作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 アルバムを一人でパラパラとめくりながら、全く遺影が決まる予感がしなかった。そもそも遺影というものは、どんな写真がいいんだろう。こんなことを私はやったことがないのだ 『やったことがないは言い訳にならない。誰だって初めてはあるんだ』  ふいについこの間辞めた会社の先輩の言葉が頭の中で蘇った。未経験の業界のプロジェクトにアサインされそうになり、断ろうとしたときに言われた言葉だ。  もう会社は辞めたというのに、なんでも仕事に絡めて考えてしまう。花屋で花を見ているときでも、車窓から海を見ているときでも、打上花火を見上げているときでも何かしら仕事に絡みつけてしまう。いまも母の遺影探しで、仕事を思い出している。私は元カレが言っていたとおりワーカホリックだったなのかもしれない。  カチッという音が聞こえて我に返った。なんの音だろうと見上げると壁に掛けられた時計の音だとわかった。  何してるんだ、と心の中で呟き、私はアルバムに向き合う。この一冊はこれで終わりのようだ。これといった写真は見つけることができなかった。   私は、無作為に積み上げられた次の一冊を手に取った。これもまた重かった。開いてみると、だいぶ古い時代の写真のようだった。写真の右下に撮影された年月日がプリントされていて、そこから1992年の写真だとわかった。  私が生まれる以前の頃だ。  いまと色味が違うような気がするが背景は横浜アリーナだとわかった。誰かのライブに行ったときの写真らしい。  写真の中で笑う母は、当たり前だが随分若く、昨今、若い女の子たちにリバイバルしているような前髪をしていた。ツアーパンフらしきものを右手に持ち、左手でピースサインをしていた。  目を凝らすと、母が好きだと言っていた三人組ユニットのライブだとわかった。   ページをめくると、そのライブついでだったのか、横浜のあちこちを巡っていたことがわかった。山下公園で撮った写真の背景にみなとみらいが映っていないことに気づき、なぜだか笑ってしまった。いまの私が住んでいる横浜とは異なる横浜に母は出没していた。  都会嫌いの母が横浜に行ったことがあるなんて私は知らなかった。  積み上げられた順にアルバムをめくっていくと時代が遡っていく。母が若返っていく。  高校時代のバドミントン部らしき写真があり、どんな大会のものかわからないが、賞状を掲げている。  中学時代の宿泊学習らしき写真では、仲の良い友達だったのか、やたらと同じ女子三人で映る写真が出てきた。  母が二十七歳のときに生まれた私が、十代の母を見たことがないのは当たり前だが、私は母がバドミントンをやっていたこと、どんな子と仲が良かったなどは全く知らなかった。  どんな十代を過ごし、どう大人になったのか、父と出会う前に誰かとつきあったことがあったのか、私が質問しなかったせいもあったのだろうけれど、母は私にそれらを語ることはなかった。  母はずっと家事と育児に追われ、私はただその環境に甘えて成長した。大人になったつもりで私は家を出た。  もっと話せばよかった。もっといろんなことを聞いておけばよかった――、ふとそんなことを思ってしまった。こうやって写真を見ている今なら聞いてみたいことがたくさんあるのに、写真の中で笑う少女は何も語ってくれない。  埃っぽい匂いのする部屋で私の視界は滲んだ。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません