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 びゅーん、びゅーん。と、自分自身を大人──もしくは大人に類似した何かと勘違いしているような男子達が、今日も教室の後方で子供じみた遊びを繰り広げている。  こんな騒がしい空間で、絵を描こうとしたのが間違いだったか。良い絵を描ける未来が見えない。とは言え、授業中も教師の目を盗んで絵を描いているような人間だ。少し離れてみることも大切かもしれない。  ノートを机の中に入れて、黒板の上に掛かる時計に視線を移す。昼休みが終わるまで、三十分。充分だ。  イヤフォンを装着し、好きな音楽を流す。俯き、上着のポケットに両手を入れたまま、なるべく人と目を合わさないように努めた。しかし、そんなことをせずとも誰も俺に話しかけないことくらい解っていた。  向かうは、音楽室。  いつも通り、準備室のエレキギターを手に取る。首を吊るなら、テレキャスのシールドで吊ってやろう。アンプに繋ぎながら、誰に言っても笑われるであろう夢を思い描いてみる。誰にも言う気はないし、聞いて欲しいとも思わないけど。  いつものピックを選び、鳴らす。鳴らす。弾いた音が、そのまま響く。心地好い。好きなシンガーソングライターの、あのイントロを弾く。最近、やっと弾けるようになった。まるで、俺自身が彼になったような感覚に陥る。ステージに立つことができたなら、どれだけ気持ちいいだろうか。  複雑なリフのフレーズに、指が追い付かない。が、それすら楽しく感じる。 ──カシャッ  不意にカメラのシャッター音が響いた。 手を止め、音の出所を目で探す。 「今日も良い顔をしてますな」  準備室の入り口に、一眼レフカメラを手に持った女子生徒が立っている。 思わず嘆息を漏らす。邪魔が入ってしまった。 「毎日毎日、飽きないね。あんたも」  女子生徒──瀬名は、いつの間にか俺と共に入り浸るようになった。 数週間前、今日と同じようにギターを弾いているところに颯爽と現れ、言葉を失っているうちに何枚も写真を撮られた。何度断っても、幼い子供のように嬉しそうに撮るものだから、もうそのままにしている。 「ねえ、君がギター弾けること、皆知ってんの?」  シャッター音が鳴る。 「さあ。多分、瀬名だけじゃね?」  指が音を奏でる。 「じゃあ、今私だけが独り占めしてるのか。君の弾くギターの音」  シャッター音が鳴る。一回、二回、三回。 ファインダー越しに、俺の姿はどう映っているだろうか。 「……殴んぞ」 「怒った?」  教室とは比べることのできない空気が流れている。 きっと、瀬名にも言えない悩みがあるのかもしれない。俺が絵を描いて、それを忘れるように。ギターを弾いて、忘れるように。彼女なりに逃げ道を探した結果、それが写真を撮ることだったのだろう。そう考えると、止める理由など存在しないのではないか。  俺にとっても、瀬名にとっても、この時間は一日の中に必要なんだと思う。 「あのさ、たまには写真撮らずにさ、ちゃんとギター聴けよ」 「えー、ギター弾いてる君の顔、撮り逃したくないんだけど」  好きにしろ、と勝手にメロディーを弾く。途端に、シャッターを切ろうとした瀬名の手が止まる。 「あ、私の好きな曲ではないか!」  カメラを膝の上に置き、キラキラと効果音が鳴りそうなほどに目を輝かせている。 本当に素直に生きているのだろうと、心底羨ましくなる。  最後の一音を鳴らすと、瀬名は立ち上がって拍手をしてくれた。その瞬間を逃したくなかったのだろう。カメラを奪い、彼女にレンズを向けて、表情が変わらないうちにシャッターを切った。  未だ状況を飲み込めていない瀬名に、写真を見せる。きっと自分自身が撮られることには慣れていないのかもしれない。顔を仄かに赤らめて、消して!の一点張り。 「私は要らないんだよ。君の写真だけで良いの」 「良いじゃん。こんなに楽しそうに笑ってんのに」  そう。俺と違って、瀬名は綺麗に笑う。感情が、そのまま表情に乗る。 「俺の方が、あんたのこと上手に映してるでしょ」 「絵も描けて、ギターも弾けて、その上、写真も撮れるなんて……」 「被写体が良いだけだよ。俺は、瀬名みたいに写真撮りまくってない」  チャイムが鳴った。もう、この時間が終わる。 「じゃあ、明日もよろしく。今日以上に撮りますので」  瀬名が去ってゆく。離れたくないような気がした。そんなことを思ってしまった。 もう教室に戻りたくないから、せめて、もう少し。  気が付くと、瀬名の白い腕を掴んでいた。振り返る。 「あ、ごめん」  慌てて離す。俺の視線の先には、カメラのレンズ。 ああ、酷い顔をしているに違いない。  また、シャッター音が鳴る。レンズの向こう、瀬名の笑み。

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