アルヒのシンギュラリティ
その街には、人間とロボットが暮らしている - 4

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「なんだぁ? 正義の味方気取りでカッコつけるなよアルヒ。また前みたいに怪我させてやろうか。お前のお父さんもすごいかもしれないが、俺のお父さんは大臣なんだ。手加減はしないぞ」  アルヒは、これまでも彼に何度か突き飛ばされたりしてきた。何年か前に同じクラスになったときには、頭にちょっとしたコブができるくらいのこともあった。体格が全然違うのだ。ジョーンズは学校でも一番体が大きい男だ。エアード・フットボールで鍛えられ、誰にもケンカで負けたことがない。スポーツのセンスは、年上のマスターズスクールにも知られているらしい。  一方でアルヒは、どちらかというとクラスでも小柄な方である。 「君に敵うとは思わないけど、僕もサシャの意見に賛成だから」  痛い目にあわされるのは怖かった。それでもアルヒもまた、幼い頃から一緒にいるサシャに影響されてか、目の前で行われている悪いことは見過ごせなかった。  するとそのとき、お掃除ロボットが場違いな声をあげた。 「早くヘブンに行きたイ! ヘブンに行ったら、人間なんかと暮らさなくてすむのニ!」  過激な内容とは裏腹に、高い幼さを含んだ声だった。全員が彼の方に視線をやった。 「……そうだな。だけどヘブンなんて、実際どんなところかわからないぞ。人間は誰も行ったことがないからな」  ジョーンズは鼻を膨らませて言った。 「どうしてあなたはそんなことを言うの? ヘブンは素晴らしいところよ。ロボットがロボットだけで暮らせる、幸せな街よ」 「ふーん、どうだろうな。人間は誰も入ったことがないんだ。俺のお父さんでさえだ」 「いーえ、素晴らしいところよ」  サシャは自分の倍以上もの体重があるであろうジョーンズに対して、距離を詰めながら、折れることなく意見を言い続ける。ジョーンズは近くに迫られ、最終的に少し照れたように目をそらした。 「う……そんなに言うなら……じゃあな、ヘブンの写真を撮ってきたら、この馬鹿なロボットのことは許してやるよ」 「……ヘブンに人間は入れないのよ?」 「でも素敵な場所なんだろ? それなら簡単だ。ボウもそう思うよな?」 「え……うん、そう思う。ヘブンの写真、撮れると思う。撮れないって言うなら、ヘブンなんてないってことだ」 「何を言ってるのよ!」  サシャは突然降って湧いたこの不公平な取引に、言葉にできないほど腹を立てていた。それを横で見ていたアルヒは、彼女が目の前の憎たらしい同級生に掴みかかるのではないかと、一瞬ハラハラした。しかし、そんなパンパンになった風船のように張り詰めた空気に針を刺したのは、意外にも座り込んだままのお掃除ロボだった。 「私だって一目見てみたイ! ああ、ヘブン! 広大なるプレーンズ! ああヘブン」  まるで何かの歌のように彼は言った。間抜けな空気があたりに漂う。アルヒは少しだけ笑いそうになって、俯いて顔を隠した。 「ほら、こいつだって言ってるぞ。ヘブンを見せてあげないと」  ジョーンズは皮肉っぽい笑みを口に浮かべている。 「……もう、わかったわ。ヘブンが写った写真を撮ってくる。そしたらこの子に暴力を振るうのをやめる。いいわね?」 「おう、できるもんならな。もしできなかったら、どうする?」 「もしできなかったら……」 「もしできなかったら、俺の言うことをなんでも一つ聞くことな」  サシャは沈黙した。 「どうした? 自信がないのか?」 「……やってやるわよ! そのかわり、ヘブンの写真が撮れたら、金輪際ロボットに暴力を振るわないことね!」  ジョーンズは、まるで新しいおもちゃを買ってもらえることが決まったかのように、ニヤリと頬をあげて拳を握った。 「約束だ。期限は、次に月が満ちる日まで。満月の約束だ。いいな?」  それは、およそ一ヶ月後ということだった。アルヒが十歳になる誕生日は、その一週間前である。アルヒはこの約束を、どうせなら九歳の間に果たしてしまいたいと、心の中で思った。 「……わかったわ」 「それじゃあな。写真、楽しみにしてるぞ」  肩をいからせながら、ジョーンズは歩いていく。その後ろを、ボウがちょこちょことついていった。  その場には、二人とお掃除ロボットが残された。  サシャの指先は微かに震えていた。ジョーンズにあんな約束を迫られ、本当は怖かったのかもしれない。アルヒはサシャに声をかけようとした。 「だいじょ……」 「……大丈夫?」  アルヒが言うより早く、サシャは傷つけられたお掃除ロボットに近づいて、手を差し伸べた。 「ああ、ワタシのためにすみませン。こんなワタシみたいなロボットは、生きている価値もないんでス。こんなロボットは、きっとヘブンに行ったって同じなんダ」  小柄なお掃除ロボは、アルヒと同じくらいの身長だ。その小さな身体を震わせ、俯いたまま泣き出しそうな声を出した。 「そんなことないわよ。もしあなたが望むなら、きっとヘブンでは幸せな生活が待っているわ」 「ああ、さっきのビッグボーイが言っていたように、本当にヘブンはそんな場所じゃないのかもしれなイ」 「あんな奴の言うことは信じないで」 「ああ、一目でいいから見てみたイ。広大なるプレーンズ。ああヘブン」  さっきと同じフレーズをロボットは繰り返した。 「心配しないで。ちゃんとあなたにも見せてあげるから」  サシャはロボットに優しい。昔からそうだった。廃棄場に捨てられたロボットや、重労働で傷んでしまったロボットの映像を授業で見たときに、涙を流していた。去年、学校の行事でフラワーヒルに出かけたときも、そこで働いている作業ロボットの環境を心配していた。  「こんなに優しくしてもらったのは初めてでス……」 「優しくなんてないわ。あなたは悪くないんだもの。それなら、闘わなきゃ」  サシャはそう言って笑った。何にも負けない、何にも汚すことができないような強さがその笑顔にあった。 「サシャ、彼を連れてヘブンの写真を撮りに行くの?」 「うん」 「ヘブンは人間の入れない場所だから……バレないようにしないといけないね。彼と一緒だと見つかりやすくなっちゃうよ?」 「ほら、こうすればいいのよ」  サシャはロボットの頭を引っぱった。 「え、何するの?」 「わあ、痛いイ」  スポッ、と小気味のいい音がして、彼の胴体と頭が切り離された。 「ほら、これで持ち運べるわ」  サシャはどこか自慢気にロボットの頭を掲げた。 「これでも見えてるのよね?」 「み……見えてまス」  彼は戸惑いながらも律儀に答えた。視点が違う場所にあるからだろう、胴体は方向感覚を失ってジタバタしている。確かに、ロボットは型によっては体と頭を切り離しても、問題なく機能する。これはちょっと乱暴な気もするが……。 「こうやってリュックに入れて、ヘブンの見える場所に連れて行ってあげたらいいのよ。あなた名前はなんていうの?」 「クーでス」 「じゃあクー、どこへ行けばヘブンの写真が撮れるのか、一緒に考えましょう」  そう言ってサシャはクーを頭上に掲げた。  クーはサシャの手の中で、切り離された自分の胴体を見ながら、パチパチと何度も瞬きをしていた。

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