半端者のダンス
第18話 君だけのために唄う歌

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 次の日の朝。暑くて目を覚ました。暑いというよりいつもより暖かいと言うべきか。部屋の温度が朝にしては少々高めである。エアコンはもうしばらくつけてないので、暖房が効いているというより、差し込んだ陽により温められたようであった。汗ばんで痒くなった背中を掻きながら伸びをする。  アラームが鳴る前に起きるなんて目覚めがいいな。昨日は全然寝付けなかったのに。  ふと時計に目をやると、11時半を過ぎていた。  コンテストが始まるのは13時。  あれ。  一瞬で飛び跳ね、寝巻を脱ぎ捨て、服を着替えた。  完全に遅刻だ。  アラームが鳴る前に起きたのではない。アラームが鳴ったのに気付かずに寝ていたのだ。  僕は急ピッチで出かける支度をして、駅へと走った。    電車から降りて、時間を確認。まだ間に合う。  コンテスト会場は駅からほど近いショッピングパークの一角を間借りして行われる。デパートやモールなどとは違い、屋根などでフロアを覆っていないところだ。大規模な商店街と言った方がいい。この為、音の反響によるタイミングのズレや無駄にエコーが効いてしまってうるさいということがない。反面、音は返ってこないので自分の音が確認しづらく、音を取りにくい。また、どれだけ大声を出してもうるさくないということは、相当の声量を出さなければいけないということでもある。そこで使われる肺活量と腹筋は、カラオケで唄う時の比ではないということらしい。全て鎌富さん調べである。  コンテスト会場に着いたが、意外と人がいない。受付の周りにまばらに人がいるだけだ。何しろここはショッピングパーク。スタジオやロックフェスではない。まあ、その方がこっちにとっては都合がいい。通行人の耳に時折入る程度の方が緊張しないで済む。  受け付けはどこかと探していると、火倉ひぐらが手を振り近づいて来た。 「遅い! 他の人もう受付済ませてるよ、早く早く」  火倉に手を引かれながら受付を済ませ、バックヤードに引っ込む。  そこには鎌富かまとみさんも居た。 「もう! 心配したんだから! 電話何回鳴らしても出ないし、逃げ出したのかと思っちゃったわ」 「すみません。さっき、起きた、ばっかりで、電話も、気付きませんでした」  肩で息をしながら謝罪をしていると、火倉が覗き込んでくる。 「顔も洗ってないでしょ」 「あ。なんかついてる?」 「目ヤニがついてる。顔洗ってきた方がいいよ。受付はギリギリだったけど、自分の番まではまだあるでしょ?」 「そうだな」  目ヤニを付けながら電車に乗ってここまで全力疾走して来たのか。恥ずかしい。  とにかくトイレに行かないと。  だがここからどうやって行けばいいのかわからない。案内板はどこだろう。 「あーもーしょうがない! こっちだよ」  火倉がまた僕の手を取り早歩きでトイレの場所まで誘導してくれた。 「帰り道わからなくなるといけないから。ここで待ってるからね」 「ありがとう」  洗面台で顔を洗うと同時に、自分がハンカチも持ってきていないことに気付かされた。洗う前に気付けないものか。情けないな。  ぐっしょり顔を濡らした状態でトイレを出てくると、火倉が呆れた様な顔で僕を見つめる。  短いため息ののち、彼女はショルダーバッグからハンカチを取り出し、僕に差し出した。 「ごめん」  ハンカチで顔を拭く。柔軟剤の華やかな香りが広がった。彼女の派手な金髪と褐色の肌と尖った服装からはかけ離れた穏やかで優しい甘い香り。その懸隔が、急激に彼女の女の子らしさを強調した。 「洗って返すよ」  不意を衝く彼女の女性性にどきりとしたことを悟られないよう、目を合わせずハンカチをたたみながら言う。  自分のショルダーバッグに入れようとしたら、手を掴まれた。 「それ、一つしかないから、しゅいっつぁんが持ってくと困る」 「え。そうだったの。ごめん。でも濡れているし。こんなの持っていても使えないだろう」  それでも彼女は僕の手からハンカチを奪うと、自分のバッグに戻した。 「アタシ、あんまり気にしないから。そういうの」  なんだか悪いな。僕だったら絶対嫌だぞ。他人が顔を拭ったハンカチなんて。僕を気遣ってのことだろう。ああそうだ。 「このコンテストが終わったら新しいハンカチ買うよ。ここショッピングパークだし。ハンカチぐらいあるだろうから」  それぐらいのお返しは当然という具合に言ったのだが、火倉はどうやら違ったようで、口を手で覆い、目を大きく見開き、長い睫を瞬かせていた。 「いいの?」 「いいよ。むしろごめん。それまで濡れたハンカチなのに変わりはないから」 「しゅいっつぁん優しいね。あ、そうだ。あと気になってたんだけど寝癖も酷いから直してあげる」  そういって彼女はバッグからヘアスタイリングワックスを取り出し、手に広げ、躊躇いなく僕の頭に付けてきた。 「やりにくいからしゃがんで」  言われるままに体を屈めると、ちょうど目の前には火倉の胸が来るようになっていた。  いや、決して僕のせいではない。僕は言われた通りに屈んだだけで、他意は無い。  他意は無いが、なんだこの服は。  まず黒のレースが目に入る。そして次に飛び込んでくるのがレース越しの地肌。  いやいやおかしいだろう。これはおかしい。なんだこれ。え。キャミソールは? 無いよね。無いってことは見えているこれ地肌だよね。というかブラジャーはどこに? 紐が見当たらないんだけど。全裸に直着しているようにしか見えない。どういうこと。  パニックに陥りそうな脳に、言い聞かせる。  これはこういう服。  それ以上でも以下でもない。シームレスな裏地が肌色で彼女の肌に馴染んでいるだけなのだ。だいたいそれ以外に考えようがあるまい。レース直着なんてしていたら通報される。 「よっし! 男前!」  出来上がりの状態を確かめる間もなく、またも火倉に手を引かれて会場へ向かうことになった。  帰ってきた僕を見るなり、鎌富さんは顔を輝かせた。 「イ・ケ・メ・ン!」  ぞぞぞっと背筋を毛むくじゃらの虫が這いずる。  しかしそのおかげか、ただ単に走ってきた疲れが抜けて来たのか、先程まで高鳴っていた鼓動が弱まっていくのを覚えた。 「いい感じに疲れてるおかげで緊張もほぐれたみたいね。その辺も天才の成し得る技かしら」  凡才中の凡才だが、今はその辺のところはいい。 「今回は特に目標とか順位とか気にしないでいいから。とにかく頑張ってきて。それだけよ。さあ、CTHP社のトップバッター! 頑張って行ってきなさい!」  鎌富さんに後ろから肩をパンパンと叩かれ、気合を入れステージに上がった。  同時にさっきまでは静かになっていたはずの心臓が、バクンバクンと脈を打ち始めた。  何しろ先程まで閑散としていたステージ前にはそれなりに人が集まっていたのだ。視線を感じて緊張も高まる。  そんな僕を尻目に、機械的にイントロが流れ出す。  一応歌詞は目の前のテレビに出るので忘れていても問題はないが、頭の中が真っ白で、目に映った文字を言えるかどうか怪しい。  歌いだしでやや音を外してしまい、動揺がさらに増す。もっと簡単な歌いやすい歌にしておけば良かった。そうでなくとも短い歌にしておけば、羞恥を晒す時間も短くて済むのに。  僕は何でこの歌を選んだのだろう。  唄っているのだろう。  唄いながらに、そんな別の事ばかりを考えてしまって、全く意識が集中できない。  観客の視線が気になる。どこか遠いところを見ながら唄おう。でも歌詞を見るには画面に視線を落とさないと唄えない。  ああ、もどかしい。  考えてみれば、僕はいつだってそうで。何かのせいにして逃げてきて。でもせいにした何かにはいつも追いつかれて。問い詰められる。そもそも君がすべて選んできたのになぜ僕のせいにされなければいけない。いけないのは君なのになぜ君は耳も傾けない。向けない理由は教えてくれなくてもいいからこっちを見ろ。  そいつとはまた違った人になんだか呼ばれた気がした。  こっちを見ろ。ではない。  見ていますよ。貴方を。そう言われた気がした。  不意にそちらに目をやると、そこには彼女が居た。  青いスカートを風に揺らしながら、吹かれて乱れる髪の毛を押さえながら、全てを包み込むような柔らかい笑顔で、僕を見ていた。  子頼さん。  来てくれたんだ。  その事実を知った途端、心の奥底で眠っていた勇気がようやく目を覚ました。  そうだ。今更気付いた。  僕は貴女を思ってこの歌を選んだのだ。  夢は諦めなければとか簡単に言う人はたくさんいて、でもそのくせ現実を見ろという人もたくさんいる。誰もが虚言を言うこの世の中でいったい何を信じたらいいのかわからないけれど。けれども自分が胸に抱いた夢は確かにあって、それは誰からも見えない幻でも、確かに存在している。そうだ。いつか叶うとか叶わないとかそういうことはもうこの際関係ないのだ。そういう思いが心にあるという真実が自分を奮い立たせるのだ。結果なんか残らなくてもいい。前に進めない日があったっていい。そういう日はいつか来るし、それは自分だけじゃあなくて、成功者にだって訪れる。報われる為だけに生きられる都合のいい人生なんてないのだ。そんな人生こそがまやかしだ。世界が僕たちを貶める為の罠だ。だから逃げないで戦えとも言わない。夢があるなら必ず叶えてとも言わない。ただ自分自身が信じた自分自身を見捨てる覚悟だけは持たないでいてほしい。それは自分がしなくてもいずれ他の誰かがしてくれるから。必ず君の可能性を見捨てる人が居るから。そういう人たちにやってもらえればいい。だから無暗に自分を傷つけたり諦めたりしないで、今まで自分を支えてくれた、これからも支えてくれる夢を引っ提げて歩き続けて行こう。そしていつかもし君の夢が叶う日が訪れたなら、それは誰かのおかげだと思わないで堂々と言ってほしい。これは私が生きてきたおかげですと。文句は誰にも言わせない。僕は君をずっと見ていたから。  そう、伝えたくて、この歌を選んだ。  子頼さん、貴女に伝えたくて。  僕はいつの間にか感極まっていて、歌い終わる頃には目の前の景色がぼやけていた。熱いものが頬を焼いて、ようやく自分が泣いているのだということに気付いた。  アウトロの中、どこからか、ひそひそと声がした。見ると中学生くらいの子たちが僕も見て笑っている。僕が泣いているのがよほど面白かったのだろう。まあ、そりゃあ笑える。きっと滑稽だろうなあ。良い歳をした大人が、こんなショッピングパークの一角で行われるような小さなコンテストで、感極まって泣くなんて。情けないなあ。  曲が終わったとき、中学生たちはまだ笑っていた。声を押さえてくれているだけ配慮があると思うべきだろう。しかし恥ずかしさは拭えない。  ――ぱちぱちぱちぱち。  どこからか拍手の音が聞こえた。  それは子頼さんのものだった。  口を真一文字に結んで、潤んだ瞳で僕を見つめていた。  ほら。  絶対に笑ったりしない。  この人が居るから勇気が目を覚ましたのだ。 「ありがとうございました」  感謝の気持ちが脳を介さないで口から出た。  すると先程まで拍手は子頼さんだけのものだったのが、まばらにではあるが増えていき、僕の退場に彩りを添えた。  最初全く唄えなかった僕に対してそれはあまりに大きな拍手に聞こえた。  ステージを降りると、鎌富さんが満面の笑みで迎え入れてくれた。次は火倉の番だったのでここに彼女は居なかった。  火倉は終始安定した声量と音程で歌い終えた。彼女の可愛らしさもあってか、会場からは大きな拍手が送られていた。  鎌富さんは自分の番になりステージに張り切って出て行った。  鎌富さんの歌声は素晴らしいものだった。まずもって声量が僕とは全く違い、晴天を貫く勢いだった。かと言って煩いわけではなく、耳に心地良いものであった。鎌富さんの声に聴き入っていると、不意に違和を感じた。二番に入ってから、なんだか音程が微妙にずれている。ただこれは微かなもので、この曲を知らない人ならば絶対に気付かないし、知っている人でも気付ける人がいるのかという程度のものであった。もしかしたら僕の耳が悪いだけかもしれないし、鎌富さんの声からは不調の旋律は感じ取れない。  もしかして、わざと外している……?  いやそんな馬鹿な。どうしてそんなことをする必要があるのか。  そんな疑念が残るままに、鎌富さんの歌は終わってしまった。  ステージから降りてきた鎌富さんに失礼ながら聞いてみる。 「素晴らしい歌声でした、鎌富さん。でも、なんだか二番から少し違和感があったんですけど。僕の勘違いですかね」 「あら、多楽多ちゃんってすっごい耳がいいのね」 「え」  それはつまり、音程が外れていたということだが、あえてなのか?  事の真偽を問おうとしたが、それは鎌富さんの声にかき消される。 「あ、ほらあの子」  鎌富さんが指した方向を見ると、そこには一輪の薔薇が立っていた。肩の辺りで綺麗に切り揃えられた栗色の髪。シャンパングラスの持ち手を彷彿とさせる危うささえ漂う華奢な体つき。  彼女はバイト初日で鎌富さんに激昂を食らって涙ながらに部屋を後にした人だ。 「ちゃんと来てくれていて良かったわ。それだけが気がかりだったの。多楽多ちゃんも彼女の歌声を聴いていてね。嫌になるくらいの美声とレベルの違いに打ちひしがれない様に心の準備だけはしておいて。彼女、絶対優勝するから」  凄い。なんという自信だ。他人だけど。やはり怒り狂いながら褒め称えまくっただけの事はあるということか。 「このコンテストはね。小さなコンテストだけど、結構業界の人が来るの。何せこんな開かれた空間の中で人目に触れながら唄うというのはなかなかない機会でしょう? そんな中で完璧に唄いきって観客を引き込むことが出来たら、それは音楽業界にとっては即戦力の人材になるの。彼女はこのコンテストの優勝を踏み台にして輝かしい音楽の世界に羽ばたくのよ」  まるで自分の事を話すようにきらきらとした目で語る。  彼女の番が来て歌いだす。  曲は僕でも聞いたことのある有名な歌であったが、歌い出しを聞いた時点で、まるで別の歌を聴いている感覚に陥った。  本家の歌い方はハスキーボイスではっきりと発音をするが、彼女は違った。奥行きのあるビブラート、シャープな高音、それでいて耳全体を包み込むような優しい声色。マイクからスピーカーを通して空気を伝わって耳に届くというより、ヘッドホンで直に聴いているような感覚だった。完璧に周りの喧騒をシャットアウトしている。それほどまでの声量ということであろう。先程の鎌富さんが蒼天を突き抜けるような歌声であるならば、彼女のそれは喧騒からこのステージ周りを守る柔らかな翼のような歌声。バックヤードからなので彼女の表情や動作を窺い知ることはできない。だが、きっと彼女の背中には白く大きな翼が生えていて、その翼がこの一角の全てを包み込んでいるのだ。  完全に彼女の歌声に引き込まれたその時、今までは見えていなかったものが見えた。  羽根。  ふわりふわりと宙を舞う羽根が、気付けば降っていた。不意にその羽根が寄ってきて、僕はそれを手に取る。瞬間。  ステージの上の彼女の表情が脳裏に奔る。  憂いに満ちた瞳と悲しみの影に染まる唇。  胸が切なくなる。  ごめん。君がこんな思いをしているだなんて、知らなかったんだ。僕はただ笑って居られるだけで幸せだった。でも君はどうやら違う未来を見ていたようで、君は僕よりただひたすらに大人だったんだ。しっかりしていた。だから僕には君が不釣り合いに思えた。でも二人笑い合えればきっとまたいつかの二人に戻れるって思っていた。けれど、それは僕の都合の良い妄想に過ぎなかった。だから二人の間に入った亀裂は最後の最後まで直ることはなかったね。そんな二人の行き違いが増えすぎたある日、僕は過ちを犯したんだ。君以外の人と手を繋いで笑いあい、抱きしめていた。そこに愛はなかった。嘘じゃあない。ただ君が望む未来に応えられない自分が嫌で。君が好きでいられる僕でいられる自信が持てなくなってしまっていたんだ。だから君を愛しているのに疎ましく思い、心とは違う行動を取ってしまった。でも心の中ではこうも思っていた。君のように素敵な人にはきっと僕よりも素敵な人がいつか現れて、二人は永遠に幸せになれるのだろうから、こんなバカな僕の事はさっさと忘れてほしいなって。二人で過ごす日々の間に、きっともう別れる未来を、僕は想像していたのだと思う。だから君もそうだと思っていた。僕がダメなら、すぐに別れて、新しい良い人と一緒に。君はしっかり者だから。大人だから。こんなクズな男との恋愛は、君の遍歴の片隅にカッコ書きで書くくらいでいい。いや、書いてすらくれないかも知れない。そう思っていたのに。そうじゃあなかった。ごめんね。そんなに深く僕を愛してくれているとは。気が付かなかった。ごめんね。やっぱり僕は駄目だ。ごめんね。こんなに君を傷つけたのに謝ることしかできやしない。ごめんね。  気が付けば僕は泣いていた。  涙が頬を伝い。  ボロボロと。  鼻水が垂れそうになり、ポケットティッシュを持っていないことを思い出す。  同時に、隣からポケットティッシュが差し出された。火倉だ。  僕は短くお礼を言い、静かに鼻を拭いた。  彼女の歌声が終わると同時に、ステージ前とバックヤードから割れんばかりの歓声が響いた。僕はと言うと完全に泣いていたので声を上げられない代わりに大きく拍手をしていた。今までの人生の中でこんなに大きく手を叩いたことはない。  しばらくその余韻を味わっていたいところだったが、彼女がトリであった為、僕らはバックヤードから出され、表の観客席に座らされた。  後は結果発表待ちということになるが、もう正直自分の結果などどうでも良かった。 「私は5位。多楽多ちゃんは7位ってところかしらね」  どうでも良かったが鎌富さんがそういうので、そうなのかなあと気になってきてしまう。 「鎌富さんも二番外さなかったら5位じゃあないと思うんですが」 「でも、あの子には勝てなかったでしょ? 1位で業界からアプローチが掛かるレベルではないってわかっているから。それが私の役目だから」 「役目?」  と言ったところで後ろから声が掛けられる。 「トミー! 多楽多君! お疲れ様」 「やーん、瓦来かわらいちゃん来てくれたのー?」  瓦来さんに僕は短くどうもと言って頭を下げる。 「聴いていたよ。二人とも良かったね。トミーは今回も5位くらいかな。さすがの調整力だね」  調整力? 「ありがとー!」  鎌富さんと二人に色々と聞きたいが、二人は二人で盛り上がってしまっているので付け入る隙がない。まあ、いい。このコンテストが終わった後にいくらでも聞くことはできる。  そうこうしている内にどうやら順位が決まったらしく、発表の時となった。  順位は先程鎌富さんが言った通りで、彼女は優勝した。  だが、訂正が入った。 「ですが、2位と3位の方が実は口パクで全て録音であったことが判明した為、二人のエントリーを無効とし、全員が順位を繰り上げる形での結果を正とさせていただきます」  上位二名が口パク。と言うことは、二人ともプロの歌声をそのまま流していただけということになる。つまり、1位の女の子はプロよりも評価されたということになる。なんて持っている人なんだ。これ以上の足がかりがあるだろうか。  しかしながらなんだかんだ言って先程のアナウンス通り順位を繰り上げるのであれば、鎌富さんは5位ではなく3位と言うことになる。 「やりましたね。鎌富さん」  そう言って鎌富さんを見るが、彼は目を見開いて口をパクパクさせているだけで、どうやら僕の声は届いていないようだった。 「驚きの結果だな」  瓦来さんが呟き、僕を見る。 「なるほど部長が言うだけのことはあるってことだ。トミーを凌駕りょうがしてしまうとは」  瓦来さんの真剣な表情に僕はなんと返していいのかわからず、ただ「はあ」と短く漏らすように返答した。 「ともあれトミー。起きてしまったハプニングはもうどうしようもない。表彰されてくるしかないよ」 「わ、私、どうなっちゃうのかしら」  鎌富さんの声は震えていた。 「大丈夫。今回こういうハプニングがあったということは主催者側もわかっているし、上には俺もちゃんと証言する。トミーの弁明は出来得る限り尽くす。それに第一俺たちは絶対評価の対象者だ。あくまで相対的な流れは気にすることはない。実際絶対評価ならトミーは4位につけていても問題なかったんだ。だが安全策での5位。これは君の思慮深さが導き出した答えで、それにケチをつける奴はいないよ。部長だってその辺はわかってくれるさ」  表彰の為に立ち上がる鎌富さんに瓦来さんは親指を突き立て、ウィンクをして見せた。  鎌富さんは頬を赤らめ、深呼吸の後、真剣な面持ちでステージへと歩いて行った。  二人のやり取りの意図はよくわからなかったが、二人とも真剣であったことと、お互いに信頼し合っているということが見て取れた。  表彰式が終わり、僕は足早にステージを後にした。  見に来てくれていた子頼さんは、もう帰ってしまっただろうか。  鎌富さんと瓦来さんの件もあるが、今は何より、彼女に会ってありがとうとお礼を言いたい。  多分真面目な子頼さんの事だから僕の結果が発表されるまでは近くに居たのだと思うのだけれども。近くをぐるぐると見回しても彼女の姿はなかった。お礼もそうだが、バイトの事もそうだ。僕が何を言ったところで慰めにもならない。でも、会って話がしたかった。 「ちょっとしゅいっつぁん!」  向けられた言葉の先を振り返ると火倉が立っていた。 「もう! ハンカチ買ってくれるって言うから楽しみにしてたのに、見回したらもういないんだもん! ばっくれやがってー!」  全く打力のないライトパンチがポコポコと浴びせられる。 「ごめんごめん」  僕は笑いながら火倉の拳を受け止める。  不意に、スマフォが着信を告げる。  子頼さんからのメールだった。 『コンテストお疲れ様でした。約束通り見に来ましたよ。とても素晴らしい歌声と凄まじい熱量に、感動しました。ありがとうございました。コンテスト終了後にお茶でもと思ったのですが、皆さん盛り上がっていらしたので水を差してはいけないと思い、先に帰らせてもらいました。お先に失礼します。またバイト先でお会いしましょう』  バイト先でお会いしましょうと書いてある。間違いない。彼女はクビになったと聞いたが。いつもの癖でそう書いてしまっただけなのか。わからない。わからないが、今ほじくるようなことではない。先程のコンテストには瓦来さんも来ていた。もしかしたら二人で何事かの話し合いがなされ、彼女のクビは解消されていたということも考えられる。どちらにせよ今返すメールではそれについては触れないでおこう。とにかくお礼のメールだ。そして次回のバイトの時、もしも彼女が現れなかったらメールをしよう。  メールを返信して火倉に向き直る。 「お待たせ。じゃあハンカチを買いに行こう」

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