アルヒのシンギュラリティ
その街には、神様がいる - 1

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 サンクラウドの南側には商業施設が集まっているセントポリオ地区がある。若者たちが集う街とも言われているが、細かく分けると地区の中でもそれぞれの場所でカラーがあり、集まる人の種類や年齢も違う。  その中には、裏町と呼ばれるロボットたちが多く集う地帯もある。ヘブンのように人間が入ることを禁止されているわけではないが、住民のほとんどがロボットであるということで知られている地域だ。  人が歩くと危ない、不良のロボットが集まる、などという真偽も定かではない噂を、アルヒも聞いたことがあった。夜の深い時間までたくさんのロボットがたむろしていて、子どもが近づくのは危険らしい。  細い路地の裏通りにアルヒが足を踏み入れると、昔の時代の言葉で書かれた看板が並んでいる。この街の人間には、もう読むことができない言葉だ。通りの壁はススで汚れたようにくすんでいる。クリーンな景観のイメージのあるサンクラウドには、いささかそぐわない街並みだった。それでもアルヒは、この雑多な雰囲気にどこかノスタルジックな気持ちが芽生えていた。以前にどこかで、こうした街並みの写真や映像を見てきたからかもしれない。  そこに一軒、変わった見た目の店があった。まるで木造でできた建物のように、外観に木目が描かれている。  異国。この街でしか暮らしたことのないアルヒにとっても、どこかそんな言葉が頭に浮かぶような店だった。入り口の上には「Oil」と書かれた銀の板がかかげられている。  前を歩いていたクーは、迷わずその店の扉を開ける。自動ではなく、引き戸になっている珍しい扉だった。 「あぁ、クーかい。早いね。調子はどう?」  カウンターの向こうにいる女性が、クーの姿を認めて言った。 「今日も一人かい?」 「それが、実は今日は一人じゃないんでス」 「ここにいるよ」  アルヒはカウンターの下で、精一杯手をあげた。背が低くて、向こうからは見えなかったのだ。 「なんだ、人間の子どもじゃないか。チビすけ、ここは子どもの来るところじゃないよ。そもそもロボットしか客にしてないんだ」  冷蔵庫に向き直って、めんどくさそうに女性は言った。  ロボット専用の酒場と、そうクーから聞いていた。そしてこの女性、エマのこともクーは話してくれていた。彼女はまだ二十歳という若さで、一人でこの店を営んでいるらしい。でも実際に会ってみると、女性一人でロボットたち相手に店をやってきた経験からか、面差しには若さよりも、引き締まった精悍さがあった。黒のタンクトップから伸びた腕には、龍のタトゥーが施され、その瞳がこちらに睨みをきかせている。 「ただの子どもじゃないんでス。スタン氏の息子なんでス」  そう聞いて、冷蔵庫から瓶を取り出そうとしたエマの手が止まった。 「……スタンの? ああ、あの馬鹿でかいマンションに住んでるって噂だろ」  そんなことまで噂になっているなんて、有名になるっていいことだけじゃない、とアルヒは思った。 「そうか。クー、あんた今学校の清掃員してるのかい。凄いのと友達になったんだね。有名人の息子のチビすけ、何しに来たんだい?」  エマはこちらを見下ろしながら、ぞんざいな言い方をした。 「僕の周りには、あまり人間が嫌いなロボットがいなかったんだ。だけどクーが、ここにはいっぱいいるって」  アルヒがそう言う間に、クーが店の一番奥のカウンターの席に座ったので、アルヒもそれに続いた。壁に貼られてあるメニューには、様々な種類の飲み物が記されているが、どれもロボット用の飲料のようである。なるほど、人間の来る場所ではない。 「お坊っちゃまの周りにはいいロボットしかいなかったのかい? でも、社会勉強ならよそでしてくれないか? クー、あんたもこんなチビ連れてくるんじゃないよ。ホントにどうしようもないバカだね」 「そう言うお姉さんも人間じゃないの?」  アルヒの率直な疑問だった。 「私は特別だよ。ちなみにお姉さんじゃなくてエマって名前があるんだ」 「エマ、僕にもアルヒって名前がある」 「チビすけに名前はいらないよ」  エマがそう言ったとき、扉が開いて、新たに一人のロボットが入ってきた。体にマントを羽織っていて、そのシルエットは隠されている。ほとんどのロボットの型を把握しているアルヒだったが、彼の型は判別できなかった。かなり古いロボットのようで、角ばった顔に、不器用そうな二本指の手がついている。腕と顔しか見えないが、しばらく洗っていないようで汚れが目立っていた。 「いらっしゃい」 「いつもの頼む」  しゃがれた声を出して、そのロボットは入り口に近い席に座った。首がゆらりと動いて、アルヒと目があう。 「なんだぁ、人間の子どもがこんな場所でなにをしてる!」  乱暴な口調で言った彼は、相当面食らったようで、頭の後ろから白い煙を勢いよく吹き出した。 「ダン、聞いて驚くよ。その子は、あのスタンの息子だよ」 「なに? スタンだと? いや、誰が相手でも関係ねぇ。俺の仲間はガラクタ街にいるんだぞ。俺が呼び出せば、人間なんて一瞬でミンチにしてやる」 「はいはい。わかったから。とりあえず落ち着きな」  エマは子どものわがままを聞くように受け流した。複数の「Oil」と書かれたラベルの貼られた瓶を、奥の棚から取り出している。 「ガラクタ街って?」  アルヒは小声でエマに尋ねた。 「子どもは知らなくていいんだよ」 「街の外のことさ」  ダンは聞こえていたようで、アルヒの問いに答えた。エマは小さく舌打ちをして、アルヒに向かって言う。 「そうだよ。街の外には、こわーいロボットがたくさんいるんだ。チビすけみたいな子どもにも容赦がないようなやつさ」  まるで子どもを怖がらせるような、おどけた口調だった。 「でも、ロボットは人間を傷つけることができないんじゃないの?」  アルヒの言葉に、ダンがすぐに反応した。 「レッドコアのロボットはそうさ。だが外の世界のロボットは、そんな法律に縛られちゃいねぇ。体の中にあるコアは、ノーカラーさ」

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