礼仁はその日2件の依頼を受けて動いていた。 1件は独居だった高齢の親が亡くなり、そのアパートの整理の依頼。 もう1件は、片付ける暇がなく、ゴミ屋敷かしてしまった一軒家の整理の依頼だった。いずれもそれほど変わったこともなく、仕事はつつがなく終わる。仕事の休憩時間にふと見た乙女のスマートフォンにメールの着信のポップアップが出ていて、気になった。 それはインターネットサーバーの契約更新に関するメールだった。サーバーの契約は乙女個人の名前になっているため、恐らくは仕事の関係などではなく、乙女が個人的に契約しているものなのだろう。 乙女は預金通帳や保険の証書、スマートフォンの契約書などを同じ場所に保管していた。そのため、死後の手続きに関しては、とてもスムーズだったのだが、サーバーの契約に関しては盲点である。契約書をプリントアウトして取っておかない限り、遺族には分かりようもないこともある。 デジタル遺産に関しての問題は、礼仁たち遺品整理に関わる人間にとっても、喫緊の問題でもあるのだ。会社のホームページでも終活のコラムとしてデジタル遺産について取り上げたこともあったが、まだまだ礼仁にも分からないことがたくさんある。仮想通貨の取り引きによるトラブルなどは、まだ担当したことがなかったが、FXの損失について嘆いていた遺族もいた。 几帳面に書類を整理していた乙女が、デジタル遺産だからといって、契約書をプリントアウトしていないことに、違和感がある。乙女の部屋にはプリンターがあったと記憶していた。 いずれにしても、乙女の契約しているサーバーについて詳しく調べておく必要がある。 乙女の部屋に2度目に行くと、礼仁の気配を察知した大家が部屋に入ってきて、早めに片づけてくれと言ってきた。 前回と言っていることが逆なことに違和感があり「なんでですか?」と礼仁が言う。 大家が言うには、どうも夜間に勝手に出入りして、扉を開け閉めし、大音量で音を出している人がいるため、隣室からの苦情があるのだという。大家は礼仁に明らかに疑いの目を向けていたが、礼仁が少し離れた場所に住んでいることなどを伝え、乙女には生前交際していた人がいたようだから、その人では?と適当なことを言っておく。 大家は納得したようだったが、礼仁自身は自分で言った言葉に、妙に納得してしまった。合鍵を持っていてもおかしくないのだ。 部屋を見まわしてみたところ、一見すると変わったところはなかったが、抽斗をいくつか開けてみると、ノートパソコンとノートが数冊なくなっていた。 契約書などの貴重品はすでに移動させていたため、盗まれずに住んだが、奇妙ではある。 何者かにとっては、あの小説やほとんど情報のないパソコンに意味があるのだろうか。乙女の部屋にあったのは、ごくごく普通の26歳の女性の遺品だった。とはいえ、サーバーの確認をしたい今となっては、パソコンを持っていかれてしまったのは、痛い。 一応自分の使っていなかったパソコンに乙女のパソコンのデータを引っ越しさせてはいたが、クッキーやキャッシュなどの手がかりがなくなったことを思うと、少し面倒ではある。 部屋をくまなく調べてみたが、変わっていたのはノート類とノートパソコンがなくなったことだけだった。 礼仁は帰宅後、乙女のスマートフォンに届いていたメールと開き、サーバーのサイトと開く。 サーバーのマイページにアクセスするためにも、当然アカウント名とパスワードが必要になる。その時点で、本来はお手上げだ。いずれにせよ、契約者本人が死亡したことをサーバーの会社に連絡すれば、解約は可能だろう。気になるのは、どんなサイトが運営されていたのかが分からないということだ。 パソコンに記憶されていたキャッシュを手がかりにして探る方法もあっただろうが、今乙女のパソコンは手元にはない。そうなれば、辺りをつけるほかないだろう。 サイトの構築をするなら、よほどのスキルがない限り、独自ドメインに対応しているブログの有料版を使う方法がメジャーだ。 パソコンに残っていたテキストを見る限り、乙女はブログを運営していたようだから、どちらの可能性もある。 礼仁は乙女のパソコンのデータを移行済みのノートパソコンで、いくつかのブログサービスを調べていき、ログインを試してみた。ユーザー名はotomeでパスワードはダンデライオンだ。どれもログインできず、そのうちにロックがかかってしまう。 何かヒントが欲しいと思い、礼仁は希恵の姉へ電話をかける。天使希恵だ。乙女に関して希恵が生前何か言っていなかったかどうか、そしてあるいは希恵がなにか書き残していなかったかどうかなどを聞きたかった。しかし、希恵の姉は電話に出ることもなく、礼仁の期待は潰えてしまう。 気づけば夜中の1時を過ぎていた。電話に出ないのももっともである。ずっとパソコンに向かっていたため、そろそろ礼仁も眠っていいはずだが、眠れそうにない。ここのところずっとまともな睡眠はとれていなかった。冷蔵庫から強炭酸、強カフェインのエナジードリンクを取りだして、口にする。 眠れないのなら、とことん起きているつもりだった。 「天使希恵」 の画面の表示をみて、礼仁はふと思い出した。天使希恵、天使乙女。乙女と希恵はお互いをそう登録していたらしい。 仮に乙女と希恵が共同で運営しているサイトがあるとするなら、お互いにとっては、天使と言うのは分かりやすいワードとなるのかもしれない。 礼仁はそう考えて頭をふる。 何かがあることを前提に調べているせいか、運営しているサイトにも何か秘密があるはずで、同じように自殺した希恵ともなにか関わりがあるはずだ、と推理を飛躍させてしまっている。 単に、趣味のサイトを運営しているだけの可能性の方が高いに決まっているのに。 礼仁はダメもとでワードプレスのページを開き、「Angel」のユーザー名を入れてパスワードに「ダンデライオン」と入れる。入力ホームが揺れ、ログインできないことを知らせてくれた。 「それだけタンポポ押しなんだよ」と自分でツッコミを入れたくなるが、乙女に関する礼仁の知る情報といればゲーム好きや二次元の正解が好きなことくらいだ。二次元を英語で検索し、「 2-dimensional」をいくつかのパターンで入れてみるが、ログインできない。 恐らくあと何回か行えば警告がでて、しばらくログインができなくなるだろう。 「ムリだよな、こんなのは」 冷静に考えれば、礼仁が今、ほとんど情報のない他人が他人のサイトを乗っ取るのと同じようなことをしているのだ。そう簡単にログインできる方がおかしい。 しかし、本当に他人なのだろうか、と礼仁は思う。 たしかに、死ぬまで会いに行かなかったのだから、他人と同じかもしれない。だが、乙女の関係筋を探ろうとしていたが、自分への乙女からのコンタクトはどうだっただろうか? ここ数年顔を合わせたことはなかったが、連絡は取りあっていた。 比較的最近も、メールやメッセージアプリで何気ない会話をしたことはあったと思う。 自分のスマートフォンで乙女とのやり取りを確認する。 お互いに元気かどうかを問うばかりで、詳しい近況を話しているものは少ない。しかし、最近のやり取りは、今思えば少し妙である。乙女が死ぬ数日前のメッセージだ。 「お兄ちゃん「朝顔ハウス」のこと覚えてる?」 「は、急だな。朝顔ハウスってなに?」 「あのホームのこと」 「なにその名前、なんで?」 「なんとなく」 「あそこで「秘密」基地作ったことあったよね」 「そーだっけ?」 「作ったよ。結局壊されたけどね」 「覚えてない」 「木の「棒」に名前を書いて、木札にして部屋を「区切」ったんだよ」 「しらん」 「ま、いーや。仕事頑張ってね」 そんな感じのやり取りを何往復かしていた。秘密基地の鍵カッコのつける場所が変だ、思う。 ミスタップなんてざらだが、わざわざ鍵カッコをつける意味も分からなかった。 「朝顔ハウス」「秘密」「棒」「区切」?暗示的ではあるが、なんのことだか分からない。礼仁はパスワードを「asagaohouse-himitsu」とそのままローマ字にして、ハイフンで区切って打つ。それからユーザー名には「tenshi」と打った。 エンターキーを押すと、画面が切り替わりダッシュボードに飛ぶ。 「天使の憩い場」というサイトの管理画面にはいることができたのである。
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