奏多郎はサイトにログインして、コメントをチェックする。 膨大な量のコメントが入っていた。さらに別のタブを開いて、運営している掲示板を見る。こちらにも最近あった事件に関する私見であふれかえっていた。 次にSNSのアカウントにログインし、自分あてのリプライを確認する。 奏多郎のツイートに対して反感を持つ者は多いようで、熱量の多いコメントがひしめき合っていた。奏多郎は自分の中に人々の怒りがふたたびたまっていくのを感じた。 奏多郎自身にはあまり怒りの感情が湧くことはない。 だからこそ、怒りの反応を目撃することで、感情を補填しようとしているのだ。 「8050問題の解決法発見!寿命制限を作ろう!」 会社の先輩が言っていたことを思い出しながら、奏多郎は本日の書き込みを投稿する。 「安楽死を検討すべき」 会社の先輩はいつも怒っていて、今日はキャラクターをつくることにする。 特に今日は老後資金に関する政治家の発言を受けて、大変ご立腹だった。先輩の発言は偏っている面もあるため、会社のメンバーの中には、先輩を苦手視する向きもあったが、灯台のように、ある意味同じ主張をつづける先輩は、他のメンバーの指標になっているに違いない、と奏多郎は思っている。 奏多郎の周囲で怒っている人といえば、姉や母、そして叔母たちなどの親族の女性陣だ。 彼女たちが怒りを向けるのは、配偶者が主だが、今はひとり残された祖父に注がれている。祖母が数年前に他界してから、気難しさや気難しいふるまいが顕著になり、この頃は、レビー小体に異常のある認知症が始まってきているのでは、と医師といわれているらしい。 女たちは、祖父の取り扱いにすっかり困っていた。 内実、介護を担うべきは同居の叔母であると母は言い、姉たちは、男尊女卑的な祖父の態度に怒った。叔母はただただ疲弊し、だんだんと母への依存を強めていく。 母はますます怒り、姉たちは自分たちの恋愛や仕事が大事だと怒り、始終不在の父を詰った。定年したんだし、おとーさんが手伝えばいいのよ、同じ男同士だし、と。 奏多郎はスポイルされており、まったくあてにはされていない。 壁当ての壁くらいにしか思われておらず、話の中に入らないわけではないが、同じだけの温度で語らないものに対して、女は冷淡だ。 共感し合う要素がない相手は、そもそも除外している。 とはいえ、機嫌によって、発言や敵味方を使い分ける女同士はときにぶつかり合いをうむ。そんな中で奏多郎は緩衝材にもなっているようで、しばしば箸休めのように女たちの話をぶつけられるのだった。 社内でもアンガーマネジメントの講座が行われるようにもなり、怒る大人はみっともないといわれる中であっても、奏多郎は怒りを重要視している。演劇部時代にまったく怒りの演技ができずにさんざん怒られたとき、そしてその後大学にて怒りについての論文を書いたとき、そして今、いつだって奏多郎にとって怒りは気になるテーマなのだ。 奏多郎のメッセージにつぎからつぎへとコメントがつく。 怒りという感情をあおると食いつく人は多いのが事実だ。 「バズらせる、炎上させる」ためには怒りは効果的ではある。 あえて商法として使う人も少なくないが、奏多郎はを起業家を志しているわけでもなければ、インターネットビジネスのセミナーを開講しているわけでもない。 サイトで集客したいわけではないのだが、怒りの捨て場を作れればいい、そしてその怒りを奏多郎が拾って、自分の中に補填していけばいいだけなのだ。 「あなたひきこもりでしょ?社会性のある発言じゃないですもん。大抵自分も穀つぶしの人が弱いものへ矛先を向けがち」 「安楽死サンセー。人生のアディショナルタイム、みんなが欲しいと思うなよ。アラフィフからの意見」 「人の生き死にを勝手に議論するクズ」 「未来が見えないのはたしか。誰かの年金のために働いているわけじゃない」 「最終的には弱者同士の殺し合いっすね」 アディショナルタイムという言い方が、奏多郎の琴線に響いた。 ひととおりSNSを見てまわってから、すべてのタブをとじる。サイトへの投稿は後回しにする。キアラとの約束の時間だ。 キアラの指定してきたカフェに行くと、キアラはすでにキャメルミルクティーとサンドイッチを頼んでいて、スマホ片手に飲食していた。 奏多郎が声をかけるまで気づかず、スマホを横にしてずっとパズルゲームをしている。 「おつかれさま」 奏多郎が声をかけて、正面に座るとやっと顔をあげ、片手をあげる。 「おう」といって。 少し待ってライフがあとひとつだから、この1プレイ終わったらと言うので、奏多郎は店長を呼び、マテ茶を注文した。コーヒーも飲みたい気がしたが、この時間から飲むと眠れなくなりそうだと思ったのだ。 キアラがパズルをしている間、奏多郎は出来得る限りのメールやコメントを処理していく。奏多郎としてではなく、怒りの達人としてのペルソナでコメントをしていくのだ。 ふつふつとした怒りを抱える読者を想定して。 先ほどまいた種がじわじわと芽を出している。 「子育て系、介護系、ハラスメント類、有名人のゴシップ」は比較的炎上させやすい。 ただ気をつけなければいけないのは、煽りすぎて怒りの主の敵になってしまわなことだ。あくまでも奏多郎は怒りを受け入れるダストボックスであり、受け取り口なのだ。 「それで、このシナリオなんだけど、殺人シーンが多いので少し減らしてほしいと演出側からの要望。劇団の方向性としては問題ないけど、今回は、まあ、コラボだから。演出家がいるしね。まあ、少し減らした方が無難だと、座長もしぶしーぶ了承した感じ」 脚本の束をテーブルの上に出して、キアラはざっと概要を説明する。 演出家である木梨はヒューマンドラマを得意としているし、急進性を重視する「ワスプ」との相性はまあまあ。 すり合わせが必要なのは、分かっていたことだ。 「了解。少し直すよ」 と奏多郎が言ったところで、注文のマテ茶が来た。 今回の台本は30歳を老年と考え、その年になると親殺しができるようになるという世界の物語だ。 主人公は30歳を迎えた青年だが、同じ世代の過激な活動の潮流に巻き込まれていくというストーリーになっている。 親殺しを求める集団をジャパンアンカーと呼び、彼ら生殖年齢をすぎてもなお生きている人々を、葬る権利を主張する。 とことんぶち抜いていくストーリーにするのか、救いのある未来を描けるストーリーにするのか、という点で「ワスプ」の中でも議論になっていたが、最終的には観客のイマジネーションに委ねるストーリーの方向性で一致した。 演出家の志向も大きい。今回の話は、「怒り」をテーマとして描いた3部作の完結編に位置づけられている。 「でもね、バッタバッタ殺していくのもありだと思うけどね。インパクトがないと、怒りが表現できないとわたしは思う。ソンタクしないとダメなのは、座長は不本意だと思うけど」 キアラは言う。 「多分、焦りもあるんじゃないかな。佐伯は僕みたいな就職組は負け犬だと思っているみたいだから。だけど、保険がかけられていないといつだって焦りはあるよね。趣味のサークルの枠をでないといけないって。焦るのは分かるよね」 「まーそーかな」 今はワスプの中で、奏多郎が率直なことを言ってもひねないのは、キアラだけだ。 キアラはウェブデザイナーの職を持っている上に、婚約者的な人もいる。奏多郎のような安定した職に対しても対抗意識を持つ必要はない。 そして、すべては所詮アソビだという考えの点で、奏多郎と一致しているのだ。 「佐伯はなんだかんだ言っても、滝のシナリオが好きだからね。佐伯はあんなヤバい演技しつつもチョー常識人だから。滝のシナリオじゃないと飛べない。それはわたしもだけど。滝はその見た目でいて、完全サイコパスだからね。人に気持ち、分かんないでしょ?」 そう言いながら、キャラメルミルクティーを飲み干した。それから、少し苛立ちまじりにスマホをタップしながら、ライフ回復しねーという。 「課金すれば」 「難易度を自分で下げてどーするの?サクサクプレイしたいか、ランキング上位になりたい自己顕示欲のある人だけでしょ、課金するのって」 「筋金入りのゲーマーはノー課金ってこと?僕は攻略サイトみるのもめんどーだし、攻略動画見るのも最早面倒くさいから、妄想の中でOKだけど」 「若干クソゲーっぽいゲームが好きなんだよね。暇人だから、時間かけるの気にならない」 キアラはトントンと指でテーブルをタップする。 「ま、そんじゃ修正よろしく。1週間度には稽古に入る予定だから」トントントン。 「タバコ?」 「ちがう、やめた。違う方につきあってよ」 ふっくらとした丸顔に赤みがさしている。 「今日は、買い物に行こうと思ってたんだけど」 「この時間から?」 「それにジンに殺される」 「アムールだといえば大抵はOK。やつも人のこと言えないから、ギークだなんてポーズで、リアル女のコ大好きだもん。アイツ」 トントントントン。苛立ちがどんどん募っているのがわかる。 「ジンと喧嘩でもした?」 「ただしく言えば、殺し合い。家に連れ込むのはルール違反なの。わたし的に。でもモンダイないよ。モンダイなのは、必要な時にいないジンだけ」 ろくでもない誘いだということはたしかだった。 ジンも一時的には劇団に所属していたこともあるため、奏多郎は面識がある。ただ、この誘いは、結局、事実上、これ以上の関係に踏み込まないという協定でもあるのだ。 「どっちに行けば?」 「どっちもないでしょ。連れ込みはルール違反。そこのピーコックで」 「はあ」 ずいぶん慣れてるね、と言う。 白々しいとキアラは笑った。何度目よ。 キアラはしばしば性欲の高まりと比例して苛立つようだ。 ジン以外にもパートナーを必要とするのは、ひとえに、安定したセックスの相手をキープするためだという。はじめて聞かされた時には、自分も古めかしい意識で女性を見ていたことを知る。女性に性欲がないとまでは思っていなかったけれど、まさか、男をショッピングする側に女性がいるとは思っていなかったからだ。 奏多郎はたいしてがんばらずに、キアラに導かれながら、高まりにたっした。ぶるぶると震えコンドームの中に注ぎこむ。 子孫繁栄のためには、無為気にも思える行為だが、キアラからすれば、気分転換であり、安穏としたサイクルを乱すスパイスなのだという。奏多郎は自分の子を持ちたいと思ったこともなければ、子孫繁栄など興味もないが、レクリエーション程度のセックスはきらいではない。
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