Trifolium(シロツメクサ)
ホワイト・キス

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 今日は三月七日、そして日曜日。昨日、姫宮桐士ひめみや とうしは、夜野三葉よるの みつはから突然『一緒に本屋に行かない?』という誘いを貰った。  桐士には、それがなぜなのかなどと考える余裕も必要性も、ミジンコほどもない。『いいよ』というあからさまにそっけない返事を返したあと、桐士の体の中でしばらくの間、心臓がブレイクダンスを踊っていた。  学年末テストは二月の末に終わっていたが、そこから剣道部の練習試合が続いていて、桐士は三葉とゆっくり会う時間を持てなかった。それだけに、久しぶりのデートとなれば、心だけでなく体すら勝手に動いてしまう。 『デート?』  桐士はふと、自分の心の中に生じた言葉に慌ててしまった。そう、桐士と三葉は男の子同士なのだ。 ――そんな、デートだなんて、デート、デート……  桐士は、『ダンシン♪ ダンシン♪』と口ずさみながら、着ていく服を探す。 ――三葉はどんな服を着てくるのかな。  二人並んでもおかしくないように、三葉に合わせたものを選びたい。桐士はそう思い、一生懸命悩んでいた。  普段学校で会う時は二人とも制服である。それだけに、プライベートで会う時の三葉の私服姿は、桐士のひそかな楽しみだ。  前回一緒に遊んだときは、ジーンズとセーター姿だった。クリーム色のダッフルコートが三葉の可愛らしさを引き立てていて、心臓の高鳴りを抑えきれなかったことを思い出す。ショートボブの裾とフードの間から恥ずかし気に顔を出していた白いうなじが、桐士の目には眩しすぎて直視できなかった。  しかし、今日は意外に暖かい。春めいてきた陽気に、服は少し薄手のものになるだろうか。それを想像するだけで、桐士はドキドキを止めることができない。  今自分が持っている服の中で一番恰好良さそうな物――白いシャツの上に紺色のパーカー、そしてクリーム色のパンツを選んだ。 「行ってきます」  母親に声を掛け、家を出る。三葉を家まで迎えに行き、そのまま二人でバスを使って街の中心部へ行く予定だ。  三葉は、桐士の家から歩いて一五分ほどの距離にある一軒家に住んでいる。自然と駆け足になるのを押さえながらではあったが、桐士は一〇分ほどで三葉の家へと着いた。  もう何回か来たことがあるし、三葉の母親にも何度も会っている。それでも桐士は、インターホンを押す手が震えるのを感じた。  インターホンの電子音が鳴った後すぐに、「はい、どなたですか」という言葉がスピーカーから飛び出してくる。耳に心地の言い、高く澄んだ声。三葉が自分で出たようだった。 「あ、えっと、姫宮です」 『あっ、桐士くん。すぐ行くね』  三葉がそう答えると、インターホンが切れる。そのあとすぐに、家のドアが開いた。  中から現れた三葉は、長袖の白いシャツ、というよりかもはやブラウスと呼べるものを着ている。両肩の内側から下に向けて何本もの折り目がストライプ状を作っていて、短めの立ち襟には黒く細いリボンが首元で蝶々結びされていた。  ブラウスの裾は外に出され、そしてデニムの短パンの上部分を隠している。足元から膝の上までを黒いニーハイが隠していた。  そして何より、いつも掛けているはずの眼鏡が無く、少し下がり気味のくりっとした丸い目が直接、桐士を見つめている。そんな三葉の姿を見て、桐士は身動きもできずに固まってしまった。  三葉は門扉から出ると、桐士が軽く口を開けた状態で三葉をじっと見ている様子に、少しはにかんだ。 「お、おかしいかな」  三葉は自分の恰好を見回してみる。 「い、いや、べ、別に、すごく似合ってて、可愛いだとか言ってないぞ」  桐士は、もはや自分が何を口走っているのか自分でもよく分からなかった。その言葉を理解したのかしていないのか、三葉は軽く微笑むと桐士の横に並ぶ。 「行こっか」 「お、おう」  そして二人で、バス停へと向かった。  バス停に着いた後、程なく来たバスに乗り込む。バスの中はそれほど乗客はおらず、桐士と三葉は二人席に座ることが出来た。触れ合う肩と肩が恥ずかしく、桐士は窓の外を見る。 「二人でどこか行くの、久しぶりだね」  三葉が嬉しそうにそう言うのを見て、桐士は顔を真っ赤にしながら「そうだな」とだけ返した。  市内で一番大きな駅のところでバスを降りる。そこには大型の商業施設があり、大きな本屋だけでなく多くの専門店が出店していた。  まずは二人で本屋へと向かう。新刊本をチェックした後、雑誌コーナーへ。三葉が一冊のアニメ雑誌を立ち読みし始めた。桐士は桐士で、何か面白そうなものはないかと本棚を見回す。 「ねえ、桐士くん」  突然、三葉が桐士に声を掛けた。 「どうした?」 「やっぱり、リームちゃん、かわいいね」  そう言って桐士に、雑誌を見せてくる。そこには桐士が大好きなラノベ『マイナスからさらに逆戻りしていく異世界生活』のキャラクター、リームちゃんのカラーイラストが大きく載っていた。アニメ化もされ大人気になっている作品だ。  クラスメイトには、桐士がラノベやアニメ好きであることを隠しているが、三葉はそれを分かっている。しかも、桐士の一番のお気に入りがリームと言うキャラクターであることも知っている。 「そ、そうだな」  桐士は少し後ろめたくなった。まるで浮気の現場を見られたような…… 「ボクも、髪の毛を青く染めたら似合うかな」  三葉が上目遣いに桐士をうかがう。桐士の頭の中で三葉の髪が青く染められると、桐士にはそこにリームちゃんがいるとしか思えなくなった。 「そ、染めるのは、面倒だろうし、髪が痛む」 「ああ、そうかも。あっ、これなんかどう?」  少し残念そうな声を出した後、三葉はページの下に書かれていた商品紹介の欄を桐士に指し示した。桐士が雑誌を覗き込む。 「香水があるんだって。『リームちゃんの香り』。すごいね、どんな香りがするのかな」 「へえ、結構高いんだな。欲しいのか?」  一体、それをどう使うのか、桐士には想像がつかない。香水と言うからには、女の子用なのだろうかと首をひねった。しかしふと、三葉がつけたらどうなるかを想像してみる。そしてすぐに、それを頭を振って追い払った。理性が木っ端みじんに砕かれる場面しか思い浮かばなかったからだ。 「合わないかな、ボクには」  桐士を見ながら、三葉がふと漏らした。桐士は驚きの声を挙げそうになるのを口を押さえてこらえた。 「つ、付けるのか?」 「え、いや、例えばの話だよ」  桐士が思わず尋ねた言葉を、三葉が笑って否定する。そして三葉はまた雑誌に目を落とした。  一通り、本屋の中を見回った後、二人はフードコートで一緒に昼ご飯を食べた。その後、三葉の希望で雑貨屋と洋菓子店を巡る。様々なお店で『ホワイトデー』のフェアをやっていた。 「ホワイトデーか」 「そう、だね」  三葉の声には、何となく期待が込められているような、桐士はそんな風に感じる。一通り回った後、ファストフード店でお茶をし、そして帰路についた。  家に帰った後、桐士の心の中には九九%の幸せ気分と、一%の悩みが残ってしまった。バレンタインに、三葉からカップケーキを貰ったのだ。三葉は洋菓子作りが好きなようで、あれが単にバレンタインデーにかこつけた試食のお願いだったのか、それとも他に何か意図があったのか、桐士は判断しかねている。  ホワイトデーのお返しをしたはいいが、『そういうつもりじゃなかったんだけどな』などと思われたらどうしようという思いで、桐士はその後の数日間、悶々とする羽目になってしまった。  次の土曜日。部活が早く終ったため、桐士は急いで家に帰る。そして帽子を目深にかぶり、フード付きのパーカーとジーンズといういで立ちで、商業施設の中にあるアニメグッズ販売店へと向かった。  さんざん悩んだ結果、桐士はお礼はするものなんだからおかしくもなんともないと自分に言い聞かせ、三葉にプレゼントを買うことにしたのだ。そう、あの香水である。もちろん『三葉が欲しそうにしていたのであって、自分が選んだんじゃない』という言い訳もてんこ盛りにつけていた。  商業施設に到着してすぐ、アニメグッズ販売店に入る。桐士がここにくるのは初めてではないが、来るときはいつも帽子をかぶり顔を隠すようにしている。万が一にもクラスメイトと出会っては、桐士の秘密がばれてしまうからだ。  桐士は、他の商品には目もくれず、お目当てのものを探し始めた。『リームちゃんの香り』の香水である。それはすぐに見つかったが、いざ手に取ろうとして、桐士の心に恥ずかしさが充満してしまった。 ――店員さんに、笑われるかな。  三葉とは違い、桐士はどこから見ても男にしか見えない。一体香水を購入して何に使うのだろうと思われたらいやだなと思ってしまい、それから桐士はしばらく、売り場の傍を行ったり来たりしていた。  そこに、見知った顔のクラスメイトが現れる。女の子二人で、なにやらグッズを探しているようだ。桐士は慌てて顔を背け、店内の目立たない場所へと移動した。 ――これじゃ、不審者以外の何者でもないな。  自分の行動の無様さに、桐士は思わず顔が歪んでしまったが、恥ずかしいことに変わりはない。どうしたものかと考えていると、さっきのクラスメイト二人組が何かの商品を手に取り、レジへと出すのが見えた。 「すみません、プレゼント用に包装してください」  店員にそうお願いする声が聞こえる。それを聞いて桐士は「それだ」と思わず声を出してしまった。慌てて口をつぐみ、クラスメイトからは見えない所へと移動する。  しばらく様子を伺い、クラスメイトがいなくなったのを確認すると、桐士はお目当ての香水を手に取り、レジへと素早く移動した。 「こ、これ、ください」  桐士が商品を出すのを見て、レジの中にいた若い女性がにっこりと笑う。それが桐士には、『うわぁ、この子、香水なんか買ってる』という笑いに見えてしまった。  しかし、桐士が切り出す前に、店員のお姉さんが「プレゼント用の包装しますか?」と聞いてきたので、桐士はホッとするとともに、思った以上の声で「はいっ!」と答えた。桐士の様子に、お姉さんがまたにっこりと微笑んだ。 「彼女にプレゼントですか?」  そして、お姉さんが桐士に尋ねる。心の中でひとしきりの葛藤が行われた後、桐士は「い、いえ、と、友達です」と答えた。 「あら、じゃあどうしましょう。ホワイトデーのシール、貼りますか?」  明日がホワイトデーなので、それ用のプレゼントを買う人も多いのだろう。しかし、桐士は心の中の想いを当てられたような気がした。 「お、お願いします」  小さな声で、店員に伝える。すると店員は、手際よく購入した香水の箱を包装し、表にホワイトデーのシールを張り付けてくれた。  紙袋に入れてくれそうになるのは辞退し、持ってきた買い物袋に箱を入れる。そして桐士は逃げるようにお店を後にした。  桐士は、家に帰った後、すぐに三葉に電話を入れた。明日、三葉の家に行くという約束をし、電話を切る。  その夜、桐士は不安と不安と不安と期待に、なかなか寝付くことが出来なかった。 ※ 「姫宮くん、いらっしゃい」  三月一四日、日曜日。桐士は昼前に、三葉の家に到着した。インターホンを押すと、三葉の母親が玄関から顔を出し、桐士を出迎えてくれる。そのまま桐士を、三葉の部屋へと案内してくれた。 「桐士くん、いらっしゃい」  部屋では三葉が待っていた。先週とは違い、カジュアルなトレーナー姿をしている。三葉の母親にお昼ご飯を呼ばれることになっていたので、三葉の母親が呼びに来るまで二人で部屋で待っていることになった。  一応、二人で勉強をするという名目で桐士は三葉の家に来ている。桐士は、勉強道具の入ったカバンを床に置いた。 「ああ。昼ごはん御馳走になって、悪いな」 「ううん。桐士くんと一緒に食べられるから、うれしいな」  三葉が、少し熱っぽい瞳でじっと桐士を見つめた。 「そ、そうだ、これ」  桐士がカバンから箱を取り出す。 「え、これは何?」 「三葉にプレゼント。こないだのカップケーキのお返し」  そういうと桐士は、三葉に箱を渡した。 「ええ、ありがと。開けてもいい?」  三葉が満面の笑みを見せる。桐士は、本当は自分が帰ってから開けてと言うことにしていたのだが、その笑顔に押され「い、いいよ」と言ってしまった。 「何だろ」  そう言いながら、三葉がホワイトデーのシールが貼られた箱の包みを開ける。すると中から『リームちゃんの香り』が顔を出した。 「ええっ、こんな」  三葉の言葉に、桐士は焦った。やはり、香水をお返しにするのは間違っていたのだろうかという思いが頭をよぎる。  三葉は香水の入った箱を見まわした後、それを横に置く。そして、微妙な顔をしていた桐士の手をそっと握った。 「いいの? 高かったんでしょ?」 「だ、大丈夫。お小遣いが結構たまってたし。でも、他のほうが良かったか?」  桐士は不安いっぱいで、三葉にそう尋ねる。三葉は、すこし桐士の方へと顔を近づけると、笑顔を浮かべた。 「ううん、とってもうれしい。ありがと、桐士くん」  三葉の手がぎゅっと桐士の手を握る。度の強い眼鏡の奥からのぞく三葉の瞳が、桐士を捉えて離さない。引き寄せられるような力を感じ、桐士は顔を三葉へと近づけた。  三葉が、そっと目を閉じ、そして少しだけ唇を突き出す。それを見た桐士の心臓がロデオの馬のように暴れ始め、鼓動がいななきとなって、三葉の耳に届きそうだった。  恥ずかしさに、桐士も目を閉じる。そのまま、顔を近づけて…… 「みつはー! ひめみやくーん! ご飯できたわよー」  三葉の母親が二人を呼ぶ声に、二人ともが飛び上がる様に驚き、そしてお互い見つめ合って照れ笑いを作った。 「はーい」  三葉が母親に返事を返す。桐士は、三葉に案内され、台所へと向かった。  食事中は、三葉の母親が桐士の話を聞きたがったので、三葉と話す機会はあまりなかったが、その後ゆっくりと二人でいられるということで、桐士は三葉の母親の質問に色々と答えていた。  食事も終わり、二人で部屋へと戻る。その途中、桐士はお手洗いを借りた。 「じゃあ、先に部屋に戻ってるね」  そう言って三葉は、先に部屋へと行ってしまう。桐士は、急いでお手洗いを済ませた。手を洗いながら、さっきの『キス未遂事件』を思い出す。 ――男同士なのに、やっぱり、変かな。  そう思う自分と、何かを期待する自分が交差する。すっきりしないまま、三葉の部屋へと戻った。  部屋には学習机とベッドがあったが、それらを使わず、フローリングに長方形のテーブルを置き、そこで二人で並んで勉強をする。桐士は、カバンから問題集とノートを出した。  ふと、鼻をかすめる仄かな匂いに気付く。甘いような、それでいてどこかさわやかな酸味が混じったような、そんな匂い。三葉を見ると、三葉が軽く舌を出した。 「付けちゃった」  三葉の囁き声が、桐士の耳をくすぐる。さらに驚いたことに、三葉はリップを塗ったのだろうか、唇がほんのりピンクに色づいていた。 「おかしい、かな」  三葉が、急に不安な表情に変わる。桐士は、首がもげるくらいに顔を左右に振った。それを見た三葉が、口元に笑みを浮かべる。 「じゃあ、勉強、しよっか」  三葉も勉強道具を机に置いた。しかし桐士の頭はもうそれどころでは無くなっている。三葉が軽く動く度に、香水の香りが桐士の鼻をくすぐった。 「そうだ、桐士くんに教えて欲しい問題があって」  三葉が問題集を桐士の方へと見せる。それと一緒に三葉も桐士の方へと体を寄せた。肩と肩が触れ合い、手と手も触れ合う。桐士は、ぼぅっとした表情で三葉を見つめた。 「お、おう」  桐士は生返事を返し、問題集を覗き込む。同じように三葉も問題集を覗き込むと、二人の顔と顔が触れ合うほどの距離になった。  また二人の目が合う。桐士は、もう自分を止めることができなかった。重なり合う唇と唇。んんっという声が、三葉の唇から洩れる。  ゆっくりと唇が離れた後も、三葉は桐士のことをじっと見つめていた。桐士は急に我に返り、顔を真っ赤にしながら口を押える。 「ご、ごめんっ」  いけないことをしてしまった。そんな思いに駆られ、桐士は顔を背ける。  と、三葉が、桐士の腕を引っ張った。 「桐士くん、こっち向いて」  三葉にそう言われ、桐士が恐る恐る三葉の方へと顔を戻す。すると、今度は三葉が桐士の唇を奪った。 「これで、あいこ、だね」  そう言って三葉が笑う。  その日、二人の勉強はほとんど進まなかった。

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