叶わない恋を叶える方法
【第四章】夢(5)

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□□□□□  彼が本を読んでくれる時間は、かげがえのない宝物のように輝いている。  これまでは、表紙や挿絵で物語を想像していた。彼の口から語られる物語は、一瞬その世界へ連れ去るほどわたしを夢中にさせた。  冒険もの、空想のもの、過去の歴史、戦争。  彼の口から紡がれる物語はすぐに映像が思い浮かぶから不思議だった。  まるで新しい世界へ誘う箱舟のよう。  毎日彼が来ることを心待ちにしているわたし。  閉館の時間が悲しくて、「また明日」と言う彼の言葉は、胸に希望の明かりを灯す。  図書部屋の鍵を閉め外に出るとき、 「リク」  そう彼は言った。  振り返るわたしに、彼はあさっての方角を見ながら咳ばらいをする。 「俺の名前はリク」 「リクさん……」  反芻しているうちにハッと気づく。自分の名前を言わなくちゃ。  リクさんは三日月のような唇を少しあげた。 「君はハナ。前にタロウさんが教えてくれた」 「あ……はい。ハナです。自分から言わなくちゃいけなかったのに失礼しました」  激しく打つ心臓を押さえ頭を下げると、リクさんは軽く首を振った。 「俺のほうがその話題を避けてたから。あまり人と深くつき合うのが好きじゃないんだ」  何度もうなずくわたしにリクさんが「ハナ」と言った。  そこに意味はなかったと思う。けれどいつもよりもやさしい温度に感じてしまう。 「リクさんには本当に感謝しているんです。おかげでたくさんの言葉を覚えました。もちろん、まだまだですけれど」  緊張のあまり早口になるわたし。 「でも、わたしのせいで読書をする時間がなくなっちゃいましたね」  実際に家庭教師みたいに尋ねてばかりのわたしに、彼の本を読む時間は少なくなっていた。 「構わない。どうせ同じ本ばかり読んでいたから」 「そういえばそうでしたね。いつも読まれていた本は、どういう内容のものなんですか?」  文字だらけの本はタイトルも知らない。 「あれは歴史の本。この国の過去のことが描かれているんだ」 「そんなに好きな本なら、わたしも読んでみたいです。あ、聞いてみたいです」  言い直すと、リクさんは少し口角をあげた。  こうして笑いかけてくれることも多くなった。  反面、うれしい気持ちをすぐに消火する癖がついていた。  リクさんには愛する人がいる。  名前はアイコさん。  きっと美しい人なのだろう。  それでも、本を読んでくれる時はわたしだけの彼だった。    それでいい、と思えた。  そう思うことにしたのだ。 「じゃあ今度読んでやるよ。きっとハナは驚くだろう。戦争が起きる前のこの国は、今とはずいぶん違ったから」  上を見あげたリクさんにつられるようにわたしも顔をあげた。  薄暗い世界が広がっていてなにも見えない。  外灯の柿色がさみしく石畳をぼやけさせている。  わたしのいる世界には本にあったような青空も雨も雪もない。いつか見てみたい、あなたと。  ――好き。  秒ごとに浮かぶ気持ちは口にしてはダメなこと。  はじめての恋のちょっと先にある結末はあまりにも残酷だ。  上を見続けている彼が怒っているように思えて不安になる。  やがて、わたしが隣にいることを思い出したのか表情を緩めた。 「俺が読んでいる本さ、こいつとの思い出の本なんだ」  ごつい指先で胸元の飾りをさした。 「アイコさんですね」 「読めたのか? すごいな」  目を少し大きくしたリクさんに、微笑みながら心の中で泣く。  こんなことにもやがて慣れ、やがて感情は麻痺してしまうのだろう。  去っていく背中にはじめての感情が生まれている。  わたしのなかで生まれた怪物が、『あなたのことが好き』だと泣いている。  わたしのなかにいる怪物が、『アイコさんがねたましい』と叫んでいる。 □□□□□

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