北川健一は佐藤隆史の物語を読んだとき、自らと共感できる部分が多いことに驚いた。そして彼がどの方向へ行くのか危ぶんだ。小説とはいえ、もし仮に現実世界で自己表現をすれば過激な結果にならざるを得ないと思った。そしてその危惧は現実化することになった。 北川健一はあるメンタルサイトで別の人物に巡り合った。 その人物は武田雅治と言った。彼はそのサイトで説法するために、自らを主人公として小説の形式を借りて投稿していた。 これから先は彼の書いた物語である。 3 武田は街角で説法した。 「全てのものは移ろい滅びる。過去も現在も未来も幻である。あなた方は幻の中を漂っている幻影である。この世界は空中楼閣である。確かなものは何もない。虚無を信ぜよ。されば為すべきことは何か分かってくる。我々は何ものでもない。我々が有するものは何もない。我々には土地も財産もない。資産家を名乗る人を許してはならない。それは偽りだからである。人の子に地上で生きる権利を有している者は一人もいない。人の子が土地を持ち、財産を持っているというのは錯覚である。土地を差し出せ、財産を全国民で分割せよ。財産の相続を無効にせよ。血縁関係は無意味である。DNAが親に似ているからと言ってそれがどれほどのものか。子に親の財産を相続する権利などない。そもそも財産は全ての人間のものであると同時に誰のものでもないからである。親が死んで体が塵に分解されるように、財産も分割せよ。あなたの財産はあなたのものではない。全ての存在は無駄である。無駄でない命なんて何一つもない。救うべき命など何一つもない。教会も病院も必要ない。重い病気にかかったら、それが天命と諦め、無駄なあがきをするべきではない。重い病気にかかったら死ぬのが自然だからである。私は神の子ではない。だから病人を治すことはできない。盲しいの目を開かせることはできない。石をパンに変えることもできない。イエス・キリストも奇跡を起こせなかった。彼もただの人間だったからである。後世が彼を神の子にした。私が言いたいのは何も信じるなということである。この世に信じるべきことなど何もない。愚か者はすぐに信じたがる。信じれば自らの苦悩から逃れられるからである。宗教に身も心も売り渡してしまえば悩みはなくなる。自ら洗脳されたがっているのである。私は人の子であり、神の子ではない。イエス・キリストが自らを神の子と名乗ったのは自我の妄執であろう。さもなければ狂人である。神の子は迫害され、狂人は隔離される。イエス・キリストが磔になったのは当然である。そして『我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか』と叫んだのは彼が宗教家という名の狂人だった証拠である。 現代社会で信奉されている科学も宗教の一つである。科学は理性によって、この世のからくりの大部分を解明するであろう。しかし何故そうなのかということには一言も発しない。それは科学の領分ではないからだ。何故、我々が生まれ、どのように生き、死んだらいいかということに科学は答えようがない。 我々には原罪などない。無垢のまま生まれ、罪を犯し、無残に死んでいく。誰もが宿命を背負っている。虚無を信ぜよ。沈黙を信ぜよ。死を信ぜよ。全てが無となる世界が迫っている。その日は近い。我を信ぜよ。虚無から生まれた我という幻影を信ぜよ」 武田は静かに歩き出した。その後を数名の男女がついていった。 彼は他の場所でも説法し、やがて二十人以上の人を引き連れていくようになった。 「我についてくるものは幸いである。その先には『無と死』がある。我々の目標は自害することである。それにより意識は消滅し身体は腐って土に還る。その日は近い。死を受け入れて無の世界に漂うのが我々の唯一の生き方である。それ以外ない。年老いて病気になって死ぬ運命だけは避けねばならぬ」 北川はある小説投稿サイトで小沢慶子という女性に巡り合った。 これは彼女の書いた自らを主人公とした物語である。 4 慶子は女優であるが、やや特殊な部類の女優に属する。女は全て女優であると言えばそれまでだが、いわゆるAV女優と世間では言われている。慶子はまだその世界に入りたての新人女優である。今日も女性専用車両に乗って聖なる仕事に行く。彼女が何故、普通車両を避けるのかは別に触られるのが嫌なわけではない。痴漢より痴女の方がこの世には遥かに多いと彼女は思っているが世間の常識ではそうではない。彼女は嘘くさい常識が嫌いだったが、常識はこの世で生きていくのに役立つ。それに従っていれば身を守れる。女にとっては誰にどこを触られようと感じさえさせてくれればそれでいいのだ。誰の性器であっても男であればいいのであって性器に変わりがあるわけじゃない。入れてくれて感じさせてくれれば痴漢だろうと何だろうと構わない。だが彼女の容姿は誰が見ても清廉な感じがして、業界では清楚系なお嬢さんと言われていた。顔の美しさと心の美しさは比例しない。だが美しいとはなんだろう? 彼女は誰が見ても美しかったが、その心は美しいと言えたかどうかは分からない。おそらく心に対して美しさという概念は当てはまらないのだろうと彼女は考えていた。心というのは常にわがままで自由を欲している。ただそれだけのものだ。 別に女性専用車両でなくても構わない。だが何日か前、満員の普通車両に乗っている時、近くのOLらしき女性が男の手をつかみ「痴漢です!」と叫んだ。男はおろおろとして「違いますよ」と言ったが、次の駅で女性に引っ張られて車外に出された。慶子は目の端でその様を眺めていたが、その後の男性の運命がありありと分かっていただけに憐れに思った。何よ、鬼の首でも取ったみたいに。触られて減るものじゃないし。触らせてやればいいじゃないの。慶子は女の欲情を隅から隅まで知っているだけにそう思った。何のために乳房やクリトリスがあるの。男に触られて感じるためにあるんじゃないの。誰の男性器でも変わりがあるわけじゃなし、どんどん入れさせてやればいいじゃないの。贅沢言っちゃだめだわ。女がわがままになったから男が弱って少子化になったのかもしれないと彼女は思っていた。女にとっては誰の精子でもいいの。子供が生まれさえすれば。男は自分の子かどうか異常に気にするけど、女にとっては誰の子だって自分の子だからね。女は増えさえすればそれでいいの。男はつくづく馬鹿に出来ていると彼女は思っていた。男の草食化は男が女をまるで理解していないから起こった。女はいつも濡れているのを知らない男が多い。女は襲われても濡れるのだ。強姦されたって騒ぎ立てる女は自分大好きの馬鹿だ。誰の精子でも有難がらなければだめよ。犯された形跡などすぐに粘液が排出する。妊娠したら産めばいいじゃないの。育てられなければ乳児院に預ければいいの。女は妊娠する性であって産めなければ価値がないのよ。 慶子はあの痴漢と疑われた男が身を滅ぼすのを知っている。たかが触られたくらいで騒ぎ立てる馬鹿女。彼氏には体の隅々まで舐めさせるくせに。汚いところまで舐めさせるくせに。彼氏じゃなければ犯罪者にするなんて理不尽だわ。男は三日で精液がパンパンになるの。それを理解しなきゃ駄目よ。愚かな女が多すぎる。男もそうだけどね。あぁ、みんな死んでくれないかな。慶子は呪詛した。私の心の中は誰も知らない。美しい私の心の中は誰も知らない。私の心は美しいのだろうか。
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