専属SPは今回限り
1-3 専属SPは四時間限り―令嬢―

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 一〇分後──鴨重邸前。  門扉前に、白い高級セダンクライスラーが停まっている。メイドさんに連れられて渋々ながらに乗り込んだ私──鴨重紗良。 「はあ。気が重い……」  車内左奥の運転席真後ろに座ってすぐ、大きく溜め息がひとつ出てしまった。だってやっぱり、あと数分後には顔を合わせることになるであろう『一日限りのSP』が、不安でたまらないんだもん。 「ねぇ、どんな人が私のSPになったか知ってる?」 「申し訳ございません。存じ上げてはおりませんが──」  フロントガラスを向いたままの運転手さんに訊ねたけれど、やっぱり首を振られた。彼女は言葉を途中にして、半分だけ私を振り返る。 「──お嬢様と同い年くらいの、ボクシングに長けている青年……ということは、社長から伝え聞いております」 「ボクシングに、長けてる?」  小さくなぞると、それを合図に妄想ワールドへトリップ。  同じ高校生くらいの、ボクシングが強い男の子。  身長はきっと、ヒールを履いた私よりも五センチ以上は大きかったりして、上腕の筋が浮き出てカッコよく見えたり、首筋も魅惑的に薫りそうなほど雄々しくて、見惚みとれちゃったり溜め息が出てしまうんだろうなぁ。顔がタイプだったりしたら、ちょっと意識して何度もチラチラ見ちゃって、パーティーどころじゃあなくなるかもしれない。  本名を訊き合うことのない、上部だけの護衛関係。今日これからの四時間が終わったら、もう顔を合わせることのない、極めて一時的なものになるんだろうけど……なんか、そんな状況シチュエーションすらもキュンとしてしまうなぁ。 「はあ……」  思わずうっとり。甘い溜め息が溶け出した。 「そんなにご心配なさらずとも大丈夫でございますよ、お嬢様」  ハッ、違う違う! そうじゃあないの! 「えっ、べっ、別に私はっ」 「今回のSPも、きちんと社長のお墨付きでございますから」 「え? あ、あぁ」  そっか、運転手さんは私が杞憂きゆうに感じているって汲んでくれたのね。運転手さんの一声に、今までふわふわさせていた桃色の妄想を、首を振って散らす。まったく我ながら、何にうつつを抜かしちゃってんのやら!  深呼吸、深呼吸。私は鴨重家ご令嬢として向かうんだから。たかだか『こんなこと』で本来の目的を見失ってどうすんのよ。 「あ、ほらお嬢様。おみえのようですよ」 「えっあのっ!」  ウソ、まだ令嬢という名の『外面』の仮面被りきれてない!  慌てて、着ているパーティードレスのスカートを直したり、髪の毛の具合を整えたり。そうこうしている間に、ガチャリと向こう側のドアが開いた。 「あっ、あの──」「初めまして、鴨重令嬢」  メイドさんによって開けられたドアの向こうに居た、黒いスーツの男の人の立ち姿シルエット。スラッとした躯体線が見えただけで、私の心臓は激しく打ち鳴っている。  私へ深々と頭を下げる、全身黒の彼。車内からだと表情までよく見えなくて、本当に若いのかどうかもわからないまま。 「お隣、しばし失礼いたします」 「はへっ、は、ハイ……」  私が何と言う間もなく、ドアを開けていたメイドさんが彼を車内へ誘導しちゃって、人一人分の間を開けて隣に座られてしまった。ひゃああ、顔熱い。  ドアが大きな音と共に閉まって、すると運転手さんが「それでは発車いたします」と告げて。 「いってらっしゃいませ、お嬢様」 「いってらっしゃいませ」  窓の外のメイドさんたちに、いつものようにお辞儀をされて見送られる。小さく向けた首肯しゅこうで返事にして、すると白い高級セダンクライスラーは丁寧に発車した。 「さっ、さっそく、だけどっ」 「はい?」  なんとなく迫ってくる気恥ずかしさから、結んでいた口を開けてしまう私。『令嬢』としての外面も気持ちの切り替えもそれと同時に済ませて、隣の緊張のタネであるSPさんに臨む。 「は、発車前に、五分間も私を車内で待たせるだなんて。SPなら『普通』、私が着く前に車外で待っているものではなくて?」  私は、胸の前で腕組みをして顎を上げた。  SPこの人とは、今日この場限りとわかってはいる。わかってはいるんだけど、チクチクと嫌味を言って、本心とは裏腹に勝手に意地悪してしまう。 「そんなユルぅーい感じで、本当に私を護衛なんて出来るのですか?」  あーもう、本当にイヤな奴を全力で気取ってしまう『ご令嬢様』の私。素直に笑顔を向けて「よろしくお願いしますわね」だとかなんとか言ってれば、ちょっとくらい桃色チャンスにでも恵まれるのかもしれないのに! 「も、申し訳、ございません」  しおしお、と遠慮がちに頭を下げたSP。横目でそれを確認して、そうしたらなんだか『ご令嬢さま』的に気持ちが満足しちゃった。  そうだ、私の態度ひとつで、ちょっとくらいなら桃色チャンスに恵まれるかもしれないんだ。 「まあ、最初くらい大目に見てさしあげます」  組んだ腕をそっとほどいて、膝の上でクロスさせて。もうイヤな『ご令嬢さま』はやめやめ! おしとやかを出して、鼻歌混じりに主導権を握っていこう。  そろりそろりとSPへ顔を向けて、声色を柔らかくする私。 「そ、それで?」 「え?」 「よろしければ、お名前教えてくださるかしら。いくら今日限りとはいえ、お呼びするときに不便ですもの」 「あ、ハイ。社長より命を受け、本日鴨重令嬢の護衛をさせていただきます、敬斗けいとと申します」  顔を上げて、私を向いたSP……の、『敬斗』さん。 「けっ、敬、斗?」  言われた名を口に出してみたら、パズルのピースが自動で次々に埋まっていくみたいな速度を体感した。 「はい」  どこかで見たような、黒い短髪。  無駄のないフェイスライン。  聴き覚えのある若い声色に、指関節の角張り方。  ボクシングが強い、同い年だという話。  そして極め付きは、『敬斗』というこの名前──。 「って、まさか」  目線だけで、上から下までの行ったり来たりを何往復。つくろったはずの『ご令嬢さま』の仮面が、容赦なくボロボロと崩れてしまうのがわかる。  首から頭の先までがキューッと熱くなる。  肩が硬直して、膝がガタガタと震えて止まらない。  取り繕いたい表情は、まばたきよりも速く等身大へ戻ってしまって。 「まさかあなた、いっ、和泉いずみくん?!」  裏返った、格好つかない私の声。眉間を詰めたSPから返ってくる、ひとつの首肯。 「え? えぇまぁ。俺は和泉敬斗ですけ──」  肯定したその言葉を途中にして、SPは私をじっと見つめたままピタリと動きを止めてしまった。 「──ちょ、え?」  黒いサングラスの奥で目を見開いたらしいSPは、ゆっくりとそれを右手で下げて、取り払って、膝の上に置いて。  あらわになった、彼の顔。その瞬間、お互いに喉の奥から絞り出されたのは「あ」に濁点が付いた、気付きのそれ。 「やっ、ぱり、あなた」 「かっ、『鴨重』って」  歪んでいく、お互いの顔。 「和泉くんっ」 「鴨重お前のことかっ!」

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