「にゃあ」と、まるで僕にはじめましての挨拶をしたみたいに鳴いてきた猫。 うん。猫だ……犬でもないし文鳥でもない。 小さくて三角形の耳がぴんと立ってて、目が金色のまん丸で、白い毛に包まれてて…… あ!! 僕の方へと音もなく歩いてきたかのあに、つい反射的に後ずさりしてしまう。動物が苦手ゆえに。 ……って、そうだ! この猫! おじいさん……じゃなくて、社長のひざの上に乗っていたあの白い猫と一緒だ! 「なぁお」って、当たりだって僕に話してきてるのかな? ごめんなさい。猫の言葉は分からなくって…… 「マジじゃ。彼女がここの駅長じゃよ。よくいるマスコットではなく、正真正銘の駅長なのじゃ」 そう言って社長は、駅長の机の引き出しから取り出したもの…… それは、小さな制帽と制服の上着だった。 それを彼女は嫌がるわけでもなく、社長の手ですんなりと着ていた。 「ほおら、どこから見ても立派な駅長じゃろう?」 僕の着ている一般職の制服とは違い、帽子をぐるりと取り囲む赤いラインが走っている。それは最上位職をあらわすしるし。 同様に制服の上着の両袖には金の刺繍が。紛れもなく駅長だ。 さらに左胸ポケットには真鍮製の名札が。 サイズこそ小さいが、よく見るときちんと「駅長 白妙」と刻まれている。 「そうだ、タエちゃんなどと気安く読んではダメじゃぞ。きちんと駅長と呼ぶのじゃ」 僕はまだ実感がわかないまま、はぁ……と気のない答え方をしてしまった…… 前足でぺろぺろと毛づくろいしている駅長を前に、社長は最後の言葉をくれた。 「夢で話したとおりじゃ。好きと思えばおのずと向こうから近づいてくるし、邪険にすれば離れてゆく……まあ、これは猫だけとも限らん。しかしこの事を君の頭の片隅にでも置いてこれからの仕事に用いてもらえれば、きっと周りからも慕われてゆくはずじゃ。頑張りなさい」 そうして社長は、次の電車で帰っていった。 ……何からなにまで不思議すぎて、全然頭の整理が追いつかなかったけど。 夕焼けに染まる空と共に、小さくなる電車を見送ると、急に不安が心の奥底からどっと押し寄せてきた。 小さな小さな駅……それだけに、1人でやる仕事の量も多くなる。 ちょっと怪しげで頼りなさげな先輩に、駅長の猫だけでこの先僕はやっていけるのかな……って。 「だーいじょうぶ! そこまで心配しないでもへーきへーき。それに俺以外にも…まあ、頼りになる先輩達はいるしな。最初は覚えることばかりで大変かも知れないけど、一緒に頑張ろうぜ!」 僕の表情をみて村雨先輩が察したのか、励ましの言葉をかけてくれたはいいんだが……またこれで不安の種が増えた気しかしない。 「さーてと、これから一日の仕事の流れをざっと教えてやるからな。明日から1人で頑張れよ!」 「えええええ⁉︎」いや待ってよ、そんなの聞いてない! 普通は半月くらい先輩がついてくれて、その間にいろいろ教育とかしてくれるのに! 絶対無理だそんなの! 着任した翌日……しかももう夜だし。そこから単独業務だなんて!! 不安の種が二つ…いや、一気に数百個に増えた。汗も止まらなくなってきたし。 そう、それにまだ僕は新入社員なんだ! まだ都会の駅で三ヶ月そこそこしか仕事してないし! 「ああ、ンなこと心配せんでも平気だっつーの。ここお客さんなんてほとんど来ないし、別に寝てたって文句言うの誰もいねーし。それに分からないところがあったら、ほら、駅長だっているしな」 いやいや駅長っていったって猫だし!! 「では、そうと決まったらまずは掃除のやり方からかな。あとは備品のある場所と……いや、まず最初に手旗とか信号のことからか?」 慌てて手帳を用意し、僕は心の中で祈った。 ー今度の異動で、また元の駅に戻してくれますようにー って。 でも、この時はまだ全然知らなかったんだ。 たくさんの先輩や駅長……ううん、ここに住んでる人たちも、そして電車も。 さらにはこの駅そのものが、とっても不思議で、優しくて楽しくて…離れたくない場所になったということに。
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