Scene 8(ケンチ)

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「お前のこと面白いと思っている奴なんて誰もいねえんだよ」  一週間前。いつもネタ合わせをしていたカフェで信頼していた相方のリョウヤから告げられた言葉を何度も思い出す。醜く縋れば良かったのかもしれない。だけどその言葉は鉛のように重たく心に沈んで俺の動きを制限してその場から動けなかった。 「よりによってなんでこの場所なんだよ」  誰も居なくなった二人がけ対面の席に向かって呟き、手前に置かれたマグカップを口に運んだ。  ぬるくなった珈琲は何故かしょっぱい味がした。  俺の周りを纏う空気の変化に気付いていなかった訳ではない。俺にだけダメ出しをしてくる講師。それを見てクスクスと笑う同期達。話しかけても無視されたり、SNSで飲み会があったことを知った日もあった。  辛かった。  それでも俺はずっと笑っていた。深く考えないようにして。幼い頃から「楽観的で明るい所だけが取り柄だ」親に言われて育って来たからだ。  それに俺にはリョウヤがいる。  リョウヤとは、他人にはあまり理解されない、好きな地下芸人と好きな女の仕草が一緒だったことから養成所に入ってすぐ意気投合し、コンビを組んだ。リョウヤのことを俺は唯一無二の相方だと思ってた。   ある日酔っ払って夢を語った居酒屋で「相方は夫婦より深い絆で結ばれている」と言ったリョウヤの言葉が嬉しくて俺は笑報の見開きにメモしていた。世界中が敵に回ってもリョウヤだけは味方で居てくれる。そう思っていた。  とんだ勘違いだった。  なんてことを考えながら客席にラーメンを運んでいると、厨房から客席へ降りる小さな段差につまづき、客の膝の上に盛大にラーメンをブチまけてしまった。 「何やってんだ、お前。今日三回目だぞ」  怒鳴り声を上げて俺の頬を殴ったのは店長だった。続いて店長が客に殴られているのを俺はぼうっと見ていた。客が機嫌を悪くして店を出て行った後に店長が俺に「お前はクビだ」と言った。当然だろう。逆に二回も許してくれた店長は寛大だ。  店を出た俺は家に帰る気にもなれなくて近くの公園のベンチに座って空を眺めていた。西日に照らされて赤くなった空と店長の拳で腫れた俺の頬の色がどことなく似ている気がした。  雲になりたいと思った。  自由に空を飛んで自在に形を変え、気が付けば溶けるように消えている。そんな存在になりたいと思った。  *****     リョウヤに解散を告げられてから俺は養成所に行っていなかった。ラーメン屋をクビになってから数週間。誰とも会わず、連絡もとっていなかった。  朝目覚めると必ず枕が濡れている。ずっと家にいると頭がおかしくなりそうで近くに散歩に出かけるが、外に出て雑踏の中へ入ると、何処かからクスクスと笑い声が聞こえてくる気がして、次第に人がいない田んぼの畦道などを選んで歩くようになった。足下に生きている雑草を眺めていると何故か涙が出てくる。  家に戻って玄関を開けるとゴミの量に一瞬ここが自分の家かと疑いたくなるが、すぐにこここそが俺の家だ。俺みたいな奴に相応しい家だと気付く。  実家から送られてきた米俵から精米前の米を取り出し口に運び、バリバリと音をさせながら食べる。多分、美味しくないんだろうけど、少し前から何を食べても同じ味がする。  実家の米を食べていると地元の仲間を思い出す。俺の成功を信じて疑わないみんなが、今の俺を見たら心底失望するだろう。もうどんな顔をして会えばいいのか分からない。  俺はもう芸人にはなれない。なら俺は何になれるんだろう。きっと俺から芸人をーー笑いを取ったら何も残らない。リョウヤに解散を告げられた三日後に地元に帰った時にまさきもそう言っていた。自分でもそう思う。勉強も大人としての常識も何一つ学んでこなかったのだから。 「次のニュースです。女優の〇〇△△さんが今朝、自宅で首を吊っているのが見つかりました。警察は自殺と断定して捜査を進めています」  ずっとつけっぱなしだったテレビから突如として耳に入り込んで来た訃報を見て俺は笑った。  ふふふ。ふふふふふ。  と、狭い部屋に響く俺の笑い声は確かに俺のものだけど、俺のものではないみたいだった。その女優は大して好きでもなかったが、誰でも一度はドラマやCMなどで目にしたことがあるような女優だった。  何度リセマラしたら得られる人生なのだろう。  俺は笑いながらそんなことを思った。  こんなゴミ溜めなんかとは違う、煌びやかな世界で生きる人をも魅了する世界。どんな所なんだろう。そう思った。俺もその世界に行ってみたい。そんなことを思っていた。  *****  一生を終えるならここが良いと昔行ったことがある場所を思い出した。  東京駅から新幹線に乗ってそこに向かうことにした。その場所に一緒に行った鈴香のことも思い出した俺は、車内で鈴香に別れようという旨のLINEを送った。  ずっと連絡を放置していた分際で言えることではないが、鈴香には前を向いて新たな恋路を歩んで欲しかった。  すぐに鈴香から折り返しの電話がきたが俺は電源を消す。新幹線が目的の駅について、ホームにあるゴミ箱にスマホを捨てた。

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