冥府のリセル
第3話 月光より出ずる闇
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──その晩。 リセルは一人、中庭の噴水に腰掛けていた。 (母上……僕は明日で18歳になります。母上が存命であれば、喜びを分かち合って下さった事でしょう)  10年前に絶命した母を思い、リセルは月を見上げた。 今宵は満月だ。 その恐ろしいほどの美しさに、リセルの心はざわついた。 何か良くないことが起こるのではないだろうか──と。 「リセル様!」  少女の呼び声で、リセルが顔をあげる。 「ルディア……」  そのルディアと呼ばれた少女は長く艶やかな黒髪を揺らし、リセルに駆け寄った。 「こんな夜更けにどうされたのですか?」 「明日のことを考えると眠れなくてね。ルディアこそ、どうしたんだい?」 「私も明日の御前試合を思うと眠りにつけず、夜空を見ようと窓を開けました。すると、リセル様のお姿があったもので……」  心なしか、ルディアの声は弾んでいるように思えた。 「そうか、ルディアも眠れなかったのか」  それだけ言うと、リセルは悲しげにうつむいてしまった。 物憂げな表情が気にかかり、ルディアは声をかける。 「どうされたのですか?」 「ルディア、君を……専属騎士にしてあげられなくてごめん」 「何をおっしゃるのですか! 私は実力でリセル様の護衛騎士になってみせます。メーディア様にもそのように誓いました」 「……そうだな。ルディアの実力なら、きっと勝ち残れると信じているよ」 「ええ! リセル様をおまもりするのは子供の頃からの夢でした。必ずや叶えてみせます」 「ありがとう、ルディア。ところで……」  リセルは噴水の縁から立ち上がり、ルディアの髪飾りにそっと触れた。 距離が近くなり、ルディアは頬を赤らめる。 「ど、どうなされたのですか?」 「その髪飾りは、ひょっとすると僕が昔あげた物かな?」 「は……はい、そうです! 本当ならいつまでも大切にしまっておきたかったのですが、兄様にいさまが『18になったのだから、髪飾りでも着けて少しは女らしくしろ』なんて言うものですから……。どうせ着けるのならば、リセル様からの贈り物が良かったのです」 「でも、これをあげたのは子供の頃じゃないか。城下町に行けば、今の君に似合う髪飾りが沢山有るんじゃないか?」 「いいえ、私はこれがいいんです。だって宝石の色が……」  何かを言いかけたかと思うと、ルディアは頬を赤らめて口をつぐんでしまった。 「宝石の色が? どうしたって?」 「あっ、その……。とても綺麗な色だなと思って!」 (宝石の色が、リセル様の瞳の色と同じだから、私はこの髪飾りが好き。でもそれは、私の胸にしまっておくべきことだ。私のような平民の子が、リセル様にそのような感情を抱くだけでもおこがましいのだから)  王宮騎士になっていくらか身分が上がったとはいえ、生まれながら王族であるリセルとは天と地ほどの差がある。 その上リセルには子供の頃より許嫁がおり、ルディアにとっては到底手の届かない存在なのだ。 (だからせめて専属騎士になり、誰よりもリセル様のお側に居たい。それが叶うのならば、他には何も要らない)  ルディアは強い意思を胸に秘め、夜空に輝く星を見つめた。 リセルもそれにつられて、夜空を見上げる。 「星が綺麗だね。この分だと、明日の御前試合は晴れそうだ」 「本当に、綺麗な夜空ですね」 「母上と眺めた星空も、今日みたいに綺麗だったな……」 「クロエ王妃様は、使用人の子供である私にも良くしてくださって、本当にお優しい方でしたね。あんな良い人が亡くなられてしまうなんて……」 「冥府の吹雪から生還した村の若者が、母上の最期を報告してくれたそうだ。母上は吹雪の中にいた子供を助けようとしたのだと」 「そうですか……。村には子供が取り残されていたのですね。可哀想に」 「それがおかしいんだ。彼が言うには、村には子供などいないはずなのに……と」 「若者が村を離れている間に、別の地から子供が来ていたという事ですか?」 「わからない……。そうだとしても、もう一つ奇妙なことがあるんだ」 「奇妙?」 「その子供は背格好といい顔つきといい、僕と瓜二つだったと言うんだ。僕はその時、この城に居たと言うのに」 「そんな、まさか……。クロエ王妃は、リセル様の幻覚を追って絶命されたというのですか?」 「幻覚か……そうかもしれないな。でも、村の若者も言ったんだ。その子供は僕と同じ顔だった、と」 「不思議なこともありますね。クロエ王妃がリセル様を思うがあまりに作り出した、幻影なのでしょうか」 「幻影か、或いは集団催眠の一種だったのかも……。そう考えれば合点は行く。でも、どうにも腑に落ちないんだ……」  その時、物陰から何者かが近づく音がした。 不穏な気配を察知したルディアは、剣に手をかける。 「何者だ!」  暗闇から姿を現したのは、黒いローブを顔が隠れるほどに深くまとった男だった。 その様相は、明らかに城の者ではない。 不審者を思わせる出で立ちに、ルディアとリセルは顔を強張らせた。 ルディアが鞘から素早く剣を抜いて構えるのを見て、男はこう言った。 「お前に用は無い。そこを退け」 「どうやって城壁を越えた?」 「それに答える義理も無いな。そこを退かぬと言うのなら、こちらにも考えがある」  男はふところから石を取り出し、それを空高く掲げた。 月光の下に晒されて黒光りする石を見て、リセルは目を見開いた。 「それは……ダークネスオニキス!」  その言葉に驚いたルディアが、リセルの方へ振り向く。 「あの……闇属性の魔力を蓄えるという魔法石?!」 「ああ。闇属性の魔法の使い手というのなら、あの守りが強固な城壁を越えられたのも納得できる」  男は魔法石を掲げたまま、口元を“ニヤリ”と歪めた。 「リセルよ。そんなことを話している暇はあるのか?」  名を呼ばれ、リセルに更なる緊張が走った。 「なぜ僕の名前を知っている?」 「知っているのは名前だけではないぞ。お前が光属性だということも知っている」 「何?! 光属性の魔力は、日光の下でしかたくわえられない。僕にとって不利な状況を、あえて狙って来たというのか?」 「そこまでわかっているのならば、説明する必要も無さそうだな」 「待て! 名を名乗るんだ!」 「フン……。貴様に名乗る必要は無い」  この世界では、魔物は名乗らぬという。 なぜならば、魔物が真実の名前……真名まなを呼ばれることは契約を意味するからだ。 魔物は最初に真名を呼んだ者のしもべとなり、主人か己の命が尽きるまで仕えなくてはならない。 契約の効力は魔物の意思とは無関係に発動されるので、魔物のごうともいえるであろう。  この男が名を告げぬのは、異形の魔物であるからに違いない。 ローブで顔を隠しているのがそれを物語っている。 リセルはこの男が、魔物であることを確信した。 「なるほど、俺が魔物かどうか試したというわけか」  リセルの強い眼差しの意味する所を察した男は、鼻を鳴らした。 その不敵な笑みを断ち切るかのように、ルディアは剣の切っ先を向ける。 「名乗らぬことが、魔物である証拠だ! 皆に忌み嫌われる闇属性を持つ魔物が、光属性を持つリセル様をねたみ、命を狙っているのだろう!」 「嫉み……? くだらん。そんなにも名前が知りたいというのなら、教えてやろう。そうだな、俺の名は……クロノス、とでも名乗っておこうか!!」  そう言い終えると、クロノスは魔法石を光らせた。 それは攻撃を開始する合図とも取れた。 (リセル様をまもらねば!)  そのように思考を巡らせたルディアは、剣を振りかざしてクロノスに斬りかかった。 「やああああっ!!」 ──バシュッ!  ルディアが剣を降り下ろすと同時に、閃光が放たれる。 一瞬にしてクロノスは闇の魔法陣を作り出し、それを盾として剣を弾き返したのだ。 その衝撃で後退しながらも、ルディアは驚愕きょうがくしていた。 「魔法の発動が速すぎる……! しかも呪文の詠唱をせずに!?」 「こんなもの取るに足らん。お前は、確か……ルディアといったな。痛い目を見たくなければそこを退くんだ」 「リセル様のみならず、私の名前まで知っているだと? 貴様、何者だ!」 「……わからない女だな」  クロノスは再び魔法陣を出し、そこに緑の光を宿らせた。 するとクロノスを中心として強風が吹き荒れ始める。 それにリセルは目を見開き、叫んだ。 「あれはグリーンフローライトによる風の魔法! 危ない!!」  次の瞬間、ルディアの身体は遥か後方へと吹き飛ばされていた。 「キャアアアッッ!!」  リセルは直ぐ様にルディアのもとへ駆け寄り、半身を抱え起こす。 「ルディア!」  ルディアは目を閉じたまま、返事をしなかった。 第4話へ続く
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