掌小説
ボールがあっちにいっちゃった

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 地下トンネルの上に、原っぱがある。フェンスで囲まれ、何もない。ただバスケットボールのコートくらいの大きさの大地が広がっていた。日中は犬を走らせている人を見かける。この辺りではめずらしく、球形に広がる空を見ることができた。  僕は夜十時に訪ね、腰ほどの高さのフェンスを越える。  靴底の擦り減ったスニーカーが、大地をとらえた。  足元の大地の下は高速道路だ。絶え間なく車両の振動を感じる。手の平に爪を立てた。ポケットに手を入れて数歩歩くと、ピンク色のキャンディーボールがつま先に触れる。軽く蹴ったつもりが、思いのほか強力な弾性で、ぽーんぽーんと遠くに跳ねていった。  春休みになって、煙草を吸い始めた。アイリッシュイディオットという名の煙草に火を点けると、同じようにフェンスを越えてくる女が見えた。塾講師の川北先生。 「こんばんは」  先生はそう言って儀礼的に微笑んだ 。僕もこんばんは、と返す。 「こんなところで? 本当に、こんなところで?」  先生の声がかさついている。両肘を抱きかかえながらそう言って、きょろきょろと周囲を見渡した。群れからはぐれた猿みたいに。  先生はふわふわの髪をゆるく一つに束ねて、大きなカーディガンを羽織っている。  女生徒たちから「先生って超かわいい」と言われてる大きな目が、不安げに揺れている。 「大丈夫だよ」  そう言って僕は先生の腕を掴んで引き寄せ、胸に顔を埋めた。先生の方が、十センチほど身長が高い。 「通りからは、暗くて何も見えないよ」  くぐもった僕の声に、先生が身体を震わせる。  左の手から、火のついたままの煙草がぽとりと落ちた。  中一の頃からこの川北先生と関係を持っている。十一月の塾の教室。補講で二人きりになって、向かい合わせに座った。先生の足の間に足を掛けた。ぶつかり合う固い膝と、弾力のあるふくらはぎ。先生は目を伏せて赤くなった。  水色の膝下丈のスカートの裾から、手を滑り入れた。もう寒い季節になっていたけれど、先生は素足に靴下を履いていて、生のふとももに触れることができた。  あかりとはだいぶ違うな、と思った。  あかりは、僕の妹だ。年長さんで、もちもちのぷりんぷりんの、僕のかわいいかわいい妹。  先生の肉は、ティラミスのようにぐずぐずに崩れ落ちそうな感触だ。 「アキヒトくん。あの、あの……」  先生は二十四歳だそうだ。きっと処女ではないだろう。なのに、中一の僕に触られてこの狼狽ぶり。身体を避けることもしない。僕の指の腹が、やわらかな肉に沈んでいく。  手を奥に進め、パンツに触れた。先生は、口を閉じて震えるようにして首を横に振る。無視して、パンツの薄い布をずらした。ふとももよりずっとやわらかく、温かく濡れた肉片に、指先が触れる。  先生はやり方を教えてくれた。言われた通り指を動かすと、先生はいった。塾の椅子が透明の液体に濡れる。その一か月前に初めての射精を迎えた僕だった。先生は床に膝をついて、椅子に座る僕のを舐めてくれた。 「先生、僕のこと気に入っていたでしょ?」  まるで待っていたかのように、先生は必死に僕のを舐め上げる。口と手を唾液でべちゃべちゃにしながら。 「アキヒトくん、秘密だよ、絶対に秘密にしてね」  先生の虚ろな目を見る。僕の下に這いつくばる先生。僕よりずっと背が高いけど、こうしていると小さな人みたいだ。  知っていた。僕たち生徒に質問を投げかけた後、僕が答えると嬉しそうにするその顔。他のやつらの時と違ったから。授業が終わって先生に質問をしに行った時、教壇に置いていた自分のペンケースの中身を全部ぶちまけたこともあった。小さくヒステリックな声をあげ、教室に残っていた生徒たち全員振り返った。タイトスカートを限界まで伸ばして膝を折り、僕の足元にうずくまってペンを回収していた。  その時生まれて初めて僕は、年上の女の人を見下した。    先生のぬめる平らな舌が、僕の中心に纏わりつく。何度も何度も舐め上げられる。そしてすっぽりと口に含まれた。濡れて温かな口内の肉が、全体に密着する。唇が上下に動くと、僕の背が引きつったようにピキンと反れて、声が漏れてしまう。圧倒的な波がやってくる。そうして僕は、先生の口内に出した。  僕の身体が椅子からずり落ちる。着乱れて、塾の教室の床に座りこむ二人。射精すると、身体からがっくり力が抜けて、すごく疲れてしまう。先生はちゅっと僕の口にキスをした。 「疲れた?」  先生は母性じみた声で言う。 「大丈夫。ねえ先生。他の、誰にも、言わないよ」  ぜーぜーと息を吐きながら、途切れ途切れにそう言った。  先生は僕の顔に触れて指で汗を拭った。そして満足そうに頷く。僕は続けた。 「言わないから。その代わり、またさせて」  それからというもの。意図的に補講を組み、僕らは隙を盗んで行為に及んだ。場所はいつも塾の教室だった。雑居ビルの三フロアを借りている塾で、時間帯を選べばそのフロアに誰もいない状態で補講を入れることができた。  触り合って舐め合うことだけをしていた僕たちだったけれど、中二の春休みには身体を繋いだ。他人の身体の中に入るということ。その意味も知らずに、僕は全方位を先生に包まれて、頭を真っ白にすることを味わっていた。  ガタガタと揺れる机に、パイプで組まれた椅子。ひやりと冷たいケミクリートの床。緑色した床に、精液がパタパタと落ちていった。  中三の秋に、先生にお願いをした。 「受験に受かったら、塾の外でやらせて」  中三の十二月以降は勉強が本格化して、「補講」を組むことも難しくなってしまった。先生と肉体的接触ができない日々を過ごした末に迎えた三月、僕は第一志望の公立高校に合格した。  先生に受かったことを伝えると、「おめでとう」とも言われず、「そうですか、分かりました」とだけ言われた。  受付の裏にある、先生たちの待合室のような事務エリアだった。先生のその言い方が嫌で、僕は先生の靴を踏んだ。肌色のパンプス。勢いを付けて踏んだから、先生は片目を歪ませて前のめりになった。 「約束、覚えてる?」  僕は聞いた。他の誰にも聞こえない小さな声で。 「ええ」  先生ははっきりとそう言うと、暗く微笑んだ。  そうして僕たちは、夜の原っぱで待ち合わせた。  奥に歩きながら、先生を付いて来させた。 「外って、野外っていう意味での外だったのね」  先生は、一人ごとのようにぽつりと言う。生え始めの雑草が、ふわふわと足をとらえる。  原っぱの奥に、背の高い枯れたすすきが生えている地帯がある。すすきの中に、先生を引き入れた。  先生は大きな風呂敷と缶の酒を持って来ていた。風呂敷を敷いて座り、プルタブを上げる。グレープフルーツ味のチューハイだった。 「祝い事には、酒だから」  先生はそう言って一口飲み、得意気に微笑んだ。僕も一口飲む。初めての酒だった。 「高校に入ったら、飲む機会もあるでしょ」 「そういうものかな」  頭がぽわんとする。先生は片手を風呂敷に付き、地面からの振動を味わっていた。涼しいけれど、寒くはない。  一缶飲み終え、もうしばらくは酒というものを飲まないだろうなと思った。 「先生、そろそろ」  そう言って先生の肩に手を置く。先生はしおらしく目を閉じた。  まるで自主的に自分を捧げる生贄みたいに。  風呂敷の上。先生を寝かせて自分を刺す。揺れながら、膝が地面の石に擦れて痛いと思いながら、僕はずっと、考えていた。  これからの人生が長すぎる。  全然、生きていたくはない。  今にもこの膝の下を走るダンプカーに、猛突してくる車に、はねられたい。  狂気を孕んだ人に突然刺されたい。  全然、全く、生きていたくは、ない。 「先生、僕ね、この辺りはよく妹と歩くんだ」  先生は歯を食いしばって声を出すのを耐えている。声出せよ、と僕が注意する。指を先生の口に入れ、先生の顔が歪む。 「妹がね、この原っぱを見て、いつも言うんだよ。この原っぱで遊びたいなって。いつもいつも、言うんだよ」  ふわふわでもっちもちな、あかね。いつも手を繋いで歩いた。家ではダンスを踊るんだ。お気に入りの同じ曲を繰り返しかけて、何度でも初めてみたいにはしゃいで、くるくると回った。 「でも、妹とはこの原っぱに入らない」 「なんで?」  先生の内部がたゆたうように収縮する。 「帰るのが遅くなっちゃうから」  先生の腰を掴んで、強く速く抽出を繰り返した。先生は僕の名前を繰り返す。うわごとのように繰り返す。そしてまるで、本当みたいにその言葉を言うんだ。  好き。  起きた瞬間から心臓が重くて、胃と頭が痛かった。そして一日中ずっとそのままだった。高校に受かってから今日までの約十日間、毎日だ。先生、知ってるよ。知っていた、きっと先生と、このまま二度と会えないね。今こうして繋がっているけど、もう僕を捨てるね。知ってるよ、きっと高校生になった僕には興味がないんだろ。既に興味を失いかけているけど、しょうがなく付き合ってくれているんだろ。  最後だから、って。  ボールが、あっちにいっちゃったね。  さようなら。

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