冥府のリセル
第6話 熱烈な許婚
今朝は早朝から、城内が騒がしかった。
それもそのはずである。
この国の第一王子である、リセル=レディアントの成人の儀を執り行うのだから。
一時はゼイウェル王により御前試合への参加が危ぶまれたものの、メーディアの一声により出場を許可されたルディアは、身体を温めるために模擬刀を振るっていた。
「ていっ! やあっ!!」
「調子はどうだ? ルディア」
メーディアが数名の護衛を引きつれて、ルディアの前に現れる。
ルディアはハッとした顔をして、模擬刀を振るう手を下ろした。
「メーディア様! 体調は万全に整えております。本日の御前試合において、恥を晒すことのないよう尽力するつもりです」
「うむ。お前とラングの報告にあった通り、昨夜の乱闘騒ぎが試合に響いたとあってはならん。くれぐれも気を抜くな。己を戒めることにより、精神力を強く保つのだ」
それを聞いたルディアは地に膝を着き、深く頭を下げた。
「御意」
「今日、リセル様は齢18となる。専属騎士の任命式をもって、成人の儀とするのがこの国のならわしだ。御前試合で勝ち得た者が、リセル様の主力の護衛騎士となるのだ。ルディア、お前が負けることがあってはならぬ。命を懸ける覚悟で御前試合に臨め」
「メーディア様……」
「どうした? 自信が無いのか?」
「いえ、そうではありません。どうして一介の使用人の娘でしかない私に、そこまで目をかけてくださるのですか?」
「ほう……。私が贔屓といったつまらない感情で、お前に言葉を掛けていると言うのか?」
「ひ、贔屓だなんて!! そんなことは思っておりません!」
「いいか、ルディア。よく聞け。これは目をかけているという次元の話ではない。お前には、リセル様をお守りできる素質がある。それを見込んでいるのだ」
メーディアがそこまで自分を買っていることに、ルディアは一瞬驚いて顔を上げたが、すぐに目を伏せて頭を下げた。
「光栄です、メーディア様」
「しかし昨夜の戦いのように、力で押し切ろうとすればお前はすぐに負ける。だが剣に魔力を宿らせれば、豪傑すら赤子のようにねじ伏せられるであろう。勢いに任せるのではなく、頭脳を使ってしなやかに戦うのだ。他ならぬリセル様の御前試合での敗北は、死を意味する……それを心得ておけば、容易に勝利できるはずだ」
「承知いたしました」
再び深く傅くルディアを見届けると、メーディアは護衛を引きつれてその場を後にした。
メーディアがいなくなったのを見計らって、柱の陰からラングが姿を現す。
「ひえ~~っ!! 相変わらずおっかないネーチャンだなぁ」
「兄様! いつからそこにいたのですか?」
「俺が話しかけようと思ったら、あのネーチャンがお供を連れて来ただろ。それで隠れてたんだよ。いやあ、どうもあのネーチャンは苦手なんだわ、俺」
「メーディア様をネーチャン呼ばわりなど、失礼だろう! あの御方はレディアント王国の政治の一切を取り仕切る、執権だぞ!?」
「んなこたぁわかってるよ。でもだなぁ、御前試合は模擬刀を使うだろ。それで負けるのは死ぬのと同じってのは、ちょっと言いすぎじゃねえか?」
「それ程の忠義を見せろということだ。兄様にはそれがわからないのか?」
「あのなあ、ルディア……。ちょっとは肩の力を抜けよ。」
「手を抜けというのか? 私がどれだけリセル様専属の騎士になることを夢見てきたのか、兄様は知ってくれているものだとばかり……」
「バカッ! お前の気持ちを知ってるからこそ、俺は御前試合への参加を辞退したんだろ! 誤解しないでもらいてえが、お前とリセルには上手く行って欲しいと思ってんだぜ」
ルディアは茹で上がったかのように顔を赤面させた。
「う、上手く行って欲しいとはどういう意味だ! 私はそういう不埒な心でリセル様を想っているわけではない!!」
「わかったわかった、そういうことにしといてやるよ。まあなんにしても、自分をそんなに追い詰めるなよ。仮に専属騎士になれなくても、リセルを守る手段ならいくらでもある。形にこだわるなってのが、俺の言いてえことだ」
「…………」
ルディアは、その言葉を飲み込めずにいた。
ラングの言うことにも一理あると考えたが、主君と仰ぐメーディアとは真逆の意見であるからだ。
「みんなが専属騎士にこだわるのも、わからなくはねえがな! 何しろ王族の専属騎士になりゃあ、身分が上がって王族に準じる扱いを受けられるし、お給料も上がっていい事尽くめだからな! まっ、現時点で若くして小隊長であり、果ては大部隊を率いる予定の……このラング様には劣るがな!!」
「だから、兄様……。私は名誉が欲しいわけではないのだが……」
「わかってるって。欲しいのはリセルの気持ちだろ?」
「兄様ぁーーっ!!」
「はっはっはっ、悪りぃ悪りぃ! んじゃ、また後でな!」
ラングは高笑いをしながら去って行った。
ルディアは頬の火照りを冷ますべく、再び剣の稽古をつけるのであった。
***
一方で身支度を終えたリセルは、御前試合の会場へ向かうべく城内を歩いていた。
お付きの者たちが、それに続く。
「リセル様、この後のスケジュールですが……」
「わかってるよ。これから父上に挨拶をして、それからレクエルド総統とメーディアに会うんだろ?」
ふと、今日の試合に向けて張り切っていたルディアと、大剣を振り回していたラングの姿が過ぎる。
昨晩の戦いから、二人が体力を取り戻したのかが不安だ。
(試合が始まる前に、ルディアとラングの顔も見ておくか)
お付きの者が、その考えを遮るように言う。
「いえ、その前にバイオレット王国のシェイラ様がお越しになっておりまして……。誰よりも早くリセル様にお会いしたいと……」
「シェイラが?」
その人の名を聞き、リセルがお付きの者の方へ振り向く。
すると美しいすみれ色のドレスの裾を翻し、金色に光る柔らかな髪を持つ可憐な少女が足を止めた。
「リセル様! こんな所にいらしたのですわね!」
その少女の名は、シェイラ=バイオレット。
リセルの子供の頃から決められた許婚であり、歳はリセルより一つ下である。
シェイラは、バイオレット王国の姫である。
レディアント大陸の隣に位置するバイオレット王国は、レディアント王国にとって貴重な貿易相手であった。
冥府の吹雪により作物が実らないレディアント大陸にとって、食料の輸入は死活問題である。
そこで食資源に恵まれているバイオレット王国と、長きに亘って貿易を続けているのだ。
ゼイウェル王にとってリセルとは、良好な関係を築くための道具でしかないと噂する者さえいる。
またバイオレット王国にとっても、この政略結婚は悪い話ではなかった。
レディアント大陸は、バイオレット王国には無い物が数多くあったのだ。
それが魔法の発動に必要な魔法石や、魔導具である。
特にレディアント王国は他に類を見ないほどに魔法の研究が進んでおり、バイオレット王国で加工する物より高い品質を誇っている。
リセルとシェイラが結婚して姉妹国となれば、永続的に高度な加工技術を手に入れたも同然である。
こういった事情がある中でも、幸いにもバイオレット王国の姫・シェイラは、リセルの端正な顔立ちと利発さをすぐに気に入り、快く結婚の約束を受け入れたのであった。
シェイラは頬を紅潮させたままに駆け出し、リセルの胸に飛び込んだ。
「お会いしたかったですわ、リセル様……」
「や、やあシェイラ。キミが来るなんて知らなかったよ。ここまで来るのは大変じゃなかったかい?」
「最初は、『冥府の吹雪が危険だ』などと言ってお父様からお許しが出ませんでしたけど、このシェイラ=バイオレット。それくらいの障害にはへこたれませんわ。愛に障害はつきものであることをアピールして、お父様を無事に説得しましたの!」
「そ、そうかい。キミがここに来るまでの間、冥府の吹雪が落ち着いていたようで良かった」
「当然ですわ。何しろわたくしは、この国の妃となる者ですから。冥府の吹雪ですら、わたくし達の愛の前には平伏しますわ!」
「コホン、姫様」
シェイラの後ろに立っていた若い女性が、咳払いをする。
「あら姐や。どうかしまして?」
「そろそろこの辺で、リセル王子を解放して差し上げてはいかがでしょうか?」
「どうして?」
「リセル王子は、この後のスケジュールが詰まっているはずです。一年で最もお忙しいといっても過言では無いでしょう」
「どうして?」
「リセル様の生誕祭であるからです」
「それは知っていますわ。でも、わたくしはもっとリセル様に話したいことがいっぱいありましてよ?」
「将来、レディアント王国の王妃になられるであろう御方が、そのように子供の様な駄々をこねるものはいかがなものかと……」
「ふむ、確かに。そういうことならば、仕方ありませんわね。リセル様、しばしのお別れですわ」
そう言ってシェイラは、リセルの頬に唇を落とした。
リセルの頬は見る間に赤みを増し、シェイラの唇が触れた部分を手で押さえる。
「シェ、シェイラ?」
「それではまた後ほど、リセル様!」
「ああ、またね……」
リセルがその場を後にしても、背中にはシェイラの熱烈な視線が刺さり続けていたのであった。
第7話へ続く
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