テストが終わり、アルヒは螺旋状のエスカレーターを降りていた。エレメンタリースクールは二つの建物に分かれていて、五歳から七歳の校舎と、八歳から十歳の校舎がある。アルヒは九歳だが、もうすぐ誕生日を迎え十歳になるので、一番上の学年だ。来年からは隣のマスターズスクールに通うことになる。そこでは自分の得意なことを、より集中して勉強できるようになるのだ。アルヒはもちろん、ロボ工学の勉強にもっと時間を割きたいと思っていた。あの父の息子だと知られなくても、周りに認められるくらい賢くなってやる。そしてそれから、本人にも……。 授業が終わって一番に教室を出てきたアルヒだったが、それは今日のテストの結果を早く父に伝えたいという、逸る気持ちが理由だった。この結果を見れば、きっと少しくらい、お父さんも僕のことを――。 考え事をしているアルヒの肩を、後ろからサシャが叩いた。彼女の息は少し弾んでいた。走ってアルヒのことを追いかけてきたようだった。 「ねぇ、あんたまた満点とったの?」 アルヒを見下ろす円らな黒い瞳が、なぜか批難の色を帯びている。 「うん、そうだよ」 「さすがスタン様の息子ね。あー、将来が楽しみねー」 サシャは少し投げやりに言った。 「サシャは何点だったの?」 「私は65点よ。平均は30点なんだから、これでも上出来な方なんだからね」 螺旋のエスカレーターに運ばれ、二人はピロティになっている一階に着いた。他の学年の生徒と、何人かのロボットの事務員が、門のあたりを往来している。 サシャが急に足を止めた。 「待って、何か音がするわ」 アルヒも耳をすませる。カキン、と微かな金属音がどこかから聞こえた。 「……確かに。何の音だろう」 もう一度、その音がした。何かが叩きつけられている音のようにも聞こえる。 「行ってみましょう」 「えっ、ちょっと」 サシャが走り出したので、アルヒはその背中を追いかける以外に選択肢はなかった。 二人は隣にある、下の学年の校舎の裏側に向かった。そこには生徒の植物の研究用に、様々な草花が植えられている。アルヒも何年か前、ここにクラスのプチトマトを育てて、みんなで食べたことがあった。 校舎の角の向こう側から、またさっきの金属音が聞こえた。音がさっきよりも大きい。すぐ近くだ。 二人がおそるおそる角の向こうを覗くと、小さな体のお掃除ロボットが、ジョーンズに突き飛ばされるところだった。その後ろで、クラスメイトのボウがあたふたしている。 「一体何をしてるの?」 サシャは目の前で行われている暴力行為に眉宇をひそめながら言った。 「わ、サシャ……とアルヒじゃないか。そっちこそ、こんなところで何してるんだよ」 ジョーンズは、掴んでいた錆びたお掃除ロボの腕を慌てて放した。地面に倒れ込んだロボットは、丸い頭に四角い胴体、そこから細い手足が伸びた、よく見かける型のロボットだ。 「音がしたから見にきたのよ。あなた、ロボットに乱暴をしていたのね」 「乱暴なんかじゃない……教育してるんだよ。このオンボロが、ロボットのくせに偉そうなことを言うから、こらしめてるんだ」 ジョーンズは少し顔を赤らめながら、言い訳がましく言った。サシャにまずいところを見られたと思っているらしい。無理もない、サシャはクラスでは性別を問わず人気の女の子だ。身につけているものもおしゃれで、座っているだけで人が集まってくる。幼馴染ながら思うが、教室にいるサシャには、彼女特有の可憐な雰囲気がある。一方で、何かを決めなきゃいけないときになると、周りを引っ張っていく強気な面も持ち合わせている。さすがのジョーンズでも、彼女に対して強くは出れないのだ。 片やサシャはと言うと、そんなジョーンズの気持ちも知らずに、怒りにわなわなと震えていた。 「そんな理由で暴力が許されると思うわけ? ロボットに対して不満があるなら、ちゃんとロボット相談所に申請しなさい!」 彼女は強い剣幕で詰め寄った。 「だって……ロボットは別に、痛みとか感じないからいいんだよ。な?」 「訂正をお願いしまス。痛みは感じまス」 お掃除ロボットが、その場にそぐわないかん高い声で答えた。 「うるさい!」 ジョーンズはお掃除ロボの丸い頭をゲンコツで叩く。カーンという金属の音が響いた。 「ひどい」 サシャは顔をしかめた。 「こ……このロボが悪いんだよ。……先にジョーンズのことをバカにしたんだ。パパは優秀なのに、君は大したことないんですねって」 後ろで見ているだけだったボウが口を開く。ボウはジョーンズの子分のような存在だ。いつも金魚のふんのようにジョーンズの後ろについて、彼の言うことに賛成する係を務めている。 「そうなんだぞ。だから、ロボットごときがつけあがって人間に偉そうな口をきいちゃダメってことを、教えてやらないと。何と言ってもロボットは、人間のために生まれてきたんだからな。科学者たちが、人間の暮らしを便利にするために発明したんだ」 ジョーンズはお掃除ロボの頭に、そっと手を置いた。意地悪な言い方をしているが、彼は彼でまっすぐに、自分のしていることの正しさを信じているようだった。 「そんな考え方……その子の言う通りじゃないの! どうせ今日のテストで平均点も取れなくて、八つ当たりしてるだけなんでしょう」 「なんだと!」 ジョーンズは図星を突かれたようで、顔を赤くして声を荒げた。 「あなたのお父さんは、この街でもロボットの権利を守るために努力している立派な人じゃない。なのに、あなたのロボットに対する態度はおかしいわ」 「何も知らないくせに偉そうにしやがって。お……女だからって容赦はしないぞ」 いくら相手がサシャでも、そこまで言われて黙っていたら、アルヒやボウの前で示しがつかないと思ったのだろう。ジョーンズはお掃除ロボから手を離し、袖をまくりながらサシャに向かって足を踏み出した。 さすがにまずいことになってきた。そう思ったアルヒは、ジョーンズの前に無言で立ちふさがった。
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