アルヒのシンギュラリティ
その街には、神様がいる- 2

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 コアのことは、この前学校でも聞いたことだし、みんな知っている。だけど、ノーカラーという言葉は聞いたことがなかった。アルヒはふと、ホープ博士の記事を思い出した。彼が作ったと疑われた違法のコアは、ノーカラーと呼ばれるコアだったのかもしれない。 「チビすけ、そこのバカの話を真に受けちゃダメだよ。そいつは劣化し過ぎて頭がおかしくなっちまったのさ。全部妄想。街の外には何もいやしないよ」  呆れたような口調で、複数の瓶から少しずつ、液体を銀のカップに入れてエマは言った。 「ほらよ」  エマがカウンターに出したコップには、透明な液体がなみなみ注がれていた。ダンはそれを器用に二本の指でつまんで、口に運んでいく。 「ブハァ。うまい」  彼はそれを、本当にうまそうに飲むのだった。 「僕にも何かちょうだい」  酒場で飲み物を飲むなんて大人だとアルヒは思った。それに、ちょうど喉が乾いたところだった。   「人間用の飲み物なんて置いてないよ。オレンジジュースでも飲んどきな」  置いてないと言いながら、エマはアルヒにジュースを注いで渡してくれた。アルヒは喜んでそれを受け取る。 「おい、チビ。こんなところに何しに来たんだよ」  ダンはやはりアルヒのことが気になるようだった。 「僕はどうして人間を嫌うロボットがいるのか、知りたくて来たんだ」 「どうしてだって? チビ、どうして人間と同じ見た目のロボットがいないか知ってるか? 今の技術なら作れるはずだろう。人工皮膚でも貼り付けてな」  しゃがれた声で流暢に言葉を紡いでいく。考えたこともないことだったが、アルヒは想像してみた。人間と見た目は寸分違わぬようなロボットを作る……。課題はあるが、できないことではないだろう。 「どうしてだろう……?」 「昔々な、人間は作ったんだ。人間と同じようなロボットをな。出来上がったロボットはどうしたと思う?」  アルヒは沈黙した。想像もつかなかった。 「体をかきむしって、皮膚を剥がしたんだとさ。全身から人工血液が出て真っ赤っかだ。違和感があったんだとさ。どんなに似せて作っても、俺たちロボットと人間は違う。それほどに溝があるもんだ」  一呼吸置いて、ダンは続けた。 「最近も、人間は人間だけしか入れない店を作り出したりな。なんだかんだで、人間様の社会なんだよ。エマ、もう一杯同じの」 「はいよ」  エマはコップを受け取って、また液体をなみなみ注いでから、ダンに渡した。 「そんなに人間が嫌いなのに、どうしてダンはエマのことは好きなの?」 「好きじゃねぇ。だがエマは特別さ。こんな女はなかなかいねぇ。俺たちのことを理解している」 「どうだか」  エマは火をつけたタバコをくゆらしながら、クールな表情でくすんだ木目の天井を見つめている。 「ねぇ、さっきガラクタ街って言ったけど、外の世界はただの砂漠が広がっているだけだよ。今日学校で、その映像をみんなで見たんだ」 「……」  エマはアルヒの言葉に無言だった。 「……ただの砂漠なんて嘘っぱちだ。バカな人間がバカな人間のために作った嘘さ」  ダンは少し酔っ払っているように言った。  「しかし……うまいんだよな。オイルの話じゃねぇ、人間だよ。おい昔な、世界にはテーマパークというものがあった。知っているか?」 「ううん、知らない」 「そこでは、セントケットのエレベーターみたいな乗り物や、ロボット劇場みたいなものがたくさんあった。この街はその中に似ているのさ」 「……どんなところが?」 「を感じないのさ。この街に端があることを、頭ではわかっていてもそれを感じさせない。作ったやつは頭がいい。街の端には林があったり、湖があったり、使われていないビルやマンションがあって、その向こうに行こうとは思わせない。巧妙だろ」  アルヒは暮らしてきたこの街のことを、そんな風に考えたことが一度もなかった。 「空を飛ぶ乗り物だって、お前は知らないだろ?」 「……知らない」 「これだけ技術が発達しているのに、何も空を飛ばないなんて変じゃないか? 空を飛ぶ何かを見たこともねぇ。そんな発想さえ、持たせないように街が工夫されてるのさ。なぜだかわかるか?」  アルヒは大きく首を横に振った。 「外にはな、見られてはいけないものもあるんだ。ここは戦争の後にできた街なのさ。人間とロボットは、昔戦争したんだ」 「戦争?」 「ダン、もうやめな。あんまり言うと、ロキ様の天罰が下るよ」  エマが言うと、ダンは何かを怖れるように一度下を向いて、それからもう何も言わなくなった。しばらくして顔を上げると、くっと残りのコップに入った液体を飲み干した。 「今日はもう行く。美味しかった。またゆっくり来るよ。おいチビ、初めて会ったが、お前のことはなぜだか嫌いじゃねぇ気がする」  そう言い残し、ダンは空になったコップをカウンターに置いて出ていった。残されたコップを、エマがカウンター越しに手を伸ばして回収した。 「あんなこと言うなんて珍しいね。ダンはこの街でも特別人間嫌いのロボットなのに。……どうだいチビすけ、なんか勉強になったかい?」 「うん……ダンの言い分はわかったよ。人間とロボットは違う。……でも、お互いなくてはならない存在のはずなのに」 「なくてはならない存在だから、憎むことだってあるだろう? まぁいい、自分の意見をはっきり言うところは私も気に入ったよチビすけ。ただ覚えておきな。永遠に続くように見える幸せも、いつかは終わる。喜びばかりを集めた地上の地下には、必ず悲しみの廃棄物が埋められているものさ」  エマはもう一度タバコに口をつけ、それを入念に灰皿に押し付けながら、煙を吐いた。  アルヒはただ、その煙が空気にとけていくのを見ていた。

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