アルヒのシンギュラリティ
その街には、神様がいる - 5
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 アルヒはその夜、夢を見ていた。  夢の中で、見たこともないお花畑の上を歩いていた。太陽の光が降り注ぎ、色とりどりの花が、アルヒのくるぶしほどの高さで一面に咲いている。ここはフラワーヒルだろうか。こんな場所があったなんて知らなかった。  アルヒがしばらく歩いて行くと、小高い丘の上に、何かが並んでいるのが見えた。アルヒが走って丘を登っていくと、そこには綺麗に整列したたくさんのロボットたちが、胸に手を当てて膝をついていた。祈りを捧げているのだ。ロボットは旧式のものから、最新のものまで、様々な種類の型がいた。その集団に交じって、同じように地面に膝をついているロビンを見つけた。 「ロビン?」  アルヒは声をかけたが、どうやら聞こえていないようだった。もっと大きな声で呼んでみようかと思ったが、厳粛な雰囲気にそれは憚られた。  急にあたりに日陰が訪れた。空を見上げてみると、街の端である壁の向こうから、知の塔のような高さのロボットが、太陽を背にしてこちらを見下ろしていた。  その巨大なロボットは、体を少しそらして勢いをつけたかと思うと、その大きな体で壁を突き破った。それから一歩一歩、大地を轟かせるような音を立てながら、こちらに迫ってくる。  みんな、危ない、逃げなきゃ。  そう思い走ろうとするが足が動かない。アルヒが自分の足元に目をやると、知らないうちに両足は粘着性のある沼にはまっていて、上にあげることすらできない。  みんな、あっちを見て。街が、サンクラウドが壊されてしまう。  ロボットたちはその脅威に気づいているはずなのに、なんの行動を起こそうともしなかった。ただただ、祈り続けているばかりだった。まるでそうすることで、自分たちに迫っている危険から、身を守ることができると信じているようだった。  ロボットが祈って、何になる! 僕は足を沼に取られて動けないんだ。助けて。祈ることなんて、意味があるものか!   気がつけば、右隣にジョーンズがいた。 「だから言っただろう。ロボットを付け上がらせるからだ!」  彼は叫んだ。  そうだ。その通りだ。やっぱり人間とロボットは、価値観が違うんだ。いざというときに相容れないんだ。  そして、左隣にはサシャが立っていた。 「いいえ、ロボットだって、もうほとんど人間と同じじゃない。何を怖がっているの?」  サシャがたしなめるように言った。  こんな状況で、サシャはまだそんなことを言ってる。逃げなきゃいけないのに。  巨大なロボットは、街を破壊し、一歩一歩ゆっくりと、確実にそこまで迫っている。  ズシン。大きな音を立てて踏み下ろしたその足の下には、たくさんの花が下敷きになっていた。  アルヒは祈りを捧げるロボットの集団に向き直った。 「ロビン、助けて!」  アルヒは叫んだ。  それでもロビンは、集団の中こちらに見向きもせず、一心不乱に祈りを捧げていた。  はっ、として目が覚めたとき、アルヒは自分のベッドの中にいた。  夢だ。夢だった。  額には汗が流れていた。   自分は夢の中で、なんてことを思ってしまっていたんだ。  アルヒはベッドの上で汗をぬぐいながら、サシャのことを思い出していた。ジョーンズがクーを痛めつけていたあの日、自分はどこかでクーのことを、ただのロボットだと思ってはいなかっただろうか。強く叩かれたら「痛い」と言う、そうプログラムされているだけの存在だと思ってはいなかっただろうか。  誰よりもロボットに関する知識があるアルヒは、ロボットという存在は、本当はただの部品の組み合わせに過ぎないことを知っている。プログラムされて、まるで心を持っているかのように振舞っているだけに過ぎない。好きや嫌いの問題ではなく、そうだと知っている。  ただ、そう思っても、そう言うことはできない。本当はクーが痛いと思っていることさえも、よくわからないのに。   どこまでも純粋に優しいサシャ。でも自分はそうはなれない。ロボットをただのロボットだと思っている自分は、優しくなりたいだけなのだ。  偉大な父の息子として、将来自分もなるであろう一人の研究者として、アルヒは正しく生きていきたいと思っていた。しかし、正しく生きるとは一体どういうことなのだろうか。自分はロボットのことをどう思っているのだろう。  ……だめだ、まず、目の前の問題をなんとかしなくては。  アルヒはベッドの中で体を起こした。  問題を解決するには、父の部屋にきっとあるであろう、コンピューターをこっそり使わなくてはいけない。  部屋の大きな窓から見える空は、まだ明るくなる前だった。父は今日もクオリー工場の研究室にいるのだろう。  妙に目が冴えている。アルヒはベッドに手をついて立ち上がった。階段を降りて、静まり返ったリビングに立つ。短い廊下の先には、父の部屋の扉があった。  父がいつも、扉のそばの壁に手を当てて、生体認証のロックを解除しているのをアルヒは見ていた。  電子ロックなんて、少し時間があれば、簡単に騙すことができるはずだ。 (ちょっと入って、使わせてもらうだけだ。バレなきゃ……怒られることもないよね)  アルヒは早速ロックを解除する作業に取り掛かった。  こうした家庭用の生体センサーの下には、大抵の場合、暗証番号でも解錠できるような仕組みが備えられている。しかし、その番号が何桁なのかさえわからない。八桁だとしても、その答えは一億通り以上ある。気をつけなければいけないのは、連続して間違えると、父に連絡がいく仕組みになっている可能性が高いことだ。  どんな種類のものであれ、装置の仕組みを考えている時間は、アルヒにとって至福のときだった。どうすればロボットが動くのか、どうすれば人形が空中を浮かぶのか。どうすれば鍵が開くのか。  まずこのセキュリティーの通信装置を騙すことができれば、自分はコンピューターを使って、すべての通りを入力して扉を解錠できるだろう。  アルヒは扉のセンサー部分のカバーを外し、その中を確認することにした。自分が理解できるものだろうか。挑戦する喜びのようなものを感じながら、アルヒは中を覗き込んだ。  するとそこにあったのは、意外にもアルヒが拍子抜けするほど簡単な仕組みだった。 (どうして、こんな単純な作りになっているんだ……?)  アルヒは困惑しつつ、中の仕組みをすぐに把握した。そして一つの線を抜き、一つのチップを抜き取る。  これで、通信機能は遮断した。  次にアルヒは部屋のコンピューターと電子錠をつなぎ、コンピューター上の仮想空間ですべての通りの暗証番号を、順に入力させていく。アルヒが扉のロックを解除するのには、五分とかからなかった。ピー、と少し長い音が鳴って、センサーが緑色に点滅する。  思ったより、簡単だった。どうしてこんなセキュリティーなんだろう。  そう思いながら、アルヒが解除された扉に手をかけたときだった。  手と扉の間が光ったと思うと、アルヒの指先に、冷たい針に触れたような感覚が訪れた。 ――電流。  そう思った瞬間に、アルヒの意識は深い闇に包まれていた。
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