車轍のロゼット~4人の死者とゲーム罪の乙女・29日間の刑期~
スロウス・ラビット②~シャッフルクエスト~

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 電車に乗り、自宅に向かう途中で笹川さんからのメッセージが入る。今日は来ねーの?と。  いかねっす、と弥はすぐにレスする。笹川さんは弥が競馬好きだと勘違いしているのだ。  パドックで馬を見てみたかった弥が、一度、連れていって欲しいと頼んだことが、よほどうれしかったのだろう。土曜か日曜になると必ず、こうして連絡をしてくる。  確かに、均整のとれた馬を間近で見ることが出来るのは、楽しかったが、ただ見るだけでは、やはり物足りないとも思った。  性格重視の馬、つまり大人しく人馴れしていることだけが美点の並の馬であっても、見るだけよりも、触れあえる方がいい。と最近は思っているのだ。馬事公苑や乗馬クラブに、その時々の彼女と行くことで、この頃は気を紛らわせている。選べる立場にないということは、こんなにも不自由なのだ、と弥は思う。 人間相手では、さして思うことのなかったことだ。  美しいが触れあえない美人よりも、美しくはないが、触れあえる不美人のほうが、いい。そんなこと、思ったことはなかった。  とはいえ、弥自身は一体どんな馬と触れ合いたいのか、自分でも分からない。   かつて実家には、品評会で漏れ、器量の決して良くはなかった牝馬がいた。弥の祖父母が面倒をみていたものの売ることも出来ずに残った牝馬だ。  牝馬は餌こそもらっていたが、必要な運動をさせてもらうことなく、ただただ厩舎に置かれた。荒ぶることもなく、大人しく厩舎に居て、時たまの水浴びにとても喜んだ。  鬣を撫でると素直に目を細める栗毛のこの馬を、弥は気に入っていた。ある夏の日、死んでしまったときには、ひどく悲しんだ。あの牝馬のような馬には、未だ出会えていない。  厩舎の中に入ったときの、牧草と糞尿の混じった匂いが蘇ってきて、弥は頭を振った。  前に立っていた中年の男が、ちらりとこちらを見て視線を逸らす。  男に弥の中に蘇った光景が見えているわけではないのだが、ぐるりと思考をめぐらせて、そうだ、タマコだ、と現実の自分が今、考えなければならにことを、引きずり出してみる。  厩舎はお呼びでない。  ここで、それなりに生きていくためには。  タマコとは、一昨日のオフに一緒にすごし、それ以降は連絡を取っていない。弥のバイト先の新人で、恐らく同い年、ずれても1、2こ前後の年の違いだ。  タマコはおよそ不器用さをかもしだしており、物覚えはいいが、それが行動に伴ってこないどんくささで、すでにお荷物あつかいされていた。  そもそもどうして数ある仕事の中で、この仕事を選ぼうとしたのかが、謎である。  特に好みではなかったが、弥が生来のバランス精神で、気にかけているうちになつかれ、タマコがネトゲのアカウントを持っていることを知るにつけ、少しだけ興味を持って行ったのだ。  だいたい同じ時に生まれ同じ日本で育ち、それなりの水準の教育を受けてきた人間の女である以上、大きな驚きは期待していないのだが。  身体を脱ぎ捨て、種族も性別も自由に変更できるゲームの中では、少しだけ期待してしまう。  弥とタマコのプレイするネトゲというのは、アクションアドベンチャーゲームに分類される。このゲームは、ゲームの設定とシステム上、ニョンニョンの胞子が割れ、その毒に触れれば、レベルも装備もシャッフルされてしまうため、ゲーム内ではキャラクターを鍛えることそのものがギャンブルとなる。  糞システム、と罵りながらも、他律的な変化に良くも悪くも魅惑されているプレイヤーは、飼いならされているのである。弥も例外ではない。  宇宙樹ニョンニョンの胞子は、全プレイヤーに影響を及ぼし、ゲーム内の行動により、願いレベルが上がった唯一のプレイヤーの願いにより、割れてしまう。そうすれば、プレイヤー内でレベルも装備も経験さえもシャッフルされてしまうので、願いレベルの高いプレイヤーは交渉を受けるのだ。  シャッフルを希望するもの、シャッフルを待ってほしいものにより。それぞれの方向に誘導されるのだった。  タマコは願いエベルの高いプレイヤーなので、タマコの元には、たくさんのプレイヤーが訪れる。クエストの誘い、アイテムの贈答によって、交渉権を得ようとあらゆるプレイヤーが動いているが、タマコはとてもマイペースにあしらっているのだった。  弥は今、その動向から目を離せない。  少し前にこのゲームを始めてから、クエストもクリアし、暇に任せてレベル上げし、装備も充実させているが、初めてのシャッフルの予感に、ワクワクを隠せないのだ。  自分よりももっと上級のプレイヤーには、チートツールを作り、有利なシャッフルを起こさせるように腐心しているものもいるが、そこまでして保身に走るのか?と弥は思う。  ゲームの中でまで、より良き状態を目指そうとするのが、不思議なのだった。  チートツールについても、運営側が一応の規制は掲げているが、他のオンラインゲームよりもはるかに緩い規制であり、明らかなゲームバランスの崩壊がない限り、対処しなそうだった。  弥はスマホでそのゲームの掲示板を覗く。願いレベル上位のタマコとかいうやつ、というコメントが目に付き、内容に目を通す。  タマコはプレイヤーネームもタマコだ。 「ブログとかツイートとか見ると、1年前から放置」 「アカウントからのリンクで飛べた」 「けど別人じゃね?」 「病気で入院。キビシイかもしれないので、SNSやめるとか言ってた」 「フッカツした」 「入院中ネトゲは出来る。参照、オレ」 「中の人を追うの、キョーミないです」 「ならみるな」 「アカウント譲渡かもしれないし」 「一応規則違反だけど、ソレ」 「形骸化してんじゃないの」 「40代の男性っぽい。そんであのキャラ設定って、すごいな」 「鏡ミロ」 「性別、種族とか年齢とかはタブーです」  弥は妙に心惹かれ、貼られていたリンク先に飛んでみる。  ブログに飛んでみて、真っ先にプロフィールをチェックした。生年月日から計算するに、たしかに40代であるし、性別も男となっている。  職業は派遣社員。  ただ、そんな自称はあてにならないということも、タマコと現実で会っている弥は知っていた。そもそもネットの自称を信じようとは思わない。  記事はカテゴリーごとに丁寧に分けられているので、試しに仕事をクリックしてみると、仕事に関連した記事がいくつも出てきた。  10年単位で細々と書いている内容が、タマコから聞き及んでいた経歴とはまるで違っている。コンビニバイト、現場作業員、工場作業員、弁当屋バイトとこの者は職を転々としていた。  タマコは、短大卒業後、病院の受付をずっとしていたと言っていた。  それじゃ、本当にこれは譲渡されたアカウントなのだろうか?40代の男から20代の女に?  そう思うと、ますますタマコに興味が湧いてきた。  最寄り駅に着いた弥は、コンビニでサラダ麺とペットボトルのお茶三本、いくつかのおにぎりを買って、今日はこれ以上外に出なくて良いようにして、家に帰った。築50年以上になるボロアパートは、そこに一度も訪れたことのなかった伯父さんの遺産から、家賃を払っている。  弥は部屋に入ると、ノートパソコンを立ち上げて、準備が整うまで軽く食事をしてしまうことにした。  程よくこしのある中華麺としゃきしゃきのレタス、辛みそ肉を合わせて口に運ぶ。麺の先からタレがパソコンのキーボードに飛んだのを、お手拭きで拭いた。  弥はネット環境とスマホを維持するためだけに、バイトをしているようなものだ。 それも、マヤのお金をあてにしてしまえば、そう働く必要もない。空白期間を作らないために、どこかに属しているに過ぎないのだ。  パソコンが立ち上がったところで、ゲームのアイコンを押し、ログインすると、メッセージの受信の通知が来ていた。タマコからだ。  クエストへの協力要請のようだった。ニョンニョン村での宝探しクエストらしい。OKと返事をする。  タマコのアカウントはオンラインの青いマークが光っているので、すぐに反応があるだろう。  先にニョンニョン村に移動しておくことにした。このゲームは、コントローラーに対応していないので、キーボードを駆使してプレイキャラクターを動かすのだ。  ニョンニョンの村には村長と少数の住人が住んでいて、宇宙樹ニョンニョンを守っている。設定だ。シャッフルを引き起こすのは、ニョンニョンの胞子である以上、このゲームの肝となる場所であるはずだが、数ある町や村のうちでは、あまり目ぼしいイベントもクエストもなく、買えるアイテムや装備も少ないため、弥はあまり訪れたことがない。  情報収集や仲間集めのベースキャンプを張る場所としても、この村を設定していなかった。  辛気臭い湖と、良く分からない伝統を持っている寂れかけた村があり、そこの村長が比較的単純なクエストを依頼してくる、それが弥のこの村へのイメージだ。  弥は森に囲まれた村の中を歩き、平たく長い木製の村長の家に向かう。村長の家は、屋根も壁も緑色に塗られ、そこかしこにトライバルな稜線が描かれていた。 村に入ると、たしか能力値を表す刺青が身体にうかびあがってくる設定があった気がしたが、弥のプレイキャラクターの入れ墨は、装備に隠れて見えなかった。  家の前に立っている村長に話しかけると、まず、 「湖に沈んでいる宝をとって来てくれないか?」と言われる。これがタマコから誘いを受けていた宝のクエストなのかもしれない。さらに、 「お礼にナヨリの溶岩石と1000にょんあげよう」と言われるのだった。孫娘の婚姻の証である櫛を作るため、その宝が必要なのだと、村長は告げる。  いつからあった設定かは知らないが(それとも弥の知らないうちに更新されていたのかもしれない)、村長にも家族の設定があったのか、と弥は感心する。それににょんは換金率が良かったように思う。  そのあと、受けられるクエストの一覧に切り替わった画面をしばらく眺めていると、抜群のプロポーションの女性キャラクターが登場した。装備もまた性能はともかくも、ビジュアル面ではプロポーションを強調するのを身につけていた。 その肩には、黒い丸とそれを囲うような黒い線、そしてその線の外側に沿うようないくつかの点のある、刺青が浮かびあがっている。  どんな能力をしめすのか分からないが、これが例の刺青のようだ。メッセージウィンドウが吹き出し状で画面に現れ、 「こんにちはラビットさん、きてくれてありがとう」  タマコはそう話しかけてくる。  このタマコは弥の知っているパチンコ店のホールでのろのろと対応し、怒鳴られたり、呆れられたりしている、あのタマコで間違いないのだろうか?  同名のゲーマーの存在を知り、タマコ自身が嘘をついていないとも限らない。ただ、ゲーム内でそのことに触れる気にはなれなかった。 「さくっとクエストやっちゃいましょう」と弥は言う。しかしタマコの反応は意外なものだった。 「クエストはもう出来ないみたいです。願いレベルがマックスだとかで。だからね、本当のお願いは、これからどうしようか、という相談です」 「シャッフルか否か?」 「ちがうよ、お願い事は何か」 「リアルの話?」 「どっちとも言える。わたしの使命は、願い事を叶えることなの」 「ゴメンちょっとわけわかんない、5文字以内で言い直して」 「時間がない。で5文字」 「時間って?」 「今日は7月××日だから。あと二週間後の7月××日までのうちに、願い事を決めて、わたしに教えて欲しいの。その日を過ぎてしまったら、失敗となるから。失敗というのが許されるのか、まだ分からないけど。とにかく今回、わたしは何もあなたに出来なかったということになるのだと思う」 「よーするに、七夕イベントとかそういうの?七日は過ぎたけど。旧暦仕様?」 「そう思ってもらっていい。とにかく、願い事を考えて教えて。それだけ言いたかったの」 「シャッフルはしないの?」 「そんなものが、本当にあるの?」 「さあ、オレも初めてだし」 「したいなら、やってもいいよ。このまま宇宙樹ニョンニョンの近くにいけば、胞子が割れて、その毒でシャッフルさせる。そういう設定だっけ?」  タマコはキャラクターを操作し、村長の家から出て行った。  弥もキーボードを使い、キャラクターを操作する。  村長の家を出て、村の外れにあるはずの御神木、宇宙樹ニョンニョンの元に向かうのだ。  それほどクオリティの高いグラフィックではないが、ニョンニョンの森では森の木々が風でそよいでいる。  ニョンニョンの森に入ると、まずは弥のキャラクターの身長に合わせたカメラでまるで亀の甲羅のような木肌の太い幹が見えてきて、進んでいくうちに、その木を見上げるカメラに切り替わった。  天を覆うほどの大木の梢には、杉苔をさかさまにしたような形で、胞子がくっついている。実際に存在していたら、気味が悪いが線のグラデーションで表現されるニョンニョンは、ゲーム上でみる分には美しい、と弥は思った。 「ここで何をすれば、胞子は割れるの?」 「願いレベルの高いプレイヤーの願いで割れるらしい?」 「願えばいいの?われろ」  何も起こらない。ポリゴンの櫛が揺れるだけだ。 「ガセ、なんじゃない」 「いや設定だし」 「方法が違うのかもね」  そうやって話しているうちに、タマコの位置をかぎつけた他のプレイヤーが、 「シャッフルはやめろって言ってるだろ」と割り込んでくる。しかし、 「してないですよ」「おつでーす」とタマコは軽く挨拶をし、ログアウトしていってしまった。残された弥はその無暗にマッチョな獣人のキャラクターに、 「シャッフル反対派なんすか?と話しかけてみる。が。 「……」  とわざわざ三点リーダーを入力してまでスルーされてしまうので、弥は別のクエストをすることにして、場所を移動した。  願いごとを決めて、わたしに教えて欲しい。  そんなタマコの奇妙な提案が頭に浮かんだが、詳しい話はバイト先で聞けるだろう、と高をくくる。追って連絡をしてみようとは思わない。  他のプレイヤーに誘いを受け、雪山や渓谷へと出向き、討伐作業に明け暮れているうちに、その火は夕方になり、夜になっていった。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません