歯車
鈴本鈴夏

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横断歩道を渡る時、いつも死を身近に感じる。日常の中で気持ちが楽になれる瞬間。白い線をゆっくり踏む。生きる苦しみを噛み締めながら。道路に踏み込んだ途端、横から来た車が私の体を攫い、遠くの地面に打ち付ける映像が、脳裏でプレイバックの様に流れる。毎朝、通学路のこの交差点で繰り返している事だ。ふと足元から目を逸らすと、前方に蘭の後ろ姿が見えた。揺れるポニーテールの後ろ姿を、私はもう長い間見てきた。彼女はいつも、肩を並べて歩いているようで、実はずっと前にいる。追いつきたくても追いつけない存在。親友でありながらそんな事を思ってしまう。歪んだ考えを振り払い、陽気に彼女に声を掛ける。肩ほど長いポニーテールを翻しながら蘭が振り向いた。 「おはよう。今日は早いんだね。」 まるで私が遅刻魔だと言わんばかりに悪戯っぽく笑う。蘭のそんなところにいつも救われているのだろう。私の暗さなんて弾き飛ばすような蘭の空気に飲み込まれることが、心地よくて、恐ろしい。蘭と私はまるで光と影だ。光が強すぎると影は薄れていく。  早朝の教室は人が少なくてどこか新鮮だ。一人席に着く。春の終わりに差し掛かっているが、窓から吹き込む風はまだ涼しい。暇を持て余し、蘭の方を見てみるが、せっせと提出物に取り組んでいる。私は机から延滞している本を取り出し、読むことにした。今日にはこの本も返さなければならない。たまには恋愛小説も読んでみようと思って借りてみたけれど、結局私にはそういう感情が分からなかった。どうすれば他人をそんなに好きになれるのだろう。自分が今日を生きることに精一杯なのに、他人を好きになる余裕など無い。勿論、そんな人間を好意はおろか、興味を持つ人など現れるはずもなく、体だけが大きくなってしまった。周りの皆に置いて行かれている感覚が体の成長とともに強くなっていった。  どれだけ死を待っても、同じ日々の繰り返しで、毎日朝が来る。今は一人で考える時間が必要なのかもしれない。今日は頭が痛くて気分が悪いから学校に行けないとだけ言い、一日中ベッドから出なかった。ただ何もできずに時間だけが過ぎていく。知らぬ間に日は沈んでいて夜になっていた。暗闇の中でスマホを見てみると、蘭からメールが来ていた。 「体調大丈夫?明日は来れそう?」 心の中でありがとうと呟きながら涙が出そうになる。心配してくれる人は蘭くらいしかいない。でも、だからこそ言えない悩みもある。これ以上心配はかけたくない。結局、今日休んだことも、時間を浪費しただけで、何の解決にも繋がらなかった。ただの気休めに過ぎなかったのだ。もう、全て終わりにしたい。SNSを開き、緊張で震える指先で恐る恐るタイムラインを書き込む。 「もう楽になりたい。」 今までずっと誰かに言いたくて、苦しかった。誰でもいいから、許して欲しかった。最後の時間を噛み締めるようにゆっくり送信ボタンを押す。少しの間涙を流していると、タイムラインに返信が来た。 「もう楽になってもいいと思う。」 たった一言だった。その一言が、こんなにも私の心を救うとは思わなかった。今までにない解放感を味わいながら「ごめん、ありがとう。」と嗚咽交じりに呟いた。  風呂桶に水が溜まっていくのをぼーーっと眺めている。改めて見ると、水ってこんな色だったんだなぁ。置いていく両親に申し訳無さを感じながら、ゆっくり水に体を漬からせる。洗面台からこっそり持ち込んだカミソリを手首にぐっと押し付け、ゆっくり横に滑らせる。滑らかだった手首に、一本の赤い筋が出来た。そこから徐々に血が滴り落ち、水面に波紋を作る。紅く染まった水面に顔を半分沈め、口から息を吐いてみる。口から出た気泡が目の前で弾けた。改めて息が続いている事を実感する。だが、そろそろ眠くなってきた。遠のく意識の中、瞼を薄く開きながら最後の景色を目に焼き付けようと思った。 思い返せば、やりたい事も、私を好いてくれる人も居なかった。学校に行って勉強して、そのまま大人になって、仕事だけが生きてる意味になる気がした。社会の歯車になることだけが生きてる意味だと思っていた。でも、私は誰からも必要とされていないから、社会からも必要とされる自信が無かった。その事に気付いてからだ。消えたいと思うようになったのは。死んだら悲しむ人はいても、結局、私が居ても居なくても何も変わらないだろう。これ以上生きていても無駄だ。早く終わらせたい。延々と繰り返すだけの日常と、このまま大人になっていく恐怖から解放される喜びを噛み締めて、瞼をゆっくり閉じた。 「ああ、私結局何も残せなかったなぁ。」 風呂場には最後の言葉が空虚に響くだけで、瞳は既に乾ききっていた。

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