アルヒのシンギュラリティ
その街には、神様がいる - 3

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*     スタンは白衣を身にまとい、クオリー工場内の小さな部屋の中にいた。  あの日の会話が、アルヒと二ヶ月ぶりの会話であったことなど、スタンは知りもしなかった。家族のことなど、気にする暇がないほどに、とにかく研究が忙しいのだった。  昨日も久しぶりに家に帰り、自室でしかできない研究にゆっくりと取り掛かろうと思っていた。しかし、急な予定変更があり、今日もこうして朝からクオリー工場に来なければならなかった。  断るわけにはいかない用事だ。その人とはもう長い間、お互いに切り離すことのできない関係になっているのだから。そしてこれも、この街の未来のためなのだ。  扉の開く音がして、スタンは立ち上がった。  現れた人影は、ダブルのスーツを着て小綺麗な格好をしているが、でっぷりとしたお腹は隠せていない。 「まずは……ご無事でしたか?」  ブラーの血色の良い顔を見ながらも、スタンは建前上、そう尋ねた。 「スタンくん。急に時間を作ってもらって悪かったな。怪我はこの通りなんでもない。だが、気がかりなことがあってな……。それでこうして君に会いに来たわけだ」 「犯人の正体のことでしょうか?」 「そうだな」  大臣が何者かに襲われたという話を、スタンは研究所の部下から聞いた。そのあと本人から連絡が入り、こうして二人は会っている。  いつものように二人はテーブルを挟んで座った。クオリー工場内にある一室。一部の人しか入ることしかできない、密会に適した部屋だった。 「不思議な報道のされ方でしたね」 「そうだ。まぁ、ほとんどの人は気がつかないだろう。この街は、満たされているからな。いや、君のおかげだよ」  ブラーはどっしりと椅子に座って、目つきの悪い顔でスタンを見た。メディアの前で見せる笑顔とは対照的だった。  「だが、早急に解決する必要がありそうだ。こんなことを相談できるのは、君しかいないと思ってな」 「……そうですね。確実に……ロボットだったんですよね?」 「そうだ。そのレストランには、人工知能に反応するセンサーがあった。警報とともに入ってきた犯人は、私に向かって電子銃を発砲し、去っていった。護衛のロボットが身を艇して守ってくれたから無事だったものの……。そして、私はこの通り腕に小さな傷を負った」 「ロボットが人を傷つけた、ということですね」  大臣は小さく頷いた。  「人を傷つけることができるロボットが存在するなんて、ありえないことです。その目的もわかりません」 「そうなんだ。私もまだ半信半疑なんだ。だが、また現れないとも限らん」  大臣は椅子に深く座って、体を背もたれに預けた。スタンは少し考えを巡らせた。 「そうですね……。私にアイデアがあります。少々荒っぽい方法かもしれませんが……」  この部屋には自分たち以外誰もいない。話を聞かれる心配もない。それでも、スタンは自然と少しずつ声のトーンを落としながら会話を始めた。  スタンは話しながらも、ずっと昔のことを思い出していた。そのときもこの部屋で、大臣とこんな風に話をしていた。いや、そのときはまだ大臣ではなかったか。 「……そうか。何かを解決するには、リスクも必要だということだな。その通りだと思う。この件は、専門家である君に任せることにしよう」  ブラー大臣は不安そうな顔をしながらも、重そうに体を持ち上げ、扉へと向かった。スタンも立ち上がった。 「それともう一つ……うちの息子は学校の成績が今一つ良くないようだが……君のところの子どもは、優秀に育っているみたいだな」  思い出したように、大臣は言った。 「それがどうかしましたか?」  「心配しているんだよ。優秀過ぎてな。まるで君のように」  急に息子の話をされて、スタンは調子が狂うようだった。だが大臣が何を心配しているのかもわかっていた。 「……大丈夫ですよ。何かありましたら、私がうまくやります」  大臣は、作ったような笑みを浮かべた。 「よろしく頼む、な」  大臣は扉を開き、一言そう行ってから去って行った。  スタンは部屋に一人残され、もう一度椅子に座ってから、深いため息をついた。  すべてはこの街のためだ。そう、この街の。  スタンはテーブルに肘をついて、手のひらで顔を覆った。もう、決心をしなければいけないのだ。  スタンは子どもの頃から、このサンクラウドの不自然さを見抜いていた。そして大人になって、この街のために尽力することが、さらにこの街を不自然にするのに役立つのだということもわかった。  そして不自然になればなるほど、誰もがこの街の暮らしに満足し、その不自然さの正体に気がつかない。それは、この世界の過去のことや……外の世界のことだ。  それでいい。ずっとそう思いながらスタンは研究に励んできた。  だが妻が亡くなったときに、彼はすべてを悟った。もうこれ以上、このお遊びに付き合う必要はないのだと。  ロボットは、いつまでも人間と足並みを揃えていてはくれない。もし誰かがこの街の不自然さに気がついて、その解明を試みるなら、いずれ過去の出来事の繰り返しが起きてしまうだろう。人の好奇心は、尽きることがないのだから。  いや、それに気づくのが人間だったならまだいいのかもしれない。もしも先に、ロボットが気づいてしまったらどうなるだろうか。それは終わりの始まりである。ロボットのためを思うのなら、もうすでに人間など必要ないのだ。  そしてその終わりの始まりが、刻一刻と近づいて来ていることをスタンは感じていた。裏町の噂などはバカにできないものだ。ただの噂が、噂で済まないこともある。  そして、アルヒのこと……。  天才と言われる男も、子どものことになると、判断が鈍るのだった。  アルヒは妻の大切な忘れ形見だ。素直で、頭のいい子ども。  どう接すればいいのか、未だにわからない。

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