ウエストバンクーバーの風
ウエストバンクーバーの風

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 メジロを踊った。子供の頃。トラックの上で多くの人が点在して、私たちを上から大人たちが見下ろしていた。笑ったり、手拍子をしていたり、ビデオカメラを掲げている人も居た。所詮見せ物なんだと思うと羞恥すらもなくなった。ただ彼等に私がどういう風に映っているのかが気になった。そのビデオカメラに、私はどう映っているのか。退場から入場まで記録されたそれに、私の顔はどのように映っているのだろうか。そして今、私はどんな顔をしているのだろうか?  運動会を嫌った経験はたぶん大半の人があるだろう。体育祭などと名称を変えても、お遊戯会だということに変りはない。私たちの成長を見るだけのお遊び。勝ち負けとか、どうだっていい。ただ勝って喜んで、敗けて悔しんで、それで大人たちが満足すればいいだけの、お遊戯会。まるで奴隷が貴族を喜ばせるために芸をやるみたいに、私たちは大人のために汗を流した。そしてその声を上げることは出来なかった。私たちという形容を使って、結局私自身も同調せずには生きられなかった。そうしたお遊戯会に何とか参加せずにしようと思った。怪我をすれば休める。体調を崩せば休める。あの白いテントの下で、松葉杖をつけながら外側からばからしい遊びを眺められる。人に揉まれて灰を纏う姿を遠目から見られる。  けれど、それが嬉しいはずなのに、どうして秋爽は味方をしないのだろう?  なぜ私はあの場で輝いていないのだろう?  保健室だけが居場所だという同級生がいた。体育祭も案の定テントの下にいて、彼女と話したのはあのときが初めてだった。バスケットボールを取り損ねて突き指をした。しばらくすれば痛みが治まるだろうと思って放置しても、一向に治まる気配が見えなかった。ズキズキと振動した。薬指の第二関節が暑くなった。「どう?」と友人が訊いてきた。「大丈夫だよ」と指を見せた。違和感があった。それはどうも左手と比べても明らかに腫れていたのだ。  すぐさま友人が教師に相談して保健室に行くことになった。そのときにも彼女は居た。養護教諭は私の指を触り、しばらくすると保冷剤を取り出した。保冷剤を私の指に置いて「手を添えて」と言った。「しばらく冷やしてみて。五限が終わったらすぐに来て」私は頷いた。保冷剤を片手で持ちながら、私は教室へ戻った。着替えは終わってみな昼食を摂っていた。 「大丈夫だった?」と友人が駆け込んだ。「うん」と答えた。友人は保冷剤を一瞥した。「どうだった?」私は首を振った。「わからない。捻挫かもしれないし、ほんとうに突き指かもしれない」「そっか。お昼食べれる?」私は彼女の後ろを見た。私の席は空で、友人は他の人と食べていた。「うん、今日はお弁当じゃないから」彼女は微笑んで別の人の元へ帰っていった。  このとき食べられないと言っていればどうなっていただろう。結局何もなく大変だねと笑うかもしれない。それでもあのとき頼る素振りをしていれば今とは違った景色を見ていたかもしれない。それまでと変わらない景色をずっと見ていたかもしれない。  いつまでも変わらない光景を、高速道路から降りずに見ていたのかもしれない。  彼女と再会したのは私が剥離骨折で体育を休んでいたときだった。久しぶりに顔をみた彼女に私は好奇心から問うてみた。「今日は保健室にいないの?」と。  彼女は言った。「どうして?」 「いつも保健室にいるイメージだったから」  彼女は表情一つ変えずに前を向いた。バスケットボールの音と体育シューズのこすれる音が届く。半分より向うでは男子がバレーボールをしていた。 「逃げてると思ってる?」 「え?」  彼女の瞳がこちらを覗いた。まるで道路脇の不可解な穴のような深さだった。 「保健室って不思議ね。みんなが避けていくもの」  静かに溶けるような声だった。 「でも高校になるといつのまにか立場が逆転している。疎遠だと思っていた場所が近くなって、みんなそれに憧れるの」  彼女は私を見てにやりと笑った。 「あなたは?」 「私?」彼女は頷いた。 「あなたはそれに憧れちゃった?」  そう言って彼女は立ち上り、教師のところへ行った。それから彼女がこの授業に戻ってくることはなかった。  彼女とふたたび会ったのは、それから二ヶ月が経った、夏休みの終わった頃だった。蒸し暑さが残るなか、ふと爽やかな風が頬をくすぐった。そんな季節。白いテントの下で彼女は忙しく動いていた。膝に絆創膏を貼っていたり、水をあげたり、時々教師と話したりしていた。私の仕事は人を撮ることだったけれど、彼女を撮る気にはなれなかった。もっと眩しい人たちが居るのに、日陰にいる人を撮る物好きは居なかった。  けれど、どうしてだろう?  彼女を撮りたいと思ったのは、日陰だったからだろうか?  彼女を撮りたくないと思っていたのは、日向に居なかったからだろうか?  わからない。  みなが入場行進をしているなか、私はそれらを撮っていた。部活動に所属している人たちはそれぞれの仕事があって、私は撮ることが仕事だった。基本的には体育祭の様子を写真に収めること。部員全員で競技を撮る。自分の撮る競技が決まっていたが自分が参加する競技には必ず出なければなかった。それに託つけて参加しないというようなことはできなかった。しかし、入場行進と開会式、閉会式は別だった。全員参加と謳っておきながら参加を免れることができた。正しく整列している側から彼等を眺めることができた。  それでも、テントの下にはかなわなかった。何も遮るようなものはなかった。撮る以外は姿勢を正しくしなければならなかった。結局私も彼等と同じようにしないといけなかった。私を羨むものはひとりもいなかった。  わからない。  私は羨んで欲しかったのだろうか。  わからない。  私は私を主張したかったのだろうか。  わからない。  私は彼女が羨ましかったのだろうか。  わからない。  輝きというのは不思議なもので、決して光が届かない場所にいたとしても輝いて見える人は居る。暗いと思った場所がその人にとっては明るい場所だったりする。明るい場所が、人にとっては暗かったりもする。  私のなかの輝きはどこだったのだろう?  白いテントの下?  違う、あの場では彼女が輝いていた。  じゃあ騒々しい教室?  違う、あの場では友人が輝いていた。  じゃあ私が輝いた場所は? 私がまだ輝いていた場所は? そしてその輝きが消えた場所は? あのメジロだって、私は輝いていなかった。……  風が吹いている。どこから訪れたかわからない風。それでも頬を冷やして、汗を拭って去っていく。冷たい冷たい風、静かに吹き去る風。  爽やかな、秋の風だった。

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