ってた」 「決まるまで言うか」  翠も同意見だ。  自分の恋愛事情をあれこれ話すやつの気が知れない。    同期だからこその淡々とした会話だ。  沈黙が苦ではないと話は要件で終わってしまう。    翠は何気に聞いてみた。 「伊藤さんって顧客いる?」 「5人ね」  然もあらん。 「強烈なのは伊藤愛子さんって、息子がゲイの顧客さんいるけど」  カフェモカの入った紙カップに口を付けた翠は薄笑いを浮かべてチラリと上目遣いだ。 「ゲイなのに女性と結婚するつもりだって憤慨してたけど……事の顛末知りたかったな~よろしく言っといて」  翠は軽く頷く。 「たまに娘さんの店に寄ってきたからって、カエル饅頭くれるわ」  鼻で笑う翠に同期も笑う。  意味の違いは分っていない。 「その娘さんが、どうも余計なことをしたらしくて、腹正しいって愚痴るから」  瞑目する翠の唇はなぜか、より綻んだほころんだ。 「ゲイは無いわ……あの伊藤さんは真っ当だわ、相手のお嬢さんに申し訳ないって困てったわ」 「あっそ、気にしていないって言うわ」 「……」  同期は、まん丸に目を見開いて翠の顔を凝視した。      カーテンを替えたのだ。  フィンランドとスエーデンで迷ったが、ここは遊び心でフィンランドの悪魔を選択。  ファブリックは前々から北欧のテキスタイルで揃えたかったので心が昂る。あがる  あっという間の1週間だった。  翠がナイーブだったら、まだまだ泣いている段階だろう。    だが、お生憎様。  翠にしては十分泣いた。  切り替えの早さは天下一品だ。  出張中の洋太郎からのラインは変わりない。 『今日は何をしていましたか』   いつも同じだった。    冷静でいたら悟れたはずだ。  太一が甘えられるのが苦手な理由わけが今ならわかる。  洋太郎の包容力を知るなら当然だ。    明日、翠は洋太郎と城に行く約束している。  太一とデートした場所だ。    今後の交際は断るつもりでいる。  洋太郎と太一恋人説は100パーセントの確定事項ではない。    それでも翠は思う。  猜疑心に苛まれた時点で、洋太郎とは駄目だったのだと。  有希子との再開から麗羅、洋子……そして翠……  全てが洋太郎と太一へと集約される。  今思えば洋太郎と太一を結びつける鍵はいくつかあった。    例えば……『けやき』でランチを食べたときの話題に出てきた豆腐嫌いの友人……とか    例えば……太一は計画を立てて行動するのが嫌いなくせに、文句を言いながらも人一倍楽しむ……とか    極めつけは右手をさする癖……  同じだ。  翌々思い出せば、太一も同じ事をする。    太一からはあの日、直ぐに『ゴメン』とラインが届いたきりだ。    何に対してのゴメンなのか翠には分らない。    寂しさを紛らわす相手にしてゴメンだろうか?  そんなことはお互い様だと翠は思う。    カモフラージュの相手にしてゴメンなのか?  暴いてしまった罪の方が重いだろう。    それとも洋太郎を返して欲しいのゴメンだろうか?    翠はどうするべきか悩んでいる。  男女の仲ならお節介の仕様もあるが、男同士では流石これ以上は手出しできない。    今日は一日寝間着のままだ。    考えあぐねた翠はベッドに寝そべり漫画を読み出した。  後輩の腐女子に貸して貰ったのだ。  台風一過で風が強い。  カーテンが時々小さく舞っている。    掃き出し窓が無いのが残念。    もっと大袈裟にはためくはずだ……  そうしたら人のことなんか知らんぷりして馬鹿みたいに、はしゃげた。  翠は少しおセンチになってみた。      翠は今、城へ石畳を登っている。    『結婚して欲しくない』    昨晩太一からラインが届いた。  翠は凄く安堵した。 『本人に口で言ってください』    洋太郎が送ってきたデートのスケジュールを転送してやった。  お人好しもここまで来ると国宝級だ。    そして今またラインの到着音が二つ続けて聞こえた。     前を行く洋太郎も立ち止まる。 『俺は天守閣にいる』  翠は立ち止まる。  洋太郎が振り返る。    翠は笑顔で一礼すると踵を返して駆け出した。  翠はもう天守閣への階段は上らない。    洋太郎の愛する人がそこで待っているだろう……  帰りの電車の中で不覚にも翠は啼泣してしまった。  人目なんか気にも出来ない。 「she's crying if you're a gentleman you should be handed over handkerchief」 (彼女、泣いているじゃない。ハンカチを貸してあげなさいよ)   同席していた夫人に言われて男は空いている翠の横の席に座った。    感情の乱れもピークを越えたか今はただ嗚咽しているだけだ。  男がハンカチを差し出すと翠は礼も言わずに涙を拭う。    すると、どこのスイッチが入ったか、また滂沱ぼうだと落ちる涙が止まらなくなる。  男は流石に心配になり翠に顔を覗き込んだ。  すると男は翠の顔に息を呑む。 「she's okay Hiroyuki We get off here 」 (彼女、大丈夫?私たちはここで下りるわよ ) 市野弘之は翠を振り返り振り返り下車していった。

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