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 出版から三か月が過ぎた。高子さんは本が刷り上がったあたりでいつの間にか消えてしまっていた。別れの言葉も交わせず夢でも見ていたような気分になったが、彼女の望みが叶ったのならそれでいいと思うことにした。  ただ、問題が発生している。いや、むしろ喜ばしいことなのだが。 俺は窮地に立たされていた。 「なあ、話したいって先方が言ってるのにどうすんのよ。対人恐怖症ったって限度あるだろ、仕事なんだから」 「すみません」  映画化。そう、この短期間に大ベストセラーとなった高子さんの小説に映画化の話が来ていた。しかし本人が出てこないので頓挫している。話せるわけがない。もうこの世にいないのだから。  首に縄をつけてでも連れてこいと編集長にどやされ、もう全てを打ち明けて変人扱いされるしかないと思ったそのとき、デスクの電話が鳴った。 「あの、私、たぶんですけどあの作者さんの血縁の者です。会ってお話できませんか?」  冷やかしかもしれないとも思った。それでもこの窮地から抜け出せるならこの際なんでもいい。 「はじめまして。黒田島典子と申します。早速ですが、これを」 「……これは!」  社の側まで来ていると言われて飛び出した俺が渡されたのは、高子さんと初めて会って語り明かしたあの夜の原稿だった。正しくは、百年の時を越えた生の原稿。 「なぜこれが……」 「驚きますよね! 家を整理していたら高祖父の姉の遺品が出てきて、私も驚いて。文体も時代めいているし偶然とも思ったんですけど、登場人物の名前が殆ど同じなので」  怒っている様子はなく、純粋に好奇心で前のめりになっている。その雰囲気で信じてもらえそうな気がした俺は、ここまでの全てを話すことにした。 * 「そういうことでしたか」 「変だと思わないんですか?」 「思いませんよ! というかですね、実はこれも見て欲しくて。途中なんですけど」  彼女はからりと笑いながらもう一束の原稿をカバンから取り出した。彼女が書いた小説だった。のだが。 「ってこれ、私と高子さんのことですよね。どうして……」 「騙したみたいでゴメンナサイ。実は飯倉さんのことを高子伯母様から聞いていたんです。私が作家になりたいと言ったら飯倉さんを頼れって。私、かわりになれませんか? 私が書いたということにすれば、映画も作れるし無名の新人をイチから売るより堅いですよね」 「それはいけないよ。高子さんは高子さんだし、あなたはあなたです」  正直、彼女の言う通りかもしれない。  幽霊話をしないといけないところを回避できるし、出来上がった土台の上に城を築くほうが早い。けれど俺は高子さんのあの情熱を違う誰かで上書きしたくないし、目の前の彼女をイチから売り出したいと思った。  これからはもっと作家と二人三脚で、ネットも駆使して、やれることを全部やって全力で売りたい。  こんな熱い気持ちを思い出させてくれた高子さん、そしてその血をひき作家を目指す人が目の前にいる。いつからかベルトコンベアのような仕事をしていた自分に気付かされた。こんな俺じゃ売れなくて当然だったのだ。  そしてある日のこと。  いつものようにコンビニで買い物を済ませると、占い師が久しぶりに声を掛けてきた。 「お話合いが済んだみたいですね」 「ええ、おかげさまで」 「でも気をつけてくださいね。女はこわいですよ。したたかで、しなやかで。まあそれが魅力的でもあるのですから、それを楽しむとよいですよ」 「はあ。そんなものですかね」  言葉の意味はよくわからなかったが、俺の側に高子さんがいないことをはっきりと証明されたような気がして、少し寂しくなった。

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