ユーセイが今どこに住んでいるのかは、知らない。 ユーセイとは前のバイト先で出会い、何度も飲んだことがあったが、ユーセイは酔うと絡み方が面倒になり、ときどき誰彼構わず突っかかっていくのをそばで見ていて、それ以上踏み込むのは止めよう、と弥は思った。 バイトを辞めたあとは、ときどき会うこともあったが、あまり連絡をとらなくなったのだ。 ユーセイから誘いを受けることはあったが、指定される店を検索してみると、脱×ハーブの取り扱いと予測変換されるようなところばかりだったので、そういうときは理由をつけて、断っていた。 今日だって、行きたくはなかった。 しかし、「宮野のカノジョ身体改造完了」と意味深なツイートをユーセイがしている、と別の友人から連絡があり、放っておけない気がしたのだ。 カノジョというのは、ミナモのことだろうか?ミナモをユーセイに紹介した、その一点のみ、弥は後ろめたいのだった。 「行くよ」 と連絡したものの、どこへ行けばいいのかわからず、「ユーセイ、今どこにいんの?」とメッセージを送り反応を見る。 ユーセイが数分と待たず、住所を貼りつけてきた。 その住所に聞き覚えがあるような気がしたが、いくつも応募した就職先かバイト先か、はたまたどこかで出会ったカノジョもどきの女の子か、知り合いか。 いずれかの住所であったのかもしれない、と思う。 いちいち覚えてなんていられないものだ。 弥は別の友人に、 「ユーセイんとこいってみるわ、なんかあったら、けーさつお願いw」と冗談めかしてメッセージを送って起き、指定された場所に行ってみることにする。 地下鉄を乗り継ぎ、最寄り駅から地上に上ったときには、初期が少しだけ和らいでいた。 重なり合った雲が東雲や、藤、甕覗きの古式ゆかしい色味で、染めっているのを、ビルの合い間から見る。 自分の家のだだっぴろい敷地の向こうに沈む夕日を見ていた時と、自分は何も変わってはいない。 弥がこっちの大学に進学し、地元を出ることになったとき、親族みな、弥がいずれは返ってくることを、信じて疑わなかったのだろう。 数年県外に出て、地元に帰り、家業を継ぐ、それが弥の祖父の方針だった。父もおじたちも、そうやって地元に舞い戻ってきたのだ。 弥からすれば、学生でいた数年なんて、所詮ままごとの自活だとは思うが、地元に、いわゆる都会での経験を持ち帰るということに、なにがしかの矜持を持っていたらしい。 「宮野の男はそうやってきたんだ」と祖父が言うにつれ、母がいつも不機嫌になるのを、弥は知っていた。 母にとっての華やかな時代としての学生時代と、常に義父母の監視のもと、動物たちの世話や、地域の自治活動に駆り出される生活との落差を思わずにおれなかったのかもしれない。 母はよく働いたが、弥が高校受験の年に、何も言わずに去っていった。弥の進路に関して、じいさんばあさんや分家のやつらが介入したから、とうとう我慢ならなかったんだろ、と父は言ったが、すでに口ぶりからして他人事だった。 父はその後、嫁探しとばかりに、国籍も年齢ものべくまくなしに、女と知り合ったが、父のトラックから降りた女たちの顔は、皆一様に、曇っていたのを、弥は知っている。土地の名前だけで「良いところっぽい」という気軽さでやって来たことを、後悔しているのが、丸わかりだった。 その中の女の何人かは、数か月ずつ住みついたが、やがて、去っていった。 伯父はいつだって、物欲しそうに父の行動を見ていたが、取り立てて何かを言うこともなく、動けなくなった祖父に代わって、牛や馬たちの世話をしていた。 祖父が動けなくなってからは、親族のものが手伝いに来たし、弥も学校がないときには手伝うこともあった。ただ基本的には愛想のない伯父が「一人でやるからいい」放っておけ、と一蹴してしまい、親族の足は遠のいていった。 弥もまた、牝馬を失ってから、動物への関心はなくなっていたので、やらなくていいのなら、と関わるのをやめたのである。 たまたま、何の気もなく厩舎を訪れたときに、父と女がまぐわっていたのを見てからは、特に近づかなくなった。その後、馬のいななきを耳にして、中に入り、伯父に懇願されるまで、弥は厩舎の中に足を踏み入れなかったと思う。 完全に拒絶するわけではないが、視界に入れないことで、ゆるやかにフェードアウトしてゆく。当時と今とで、弥は何も変わっていない。 大学進学後、故郷から離れた弥は、再三の帰郷に関しての問いかけに、対して、「テストが終わってから」、「落ち着いたら」、と返答しながらも、一度たりとも帰らなかった。 何度かいとこがやって来て、学校が終わったら、戻って来るんだよね?と念を押しに来たが、そのときも、終わったらな、で答えとしていた。 故郷を捨てたわけではなかた。 けれど、単純に足が重かったのだ。 そうこうしているうちに、伯父が死に、子どもの居なかった伯父は、遺産の相続先を弥にしていたらしく、弥の元に、いくらかの遺産が入った。 その金で、弥のインフラは守られている。 だが、そうした後ろ盾が何もなければ、弥はもっと、何かを求めていられたのだろうか。 何も求めない弥は、地元にいても、ここにいても、いつだって特に何も欲しくなく、目の前にないもののことは、静かに忘れていってしまう。 マップに住所を入力し、道を歩いていくと、一軒のアパートが視界に入ってきた。全体的に灰色味の古めかしいアパートだ。 弥はマップ上の位置を見て、丁度ユーセイのいっていた住所の場所で間違いないことを、確認すると、ユーセイにメッセージを送る。 「何号室?」 「105」と返信が来た。 駐車場を通り抜け、フェンスで囲まれている一回のドアを見て、105を探す。 一階の、向かって右端のドアに105を見つけたので、フェンスの内側に入る入り口を見つけ、中に入った。105の前には、外付けの洗濯機があり、衣服が何枚も積まれている。洗った気配のない服の上には、 「片付けてください、大家」と手書きのメモが置かれていた。 女物の下着も男物の下着も絡まるようにしてそのまま置かれている。そして何枚もの湿ったフェイスタオルがのたくったまま、重ねられており、不衛生な印象はぬぐえない。 弥は105号のチャイムを鳴らした。 少し待っていると、カチっと鍵の開く音がして、戸が開かれる。 生白い顔をしたユーセイがぬっと顔を出した。 腕も首もただただ白く、染め抜かれた赤髪だけが主張している。ユーセイからは土のような匂いがした。弥が匂いに顔をしかめると、 「マア、入れよ」 と黄色い歯を出してにかっと笑う。 ユーセイの家の中は、日陰の、石の裏のような匂いがした。玄関から先には、真っすぐリビングに続ているようだったが、その動線にはミナモの姿は見えない。 「中まで来いって」 と言われ、弥は靴を脱いで上がった。 妙に土気が追いな、と弥は鼻を鳴らす。 ユーセイに言われるまま、中まで進んでいくと、ますます土っぽさが増してきて、弥はくしゃみをする。家の中で土をばら蒔いたかのようだ。 「お前さー、本当に、人目気にするのな」 「え?」 「ツイートみて、慌ててきたろ?もし、ツイートしてなきゃ、無視決め込んでたろ?」 にやにやしながら、ユーセイは弥に詰め寄って来る。 その通りだが、ユーセイに指摘されると、さほど自分に非はないのでは?と思えてきてしまう。 自分は何かを直接的に害したわけでは、ないのだし。 「ミナモの友達がミナモのことを心配してるから、居場所確認ってやつ」 弥はユーセイといると、相対的に自分がまともであると感じ始めていた。 「お前って、言い訳つくんの、上手いよなァ、今度オレに教えてくれよ。上手い言い訳の作り方」 ユーセイは陽気に笑う。 「オレはさァ、久々にお前に会いたかっただけなんだよ」 「じゃあ、カノジョ身体改造完了ってのは?」 「それもあるけど。最近、呼んでも来てくれないからさァ。こんな風に呼んじゃわけ」 「何か用あるってこと?」 「んー、用って用じゃないけどさァ、マア、そこに座って」 とユーセイはリビングのクッションを手で示してみせる。 薄汚れていたし、何か黒いしみのようなものがついていたので、弥は躊躇した。 「悪いけど、今日もあんま時間ないんだよ。別のバイトの前だし」 「ウソだろ、それ、知ってるぞ。お前はソーユーやつだ」と人差し指を鼻っ柱にむけて、刺してくる。 「いいから、座んなさァい」 そう語気強く言う。仕方なく、形だけしゃがむが、尻はつけない。 ユーセイのやつ、飲んでるか、なんか変なもんやってんのか?と弥は疑う。帰ってもいいだろう、と思った。ミナモのことは気になったが、ここにはいないようだし。 しかしここにいないのなら、どこにいるのだろう? 弥は部屋の中を見るともなく見渡す。閉め切った押し入れの縁に、黒い点がいくつも見つかる。さらに襖の前には土が小さな玉状になって、こぼれていた。この土が、匂いを発していたのだろうか。それにしてはずいぶん少ないが。 「なあ、この押し入れの中、何か飼ってんの?」と弥は尋ねてみる。 ユーセイは鼻を鳴らす。 「コドクだよ」 「コドク?」 「虫みっつに、皿書いて、それに毒物の毒で、蠱毒」 「あー二次元の呪術にアリガチな」 ムカデやゲジゲジ、蛇、蛙なんかを一つの入れ物にいれ、共食いさせ、勝ち残ったものが蠱毒を宿す、とかいう、ゲームやアニメではよく聞く呪術だ。 「そう、蠱毒がそんな中にいるの。そいつのエキスを抽出して、誰かに飲ませれば、一発でKILL!」 弥も以前何かでその方法を知ったときに、やってみようと思ったことがある。しかし、本当に出来るだなんて、弥は思っていないので、冷やかし半分で聞いてみる。 「何を、共食いさせたわけ?」 「マア、見てみろよ」 きしししと得意げに笑って、ユーセイは襖戸をスライドさせて、開けた。 押し入れの空間が開かれたとたん、中ならむくっと埃や土が混じったような、ある種の菌類にとっては、栄養分豊かな匂いが流れ出てきた。 そのうち、酸味のある匂いが少し遅れてやってきたときには、その正体を知る。 弥はハッと息を飲んだ。 下着姿のミナトが、くの字になって横になっていた。口には布をかまされ、手足は紐で縛りあげられている。ミナトは意識があるらしく、こちらに目を向けるが、膜の向こうがわにいるかのようなうつろな色が浮かぶ。 押し入れの床に、おびただしい数の虫がいた。ゲジや蜘蛛、蟻、ムカデ、ミミズに蛙もいたが、ほとんどが死んでいる。この土の匂いは、虫たちの死骸の匂いだったのだ。 「今んとこ、ミナトが一番強いらしい。ミナトのエキスはすっごい毒になるわけ」 ユーセイは笑う。 この虫はミナトがすべて殺したということらしい。ミナトの素肌の手足にところどころ虫の身体の破片がこびりついているし、腕や足には、何かに噛まれたようなあとが、ぽつぽつと浮かんでいる。 「ミナトをお前が倒せば、お前が蠱になるけどな」 ユーセイは焦点の定まらない目で言う。 「そんなに殺したいやつがいるってこと?」 弥が尋ねると、ユーセイは何も言わずに台所へ行って、抽斗をあけ何かを取りだし、コンロの火をつけた。 何か細長いものを口に咥える。 弥はその間、ミナトの姿を見ていた。 これが、この女の求めていた、面白さなんだろうか。虫たちの死骸に躊躇ったが、逃がしてやらないわけにはいかないだろう、と思う。 弥はミナトの身体を動かし、背中側をこちらに来るようにした。手足を縛られているのは、結束バンドのようで、ミナトの手足にはバンドの食い込みにより、いくつもの筋が刻まれてしまっている。 ハサミが必要だ、弥が思っていると、 「強いて言うならさァ、お前だよなァー」と頭の上から声が降ってきた。 水滴が数滴首筋に落ちる。 後頭部になにか硬いものがぶつかる感触と、その痛みを認識したところで、弥の目の前に、宇宙樹ニョンニョンに向かうあの森の道が見えていた。 「戦えよォ!」という甲高い声と脇腹を蹴られる感触があり、このまま転がり落ちる先のことを思う。 この視界に重なって見えているものは、その予兆なのかもしれない、と。 しかし、ドタドタと入り込んでくるいくつもの足音が聞こえ、 「弥くん、大丈夫?」と誰かが優しく抱きとめてくれる感触がやってくる。 タマコか?と思ったが、違うことがすぐに分かった。この香水の匂いには、覚えがあったからだ。
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