アルヒのシンギュラリティ
その街には、天国がある - 1

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 新しく買ってもらった服があると、それだけで気持ちが晴れ晴れとする。  サシャは木の実のビーズがあしらわれたリボンを髪にあてて、姿鏡の中を覗き込んだ。  よし、と頷いて少し鏡から離れると、首のリングの小さなスイッチに手を当てた。しゅっ、と音を立てて、リングから膝の下までマントが広がった。  リングマントは、多くの若者に選ばれているファッションの一つだった。どんな季節でも、マントの中は快適な温度に調節してくれる。見た目も様々な模様や色があり、個性を出すこともできる。 「サシャー。ちょっと降りて来てー。少しだけ店番してくれないかしら?」 「はーい。今いきまーす」  下からお母さんに呼ばれて、サシャは返事をした。お母さんは買い物が好きだ。そんなのロボットに任せればいいのに、とお母さんの友達は言うらしいけれど、自分の欲しいものを自分で選ぶのは楽しいことだと、サシャも知っていた。だから買い物に行く夕方の時間に、少しだけ店番を頼まれても、サシャはそれを嫌がったりしない。  サシャの家は、大地に落ちた葉っぱや木を加工して、アクセサリーにして売る店を営んでいた。加工の技術やデザインに定評があり、常連のお客さんも多い。お父さんもお母さんも手が器用で、みんなが見過ごしてしまうようなものを、すぐに可愛くデザインしてしまう。何と言っても、二人とも見た目がおしゃれなのだ。お父さんは店のアクセサリーをこなれたように身につけるし、お母さんも外出するときは、必ず自分でデザインしたセンスのいいスカーフを巻いている。  私もお母さんみたいになりたいと、サシャはいつも思っていた。  下の階に降りると、お母さんはもう家を出て行くところだった。 「なんかあったらジュジュに助けてもらいなさいね」  「うん、わかった」  ジュジュはサシャの家のお手伝いロボットだ。明るい性格で、サシャが学校で辛いことがあったときも元気づけてくれたりする。ロボットの型はCX-C2と呼ばれていて、エンジ色のボディから伸びた二本足でまるで人間のように歩く。ちゃんとお洋服を着せたら、後ろから見れば本当に人間だと間違えるかもしれない。彼女は嫌がるだろうけれど。 「ねぇジュジュ、このリングマントの柄、とっても素敵だと思わない?」  サシャはくるりと回転し、体に纏ったマントをひるがえしながら言った。 「あら、綺麗な色使いね。サシャにすごく似合っていると思うわ」  ジュジュはマントの裾を掴みながら言った。彼女はお手伝いロボットでありながら、サシャにとってお姉ちゃんのような存在だった。サシャの両親も、そうした態度で家族に接してくれるジュジュのことを気に入っていた。  店は一階にあって、二階が三人とジュジュの家になっていた。外から見ると円柱の形をしている、特徴的な見た目の家だ。一階には大きな窓があって、晴れの日は自然の光が燦々と差し込んできて、店内は明るくなる。  木目のテーブルの上には、手作りのアクセサリーが並べられている。最近のサシャのお気に入りは、木のかけらを丁寧に紙やすりにあて、穴をあけて絹の紐を通した首飾りだった。手触りが良くて、微かなぬくもりを感じる。材料のほとんどは、フラワーヒルからお父さんが仕入れているのだ。裏の庭には、たくさんの材料がケースに入って積まれている。  今では考えられないけれど、昔の人は数え切れないほどの木々を切り倒していたらしい。そうして街を作ったり、その木で家を建てたり、紙を作ったりしていたと、歴史の授業で習った。今では木造の建物なんて、限られた目的以外で建ててはいけない決まりだし、紙なんて普段の生活で触れることもない。学校の教科書も資料も、すべて画面の中にしかないのだ。  サシャは歴史に興味があった。今は映像やホログラムでしか見ることのできない生き物たちが、昔はもっとたくさんいたらしい。もう今は触れることのできない種類の草花が、過去の世界にはたくさんあったのだと聞くと、サシャは自分がその時代に生まれてこなかったことを心から惜しくなった。  それでも、その時代にはロボットたちがいなかったことを思うと、サシャはすぐに考えを改める。ロボットたちがいないなんて、一体どんな暮らしだったのだろう。どこへ行くにも便利なフュリーも、家を建てたり畑を耕したりするロボットもいなかったのだ。  そして何より、家族同然に大切なジュジュ。いつもどんなときも、色んなことを教えてくれる彼女のような存在もいないのだ。 「サシャ、来月からエアードのシーズンが始まるわよ。観に行かない?」 「あ、もうそんな時期なのね。観に行きたいわ」  サンクラウドではエアード・フットボールというスポーツが大人気だ。空中ブーツを履いて、選手は五十センチから一メートルの高さで宙に浮かび、その高さを自在に調節しながらボールを相手のゴールへと叩き込む。特殊なボールも、その間の高さを不規則に浮かび続けるので、普通のフットボール以上に立体的な駆け引きが必要になってくる。  サシャも学校の授業で何度かやったことがあるが、空中ブーツの高さ調節は難しい。それでも空中でボールをうまくドリブルできると、とても達成感がある。  そう、そんな楽しいスポーツさえ、過去の世界にはなかったのだ。過去に生まれてきたかったなんて、無い物ねだりなのだ。今あるものを大事にしなくてはいけない。  サシャは、ロボットを大切にしない人がいることを許せなかった。ロボットたちはこんなにも優しくて、頼り甲斐がある。いつも彼らがそばにいてくれることは当たり前ではない。感謝を持って暮らさないなんて、間違っている。 「あれ、でもジュジュ、最近できた恋人と行かなくてもいいの?」 「ああ、彼はエアードには興味がないみたい。人間同士がぶつかっているところを見ても楽しくないって」 「そうなんだぁ。絶対行ったら熱狂するのに」  ジュジュは少し前に恋人ができたとサシャに報告してくれた。前の彼とは結構すぐに別れてしまったことを知っている。この街ではロボットでも、気が合うものは恋人同士になったり、一緒に暮らしたりすることができるのだ。 「サシャだって、恋人はまだ早いけど、好きな人くらいはいるでしょう。デートに誘ったりしないの?」 「……いないよ。好きな人なんて」  学校にかっこいい男の子なんていない。みんな、子どもっぽいのだ。  でも、かっこいいとは思わないけど……ちょっと素敵だな、と思う男の子なら、いる。前髪を横に流して、いつも澄ました顔をしているあいつだ。  彼は頭が良くて、面倒見がいい。私がしたいことに、文句を言いながらも結局付き合ってくれる。今回のこともそうだ。  だけど彼は、どこか自分と違う世界に生きているような気がする。うまく説明できないけれど、他の人とは違う、不思議な空気を纏っているのだ。 「あら、またそんなこと言って。ほんとはどうなの?」  いないよ、とサシャが照れながら言ったところで、お客さんがやってきて、二人の話は中断された。サシャは、少しだけホッとした気持ちになった。

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