アルヒのシンギュラリティ
その街には、天国がある - 3

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*  アルヒは次の日の朝、もう一度装置の点検をしていた。青と赤のセンサーシールドを合計四つ、不具合なく起動するか確かめる。他にも換気ダクトを開けるためのドライバーや小道具類。そして空中ブーツを、大きめのリュックに詰め込む。  レジナス地区のマンションからクオリー工場まで、フュリーに乗ると二十分ほどだ。アルヒはサシャと家の近くから同じフュリーに乗り、クオリー工場の付近までやってきた。二人が待ち合わせ場所に着くと、クーは先に来て待っていた。  クオリー工場のそばまで来ると、その敷地の広大さに驚かされる。あたりはぐるりと塀で囲まれていて、入り口は監視ロボットたちに守られている。入る資格を持つ者でないと、そこから入ることは許されない。  この街のすべてのロボットがここで作られているのだ。セキュリティーが厳重なのは当たり前である。  作戦が真昼間に決行されたのには理由があった。結局相手にするのはほとんどがセンサーなので、昼も夜も関係がないことと、昼じゃないとおそらくヘブンが綺麗に見えないからだった。  クーの体は近くの茂みに隠して、アルヒは予定通り工場の一つ目の関門である、センサーのある塀を乗り越える準備を始めた。  三メートルという高さは、九歳のアルヒとサシャにとって、数字の印象よりもずっと高く感じた。 「それ、本当に効果あるんでしょうね……?」  シールドの効果を試すのは、センサーがある場所でしかできない。当然、ぶっつけ本番になるのは仕方のないことだった。 「理論上ね」 「最初の塀のところで引っかかるのなら、子どもが好奇心でのぼってみました、でなんとか誤魔化せるかもしれないですネ」  クーがリュックの中から言った。 「あら、確かにそうね。それに私は、昨日家で水に両足をつけるおまじないをしてきたわ。願い事を叶えたい時は、必ずそうしてるの。だからきっと大丈夫よ」 「みんなネガティブになり過ぎなんだって。ちょっとは僕のことを信じてよ」  アルヒは二人の態度に呆れながら、二種類のセンサー妨害装置を腰に装着した。おまじないなんかより、この装置を信じてほしい。 「これも全部クーのためなんだからね!」 「そうでしたタ」  まったく、今もあのままジョーンズにいじめられてたかもしれないんだよ、とアルヒは言おうとしたが、そんなことを言うと正義感の強いサシャを怒らせてしまいそうなのでやめた。 「よし、じゃあ行くよ。サシャも青い方のスイッチを押して」  人間を感知するセンサーを妨害するための、青い装置のスイッチに触れる。しゅう、と空気の出る音がして、アルヒの周りに薄い空気の膜ができる。サシャも同じように青い装置を操作して、空気の膜を身に纏った。  フックのついたロープを塀に引っ掛け、アルヒは塀に足をかけながらのぼって行く。すぐに下からサシャが続いた。塀の上には棒状の装置が等間隔で立っていて、その間には目に見えないセンサーが張り巡らされている。警報が鳴らなければ、成功だ。 「早く行ってよ。ここしんどいんだから」  塀の上ギリギリで止まったアルヒを、下から急かす声がする。 「う……うん」  理論上大丈夫でも、アルヒは少しだけ不安だったのだ。  勇気を出して、ひょい、と塀の上によじ登った。  警報は……鳴らない。成功だ。 「鳴らなかった!」 「わかったから、引っ張って」  サシャは余裕のない態度でアルヒを急かす。ごめん、と言いながら、アルヒは上からサシャの手を引っ張った。  無事、最初の関門である塀を乗り越えた。アルヒはあたりを警戒しながらロープをリュックにしまい、塀にぶら下がってから飛び降りた。 「侵入成功ね!」  サシャも続いて飛び降りて言った。二人で、青い装置のスイッチを切る。  監視ロボットの気配はないようで、換気ダクトのある壁まで二人は足音を立てないように走った。アルヒは持ってきた電子ドライバーを取り出して、手際良く換気ダクトの蓋を開ける。こういう細かい作業は、機械をいじることで慣れているのだ。  中は、ちょうどアルヒがギリギリ入れるくらいの穴が続いている。 「先に行くよ。ここからまっすぐだ」  クーを持っているアルヒだけ、人工知能センサーを妨害するための、赤色の装置をオンにする。薄い電磁波の膜がアルヒを包む。 「これで大丈夫なはず」  そのとき、建物の角から何かの足音が近づいて来た。姿は見えないが、きっと監視ロボットだ。 「誰か来た! 急がなきゃ」  小声でサシャが言って、二人は素早く換気ダクトに飛び込んだ。  細い通路を頭から前に進んでいく。左手のウォッチを操作すると、ライトが点いてあたりが明るくなった。二人は前へ前へと、ハイハイの要領で進む。 「……狭いわね」  後ろからサシャの声が聞こえた。 「大丈夫。ついて来て」  二つ、九十度の角を曲がると、通路の先に光源が見えた。   「光が見える。もう少しだよ」  アルヒは光の方へと進んでいく。その先は図面の通りに、少し広い空間になっていた。 「ふぅ、やっと出られた」  アルヒは狭い通路を抜けた先で足をつけて、赤色の装置をオフにした。少し遅れてサシャも通路から出てきた。 「これで二つ目の関門突破ね」 「そうだね。そして……」  二人の目の前には、灰色の高い壁がそびえ立っていた。天井との間に、小さなスペースが空いているのが見える。 「三つ目の関門だ。ここからは空中ブーツに履き替えよう」  アルヒはリュックから空中ブーツを取り出した。 「ふウ。ここまで、順調ですネ」  クーがリュックを開けてもらえて、嬉しそうに言った。 「もうちょっと我慢しててね」  サシャがクーに微笑みかけた。  二人はゴツゴツしたブーツに履き替える。そしてくるぶしのところにあるスイッチに触れた。靴底についたプロペラが回転し、足と床の間に隙間ができる。 「行くよ」  二メートルほど、二人が浮いたところで、空中ブーツは空気を切る激しい音を立てた。狭い空間にいることも相まって、耳を塞ぎたくなるほどの騒音だ。 「これ……えるよ!!!」  サシャが何かを叫んでいるが、聞こえない。 「な……て!!」  聞き返すアルヒの声も、風の音にかき消される。 「これ! 外に聞こえるよ!!」  サシャの声を何とか聞き取れたが、だからと言ってどうしようもない。これ以上コミュニケーションを取るのも大変だ。 「急ごう!!」  アルヒはできるだけ急いで高度を上げていく。ブーツに内蔵されたソフトウェアがうまくバランスをとりながら、二人を高く運んでいく。八メートル、九メートル……そして。 「乗り越えたよ! あとは降りるだけ!!」  アルヒは大声をあげたが、サシャには声が届いていないようだった。彼女も口を動かしているので何かを言っているようだが、こちらには聞こえない。狭い空間に、割れんばかりの風の音が響いている。   あと三メートル、二メートル……。アルヒが地上につくと、ブーツは自動で止まった。少し遅れてサシャも地面に足をつける。静かになった世界に、キーンと耳鳴りだけが響いていた。 「……こんなに大きな音だとは思わなかったわ」    膝と手を床につけ、サシャは息を切らしている。 「……ごめん」  さすがに換気ダクトの中とはいえ、大きな音を鳴らし過ぎたかもしれない。二人は少しの間息を潜めた。  それからまた靴を履き替え、アルヒとサシャは狭い空気の通り道を這って進んだ。今度はすぐに、向こう側の光が見えた。  アルヒは換気ダクトの蓋の隙間を覗いて、人の気配がないことを確認してから、中から蓋に小さなシールのようなものを貼った。 「サシャ、今蓋を開けるから少し下がって」  彼女は無言で従った。  ピシッ、という音がして蓋に亀裂が入る。アルヒが手で触ると、蓋が割れて外れた。そこから二人は通路に出た。 「え、あんた何したのよ」  割れた蓋を見て、サシャは言った。 「中からは開けられないから……壊したんだよ。一点にだけ衝撃を与える、小さな爆弾みたいなもので」 「……あんた、将来はスパイになるの?」 「ならないよ。でも考えて作って来たんだ。あとはもう、人目につかないように塔に行くだけ」  アルヒは通路を歩き出した。 「道わかるの?」  サシャが後ろに続いた。 「うん、覚えた」 「相変わらず記憶力いいね」  もう中に入っているので、従業員や監視ロボに見られても部外者だとは思われないかもしれないが、子どもがいるのは不自然だ。見られないようにするに越したことはないだろう。  幸い通路は薄暗く、身を隠しながら歩くには好都合だった。床には等間隔で小さな「Q」という文字が刻印されている。 「この文字は何?」 「クオリー工場の『Q』だよ。もともとクオリアって言葉から付けられた名前なんだって。この前ロビンが言ってた。ほら、そこのドアを出たら、もう中庭のはず」  扉を開くと、外につながっていた。緑の芝生が光を浴びてキラキラしている。そしてその目の前には……。 「これが、知の塔ね」  この街で最も高い建造物は、まるで芥子色の棒が天から釣り上げられているようにそびえ立っていた。二人はその塔を、いや、空を見上げた。

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