叶わない恋を叶える方法
【第三章】あなたが好きなもの、こと、人(4)

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 六話が終わったところで真理亜は帰った。  置き去りにされたアニメの続きを見る気にもなれず、DVDをケースに戻した。  三階にある部屋からは、夕暮れに染まる空が見える。木曽川と長良川に挟まれるようにある柳津町は広く、自転車で回るには厳しいくらい。  私も大学進学と同時に自動車の運転免許を取得した。といっても、実際は中古で買った原付バイクしか持っていないけれど。  窓の下には田んぼが広がっていて、春先にはカエルの大合唱が夜中まで聞こえる。そんな町で私は中村さんに恋をしている。  真理亜の言うことももっともだ。私たちはいつもひとつの物ごとを多角的に見ようとしてしまう。目をこらすほどに事実ではない部分まで見えたような気になり、勝手に傷ついたりよろこんだりしている。 「もっと単純に、か……」  テーブルに置かれたままの袋が目に入った。取り出すと『ホリデイ』の登場人物たちが幸せそうにほほ笑んでいる。キャメロン・ディアスの映画は何本か観たことがある。チャーミングで無防備な笑顔はまさしく太陽のよう。  今度REINに行ったときには感想を言わなくちゃいけないよね。単純に考えるなら、今はこれを見るべきだろう。  薄いフィルムをはがそうとするけれどピッタリ貼りついていて取れそうもない。爪で切り目を入れてなんとかはがすと、スマホがぶるんと震えた。  見ると健太からのSNSメッセージだった。 『今日はごめんね! ヘンなこと言ってごめんね! 気にしないでね!』  気にしろ、と言っている合図だ。  もう、と電話をかけると秒で『もしもし』と低いトーンの声が聞こえた。まだコンビニにいるのだろう、『お疲れす』と愛想のない声のあと電子音がしている。  コツコツと歩く音のあと、 『もしもしぃ。お待たせー』  やたら明るい声がした。 「お疲れ様。今日も残業?」  時計を見て言うと『そうなのよ』と健太のため息が届いた。 『辻本さんが途中でダウンしちゃってね、結局ひとりでやる羽目になったから大変だったの』 「辻本さんが? え、大丈夫なの?」 『大丈夫大丈夫。寝て起きたらケロッとしてたから。奥さんが迎えに来たんだけど、なんだか倦怠期っていうのかしら。奥さんすっごく不機嫌そうだった。苦虫を噛んで噛みまくってから飲みこんだみたいな顔してたのよ』  おほほ、と笑う健太。いや、それどころじゃない。 「私、勤務代わってあげればよかった……」  寝不足なのを知っていたのに、家に帰ることばっかり考えてしまっていた。アニメなんて見ている場合じゃなかったんだ。 『そんなことないって。あんたはいつだって考えすぎなのよ』  真理亜みたいなことを言ってくるから、思わずムカッとしてしまった。 「じゃあ気にするようなこと言わないでよね。だいたい、今日だって健太が下条さんの――」  そこまで言ってから口をつぐんだ。  私だって余計なこと言ってる。恐る恐るスマホをギュッと耳に近づけると、 『うー』  犬が怒っているような音がしている。 「そういう意味じゃなくってさ……」 『じゃあどういう意味なのよ! ひどいじゃない、その話はしたくないって言ったのにぃ』  今度は小型犬のようにキャンキャン高い声で叫ぶ健太に思わずスマホを耳から遠ざけた。 「ごめんごめん。もう言わないよ」 『うう』  と言ったあと健太の大きなため息がスマホ越しに聞こえた。 『いいのよ。アタシが余計なこと言ったんだし』  さっきまでの勢いはどこへやら、しゅんとしている大きな体が安易に想像できた。 「気にしないでって言うなら聞かないからね」 『気にしないで。でも、ちょっとだけ気にして』 「なにそれ」  苦笑すると、スマホの向こうの声も少し笑った。 『よくわからないの。でも、気にしてくれる人がいるって思えば勇気が出るから』 「わかった」  テーブルに置いたBlu-rayに視線を移す。半分はがれたフィルムを指先でつかもうとしたときだった。  ふいに視界が揺れたのだ。 『ねぇ、佳織。アタシ――だけどさ、って――だと思わない?』  途切れる声は予感。『ホリデイ』の文字が踊るように揺れて、ぼやけだした。またあの夢を見るんだ……。 「健太!」 『なによ――声出して。――するじゃないのよ』 「お客さん来ちゃった。ごめん、切るね」  ちゃんと言えたかわからない。ソファに崩れるように座りこんだ。 『わかった。――ね。じゃあまた――』  スマホを見ると、ぐわんぐわんと前後に揺れている。たぶん通話は終わっている。  床にずるずると体を落とし、そのまま横になる。  不思議だ。  前よりも視界のふちが黒くなるスピードは遅くなっている。 「また夢を見るの?」  問いかけると、まるで返事をするかのように視野が失われていく。  ハナ……。あなたの恋はどうなったの?   私と同じように、かなわない恋をしているの?  目を閉じれば、暗闇の向こうにオレンジの世界が広がっていた。

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