車轍のロゼット~4人の死者とゲーム罪の乙女・29日間の刑期~
怒りのダストボックス⑤~完結を求めて~

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 サンダルでかさかさと歩く猫背を追いかけていく。スニーカーの奏多郎はすぐに追いつたが、佐伯はこちらを見ることもなく、ずんずんと道をゆく。  電車?  バイト先に行くなら、送るけど。レンタカー借りてるし。  と奏多郎が言っても、佐伯はこちらを向こうとはしない。 「クソつまんねーバイトなんで、ほっとけ」と言うだけだ。 「子どもが生まれるなら、就活すればいいじゃん」  と奏多郎も手を変え、品を変えの姿勢を崩さない。 「子どもなんか生まれねえよ。あんなの、嘘だ。どいつもこいつも演出家の名前に乗っかりやがってムカついたからだよ」  佐伯は言う。 「そんなレベルじゃダメなんだよ。イライラ、モヤモヤレベルのどこにでもあるようなちょっとした怒りじゃだめだ。主役級じゃない。それじゃ「怒り」は完結しない」 「だから、やめるって言ってるだろ」 「ワークショップでは、せっかく座長を持ちあげといたんだから、ちゃんと役割を果たせよ。佐伯は漏電しすぎてる。木梨さんとかにちまちまイラついてるくらいなら、しばらく視床下部しばっといて舞台にぶつけろよ」  木梨さんのところで、ギロっとこちらを見る。  あいつを連れてきたから、おかしくなったんだろうが、と言った。たしかに木梨を紹介したのは、奏多郎だ。  仕事上で取材したときに、劇団のことをつい話に出したところ、木梨の方からコラボの話が申し入れてくれたのだった。自前の舞台のDVDもみてもらい、「ワスプ」の方向性も知ってもらったうえでの、コラボである。  しかし木梨にしてみれば、「ワンオブ舞台」。佐伯からすれば「オンリー舞台」とその力の入れぐあいには大きな開きがあるのだ。とはいえ、木梨が手を抜いているとは、奏多郎には思えないのだが。 「メディアの目にさらされる経験を、これからはもっとしなきゃいけない。もし、演劇をつづけていきたいなら。好意的な木梨さんごときで、つまずいているなら、もうやめたほうがいい」 「やめるっていってるだろ」  佐伯は吠える。 「だけど、僕は座長にはならないから、佐伯自身が見つけてきてほしい。それで満足できるならね」  奏多郎はそのとき、信じられないものを目にした。  一瞬それは昆虫の腹の部分なのかと思ったが、そうではないことに気づく。  本来見えないはずの銀色の管と、黒の骨格、動力部が丸見えになっており、どこか無防備だ。  奏多郎は何も知らない佐伯の腕をひいて、脇に押しやった。佐伯はなにも言わない。  言葉を発するまであと数秒、なにかを認知するまで、あと数秒時間があるはずだからだ。  ただ、佐伯の眼光は鋭く、奏多郎を睨みつけている。  ああ、すごいな、と奏多郎は感嘆したくなった。身体が怒りを知っているのだ。  その舞台を見たい、と思った。  だが、大きな昆虫・ビートルがあっという間に覆いかぶさってきて、奏多郎はうんざりする。  ああ、スクラップの処理を忘れていたな、と思った。           ※  いつかみたAラインスカートの女性が泣いている。電車の座席に座りながら、うつむいて手で目元をおさえている。静かに涙を流していた。  周囲はまるで気づく様子もなく、奏多郎だけが彼女の異変に気づいているようだ。声をかけるべきか戸惑ったが、スカートに涙のつぶが落ちるのをそのまま見てはおけず、奏多郎は近づいていき、声をかけた。そして、ポケットティッシュを女性の前に差し出す。  女性は声をかけられたことに、まず驚いたようで、肩を大きく震わせ、飛び上った。しかし、奏多郎がティッシュを差し出しているのを見て、奏多郎が悪意あって彼女に声をかけたのはないことに気づいたようだ。 「どうぞ」  と声をかけたら、ティッシュと奏多郎の顔を交互に見ながら、ありがとうございます、と言って受けとってくれる。そのとき、涙の粒が奏多郎の手の甲にこぼれた。 「すみません」  と焦った女性がティッシュでふき取ろうとするが、大丈夫です、と奏多郎は言う。  なぜか、時間がもうあまりないような気がした。奏多郎はその人になにか伝えなければいけないような気がしている。けれど、言葉が出てこない。  すると、その人の方から声がかけられた。 「わたしに、なにか出来ることはありますか?」  突然のことに、奏多郎は戸惑ってしまう。だが、いつかみた、ホームでの女性の姿が頭に焼き付いていた。 「楽しそうに、してほしいです」  奏多郎がそう告げると、その女性は目を丸くする。なにかとんでもないことを言ってしまっただろうか、と奏多郎は思った。 「ありがとうございます」 「先日は、お世話になりました」  とつけ加えられて、奏多郎は呆然とした。言われていることの意味はまるで分からない。  ただ、この電車の行きつく先で、奏多郎は「ワスプ」の舞台を見ることに決めていた。 「よかったら、これから舞台を見に行きませんか?チケットは余っているので」  奏多郎が誘うと、女性は頷いた。

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