半端者のダンス
第11話 子頼と守一

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 火倉ひぐらと別れて吾忍辺あしのべさんとホームへ向かう。 「今日はすいませんでした。こんなことになるとは」 「こちらこそすいません。私、あまり宴会ムードのようなものに慣れていなくて。その、火倉さんのように元気で明るい子に、どうやって接したらいいのかわからないというか。……多楽多たらくたさんは凄いですね」 「友達にちょうど似たようにうるさいやつがいるので、耐性があっただけです」 「それに私みたいな人間にも優しくて。私ちょっと誤解していたみたいです。多楽多さんとは凄く気が合うんだなあと思っていたんですけど、でも実際はそうじゃなくて、多楽多さんが私に合わせてくれていただけ。多楽多さんはコミュニケーション能力が高くて、どんな人とでも楽しく会話できる人なんだなあって」 「それは違いますよ」 「違いません。だって火倉さんとあんなに仲良さそうに……」  階段を降りながら、俯き加減に言う。 「私の話し方が堅苦しいせいですか? 2人とも凄く砕けて打ち解けあっているようでした。あんなに楽しそうに話す多楽多さんを見たのは初めてです」 「あいつが妙にフランクなので合わせていただけです」 「あいつって、気心知れた仲の人みたいに」 「あ、いや彼女がため口で話すので、僕もつられてしまうだけです」 「じゃあ、私と話すときに丁寧語なのも、私が丁寧語だからですか。合わせているだけですか」 「いや、僕の普段どおりが吾忍辺さんと居るときです」 「そう言うしかないですよね。この場合」  多分途中から彼女は怒っていて、僕は言い訳をしていた。  言い訳ではなく本当の事を言っているのだと、言語を介さず伝えられたのなら、どれほど楽だろうか。この心をそのまま言葉で表現しても、どこかペテンがかったように捉えられてしまうだろう。何よりこの心をそのまま言葉で表現はし切れない。どうすれば伝わるだろうかと考えている内、僕は気付かず話し始めていた。 「何て言えば信じてもらえるかって考えている事がまるで貴女を罠に嵌めようと企んでいるように思えて仕方ないので、ともかく僕が今思っていることをそのまま言います。僕は、話し方はただのツールにしか過ぎないと思っています。だから吾忍辺さんとの距離感をそれによって推し量る気はそもそもありません。それに一気に距離を詰めてくるタイプの人間は、僕は苦手です。お互いがお互いの距離を詰めるのではなく、外堀を埋めていく形でいつの間にか近くに居るというのがベストな関係だと思っています。つまり、今で言うなら、例えば仕事以外で個人的な付き合いをするくらいの親交があるくらいになって、いつの間にか丁寧語からため口になっていって、更にふとしたきっかけで苗字ではなく名前で呼ぶことがあって、いつの間にかそれが当たり前になるような。当たり前の日々の中にお互いが介在し合えるような。そんな関係です。ですがもしも吾忍辺さんが望むのなら、これから貴女の事を子頼と呼ぶし、もう丁寧な言葉も使わないようにするけれど、それでいいですかな。……かな?」  語尾が老人のようになってしまって、焦る。  それを見て吾忍辺さんはふふっと笑った。白詰草の笑顔で。 「無理はしないでください。かくいう私も基本的に丁寧語になってしまいますから。でも」  この駅には止まらない特急が風鳴りを引き連れてやってくる。景色を巻き込みながら通り過ぎる電車に吹きさらされて、彼女の長い髪がふわっふわと舞い上げられる。暴れる髪を押さえ、前髪をかき分けながら、大きな瞳で僕を見つめる。笑顔のままで。電車が通り過ぎるのを待って。ただそれを見つめ返すだけの時間が、とても穏やかで愛しい一瞬であった。電車が通り過ぎ、彼女の薄い唇が先程言い掛けた次の言葉を放つ。 「子頼って呼ばれるのはとても嬉しいです」  心がフカフカのソファに深く身を委ねた。後頭部から首筋にかけて心地の良い痺れが走る。 「だから私も貴方の事を名前で呼びますね。守一しゅいちさん」  心地の良い痺れが電流に変わり、今度は背中から頭の天辺に駆け上がる。 「なんで知っているんですか!?」 「社員名簿に載っていましたよ」 「ああ」  そういえば勤退表にフルネームが書かれていた気がする。  子頼さんはホームの向こう側をちらっと見ると、視線を僕に戻し一歩前に出た。 「一つお願いがあります」 「なんでしょう」 「手を繋いでもらえますか?」  いつも控えめで奥手な彼女からそんな申し出があるとは思わず、戸惑ってしまう。 「嫌ならいいんですけど。ただ少し安心したくて。我儘わがままを言いました」  僕はそれには答えず、彼女にばれないように掌の汗を服で拭い、そっと指の先を摘まむようにした。白く柔らかい指先はしっとりと濡れており、そこから彼女の緊張が感じ取れた。それが分かるとなぜだか物凄く安心した。ああ、彼女も恥ずかしいのだ。指先から少しずつ自分の指を絡ませて、右手と左手が離れないようにしっかりと結んだ。高鳴る鼓動が周りの雑音を掻き消して、辺りは静寂に包まれているようだった。その静寂の中でドクドクと五月蝿くなり続ける鼓動が、自分が生きていることを実感させてくれた。それが堪らなく嬉しくて図らずも笑みが零れてしまう。顔が火照っているのが分かった。多分耳まで赤いんだろうな。彼女の顔は恥ずかしくて見られないけれど、きっと同じ顔をしていると思う。そして同じように、「ああきっと守一さんも今同じ顔をしているのだろうな」と思っていると思う。そんな考えさえも見抜いて欲しいなと思う僕は、今地上で一番貪欲なのだろう。しかしその貪欲な願いも恐らく叶っているであろうことを考えれば、僕は今地上で一番幸せなのだろう。ただ手を繋ぐこと。それがこんなにも幸福であることに僕は今更ながら気付いたのだ。  僕らを乗せる電車が来るまで10分以上無言で手を繋いでいたが、少しも気まずいと思うことはなかった。エレベーターの時とは違う。穏やかな時間だった。僕はこれまでに過去に戻ってやり直したいと思うことが何度もあったが、そんなことを思うのも今日までだと思った。なぜならやり直してもきっと子頼さんと手を繋ぐ未来を選ぶから。この未来に辿り着くまでの長すぎるプロローグはもうやり直す必要がない。生まれ落ちたその日から、子頼さんと出会うまでの日々は一瞬であってほしい。その分これからこういう幸せが訪れる度にその一瞬を何百倍までも引き延ばして欲しい。どれだけ引き伸ばしてもきっと一瞬に感じてしまうから。永遠じゃあ足りないから。  だから電車も手を繋いでから1秒も経たずに来てしまうのだった。  電車に乗り込み二人で座ると二人の手はいつの間にか離れていた。 「すみません。守一さん。私は嫌な女です」 「そんなことはないですよ」 「さっき、ホームの向こう側に火倉さんが居たんです。こっちを見て手を振り出しそうだったので、慌てて目を逸らして……守一さんに手を繋いでくださいとお願いしました。すみません」  俯き耳まで真っ赤に染め上げた子頼さんが震える声で弁明する。 「私、丁寧な言葉で自分を隠していますけど、本当の自分はとても醜いです」 「子頼さんが言うならあえて否定はしませんが、でもそのおかげで手を繋げました。だから子頼さんが醜くて嫌な女だとしても傍に居ますよ」  彼女は俯いたままだ。肩が震えている。 「私、守一さんに出会っていっぱい救われました。今もまた救われました。だらしなくぶら下げたままの夢を語れる友達なんて今までにいませんでした。周りに友達と呼べる人が居てもずっと孤独でした。私はこのまま孤独に一人死んでいくしかないんだと、いつの間にか絶望と仲良しになっていました。でも守一さんと出会って今まで人に話せなかったことをいっぱい話せて、生きていて良かったとすら思いました。もうこれからはずっと孤独ではないのだと。そう思ったら今まで救いのない小説しか書けなかった私が、主人公が救われる小説を考えられるようになりました。それからずっと筆が乗り続けて、書いていて楽しいと思えるようになりました。でもそう思えるのも守一さんと一緒に居られる時と、その余韻が残ったその日の晩までです。また朝になったら絶望が傍に居て、こっちを見ながら笑うんです。まだ私と貴女は仲良しだよって。守一さんは今まで味わったことのないほどの充足感を与えてくれるけれど、その分それがなくなったときの虚無感が大きくて、堪らなくなるんです。求めてしまうんです。だから守一さんが出勤しない日は不安が募ってしまって。今日は守一さんとご飯を食べながらいろんなことを話そうと思っていました。それなのにその場には火倉さんが居て。火倉さんがずっと守一さんと話していて。火倉さんは私にはないものを全部持っている人のように見えました。明るくて、元気で、細くて、可愛くて……。彼女を見ているうちにどんどん自分が惨めになっていくのを感じました。優しい守一さんはそれでも私を救おうとしてくれました。会話に入れない私に話を振ってくれたり、何を食べるか聞いてくれたり。でもその気遣いが余計に私を不安にさせました。こんなにも素晴らしい人にはきっとたくさん友達が居て、私はその中の一人にしか過ぎなくて、今のバイト先にもどんどん友達が増えて行って、私と一緒に居てくれる時間は少なくなっていって、いつかは忘れ去られてしまうのではないかと。勝手に膨らんでいく不安は止められないから、さっきはついあたってしまって。余計に嫌われてしまうのに馬鹿だなあ私はと思っていたのに、守一さんはまた救ってくれました」  誰かが降りる駅に着き扉が開く。この車両からは誰も降りず、扉が閉まり、発車する。周りをよく見ると誰も乗っていないようだった。 「僕も同じですよ。子頼さんと出会って今まで霞んでいた世界がハッキリ見えるようになった。空気はこんなにも澄んでいて、水はこんなにも美味しいのかと思えるようになった。行きつけのはこそばだって味付け変えたんじゃあないかっていうくらい美味しく感じられるようになった。だから子頼さんが居ない日は僕も不安です。春の空気はいつも通りぼやけていて、水はカルキ臭くて、箱そばは安い味がします」  まあ、箱そばはそれでも好きだけど、と付け足す。  お互いが話していく中で、先程の飲み会の事に話が触れた。 「本当はもっと早くお食事を終えて、守一さんのコートを直すつもりだったんですよ。裁縫道具まで持ってきたのに」  そう言いながら僕を見て子頼さんが首を傾げる。 「あれ? そう言えば守一さんコートどうしました?」  言われて自分の格好を確認して、焦る。どこかに忘れてきてしまったのか。居酒屋、バイト先、仕事場。思考が出勤する前にまで到着して、そう言えば今日は暖かいので、コートは家に置いてきたことを思い出した。 「すいません。家に有ります。今日、暖かかったので」  また今度お願いしよう。その時は忘れず持って来よう。そう思っている横で、子頼さんは何やら俯き加減にぼそぼそと喋っている。聞き取れずに「え?」と聞き返すと、ビクッと肩を震わせ、今にも泣きだしそうな瞳で、白い頬を赤く染めながら口をパクパクさせている。 「どうしたんですか? あ、怒っていますか? 折角裁縫道具まで持ってきたんですからそりゃあそうですよね。すいません」 「いえ、そうでは無くてですね」  口籠りながらまた俯いてしまって、しかし今度は辛うじて僕の耳に届く声で囁いた。 「お、お邪魔でなければ、い、家まで行って」  僕はそのセリフを聞いて、一瞬にして彼女以上に気が動転してしまい、可否の答えではなくなぜだか 「ありがとうございます!」  とお礼を言ってしまった。もうとにかく良い意味で受け取ってくれと切に願うしかなかった。

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