「こんなところにしがみついているから、気がくさくさするのよ。どこか別の場所へ遊びに出かけましょうよ」 ――こことは違う場所。 私は家の中でナイフを探し続けて、どうやって身を守ろうかと考えていたけど、実際のところ、逃げ出すなんて考えたこともなかった。今ハーピーにいわれるまで、別の場所があるとも思わなかった。 私は、逃げるってことそれ自体がよくわからない。それが鬼に食われるということの意味なんだ。 「あなた、泳げるんでしょ? いらっしゃいよ」 ドアがすごい音でなっている。パパはドアの下の方を足で蹴っているみたいだ。 私は今までたくさんのことを思ってきた――私が我慢すればいいのか、それとももっと良い子にすればいいのか、私が何かを知っていないといけないのか、どうすれば過ちが正されるのかと。 パパは「私がかわいいからだ」という。ママは私にいつも「悪い人に気をつけなさい」という。私が何かに気をつければ、ちゃんとしていれば、いつかすべてが正しい世界になるのだと。でもそうできないとしたら、そのことの原因もまた私にあって、すべては私が悪いんだって。 だけど私は、今こそ本当にわかった。 ――私は世界を救えない。 そんなことは最初の最初からわかっていた。 何も知らない三才の頃、パパのこそこそした態度を見た時から、こうなることは決まっていたのに。 いつかこの世界はよくなるかもしれない。すべてが正しい位置に戻るかも? だけどそんなことは絶対にない。 やさしいパパとママ、我が家は平和で、みんなが楽しく暮らせる――そんな世界は永遠にやってこない。私が下らないまぼろしにしがみついていただけだ。 目の前が真っ白になって、ザアッと何かが広がっていく。それはとても強い光で、打ち倒されそうになったけど、自分がどうするべきかが、今こそ「ちゃんと」わかった。 「――私、行くわ」 満月が海面にゆらゆらとうつっている。きっとこの海は世界中につながっているんだ。だったらどこへでも行けるんだね。 私は明るい月光の下、海に飛び込んだ。 その水はとても冷たくて、だけど寒いっていうんじゃなくって、私は白い泡に心地良く包まれていく。今まで私にとりついてきた黄色いものがすべてぬぐいさられ、私はすべてを取り戻した――ただ、真実を真実と認められる私に。
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