物件
2.物件(たっくん)

   私はたっくんに連絡をして、これから会えないかとメッセージを送った。  たっくんは自宅で仕事をしていていつ休んでいるのか働いているのかわからない。  収穫期の小麦畑みたいに綺麗な金色に染めている髪の毛はとても短く刈り込まれていて、いつも違わず正確にセットされているツーブロックである。真っ当な仕事をしているようには到底思えない風貌をしている。  仕事はフリーランスのエンジニアだとかをやっているようだが、私はプログラムやパソコンみたいなものにはとても疎いので、難しい仕事をしていてそれなりに稼いでいるヤクザな男だなあとしか見ていない。  たっくん曰く、「大抵のエンジニアは紛い物」であり、「本物のエンジニアの掌でありがたいお言葉を頂き、解釈を変えて唱えることによって糊口を凌いでる」にすぎない。  たっくんは過分に冷笑的であり、突き放した物言いをするし、それは時には攻撃的だと感じられることもある。  たっくんはいつも大抵無印の白いシャツを着ていて、ニューバランスのスニーカーを履いている。パンツだけは細身の高級なものを何本も持っている。カジュアルな見た目だけれど、数万円するものは普通で中には十万近いものも持っているそうだ。なぜそんなに金銭的にちぐはぐなファッションをしているのかと尋ねると「下半身は男の命だから」だ、という。よくわからない。    私にはたっくんのことを理解できないけれど、拒絶するという感覚が芽生えるわけでもない。  うまく言葉で説明はできないが、彼のことには興味がある。  だからこそ婚活しているにもかかわらず、結婚することもおそらくないし恋人としても自分にとってはあまり適切だと思えない人物だと思うのにも関わらず、たっくんとつい私は寝てしまっている。    それは恋愛感情とも婚活相手としてのキープとも違う感情だ。と、今の年齢になると区別がつくようになった。  私が十歳若かったら、この感情を恋と呼んでも差し支えなかったのではないかと思っているのだけれども。  たっくんは今起きたところで、ちょうどお腹もすいたし家にも何もないからファミレスでモーニングを食べようと思っていたようであった。  彼は私の誘いに二つ返事で答え、「とりあえずコーヒー飲みたいので付き合ってくれない?」との彼の誘いに私も二つ返事で答えた。  「ねえたっくん聞いてよ」  「何」  「や、さ、カツラくんも炭も結局私のことは保険だったってことだと思う?」  「まあ状況証拠的にはそうかもね、や、まあわかんないけど」  「そうかそうだよねー、ま、わかんないけど多分そうだよねえー何気にショックなんですけど」  「何歳になってもいつになっても振られるのは、ショックだよね、ある意味合いにおいて存在を否定されたわけであるから。異性として」  「存在の否定とか三十五過ぎの独身女性には辛い」  「や、水も弾く女子高生だって辛いでしょ」  「えーそんなことないよ、私、別に女子高生の時振られても全然辛くなかったもん」  「マジで?」  「マジマジ、だってすっごいモテたもん」  「まあ香織ちゃんは三十五にしては綺麗だからな、多分、女子高生の時はめっちゃ可愛かったんだろう」  「そう私、可愛かったんだよねー。クラスの卒業文集とかでクラスで二番目に可愛いと選ばれていて、なおかつ、一番モテるって選ばれてるの」  「一番可愛いんじゃないんだ」  「そうなのー、なんか可愛さではかなり上位なんだけど一番可愛いと選ばれたことも思ったことないのよね。どこのコミュニティにいてもなんだかそういう客観的な美しさみたいなやつだと二番手、三番手くらいなんだよね、なぜか」  「ふーん」  「でもそれくらいの方が多分モテるんだよね」  「そういうもの?」  「松竹梅があると竹を選ぶ人が多いように、私も多分そうだったの。ちょっと可愛いんだけど頑張れば手が届いて、割と誰にも男女問わず気さくに受け答えして、ノリが良くて、男子が喜ぶような話題も嫌いじゃなかったし、少年漫画とかゲームも割と好きだったし、色々な意味で私は手を出しやすかったんだと思うよ。バイトもしてたからそこでもモテて年上の彼氏みたいな人できてたし。たっくんも竹の女の方が手出しやすいでしょう?」  「どうだろう、考えたことがなかったな。ストライクゾーンに入ってきたボールはバットを振っていかないと何も始まらないんじゃないのかな? 三球投げられてバッターアウトになるだけだから、手を出してセカンドゴロになってもセカンドがエラーをして出塁できるかもしれないし」  「よくわかんない」  「そうかな? 俺、いい例えしたと思ったんだけど」  「っていうか私はボールなの? 野球の」  「ある意味合いにとっては。でもそれは俺もそうだし、香織ちゃんもそうだし、誰しもがバッターであり、野球のボールになりうるのだ」  「何腕組んで偉そうに話してるの?」  「いや、コーヒーお代わり頼もうよ」  「うんそうね、そうしよう」  「カフェインジャンキーだとあんまり眠れないから日中眠くなって、またコーヒー沢山飲んで、また眠れなくなるパターン」  「あるね」  「あるでしょ?」  あるある。  たっくんに家に誘われ、一緒にシャワーを浴びてセックスをした。  たっくんのセックスは普段の適当な会話とは違う。セックスの時、たっくんはとても律儀な正確な行為をする。  基本に忠実な中堅の技師みたいだなと、私の反応を見ながら適度に強弱とリズムを調整する彼の丁寧なセックスの工程を私は受け入れながら、改めて思う。  たっくんは多分彼の自己申告通りに仕事ができる人なんじゃないかな?  相手のことを見ながら相手がしてほしいことを本当に掴んで合わせていくことって難しいし、相手の欲求を自然と満たせてあげれる人こそがモテるんだよなあ、なんてことを、ぼんやり思う。  でも、私たちは多分付き合うことはないし、まして結婚することもないと思う。  彼の生活感のない部屋を見てしまうと生活を共にするのは難しいな、と思う。  都心の一人暮らしには十分な大きさの十畳以上はあるコンクリート打ちっ放しのワンルームマンションに彼は住んでいて、自分で作ったという七色に光るパソコンがデスクの足元にあり、デスクにはモニターが三台くらい置いてあって、さらに別にノートパソコンなんかも置いてある。  椅子はどこかの社長が使っているようなうわあと声が出てしまうほど値段の張る高級ワークチェア。まるで戦隊ものの司令室のようなデスク周りである。でもそれ以外に部屋には電子レンジと電子ポットベッドくらいしか家財道具がない。  投資過剰と思われるデスク周りと、無味無色な必要最小限の機能の居住空間にはくっきりと見えない境界線が引かれているようだった。  たっくんは自炊ということを一切今までの人生でやったことがないらしい。普段はコンビニかスーパーで弁当や惣菜なんかを買ったり、カップラーメンなんかを食べたりしている。  最近は健康のことを考えてサプリとかもとっているし、健康診断にも引っかかったことはないから栄養学的にも問題ないと胸を張っている。それって楽しいの? と聞いても食事をとることなんて意味のないことだとしか言わない。  料理を習得する時間と、料理を実践する時間は人生の無駄遣いだと言う。  無駄なことも人生には大切じゃないかな? と私はたっくんに伝えてみるけれど、価値観についての議論は最終的には平行線を辿る無意味な時間だと言って取り付く島もない。ね? 結婚できないでしょ、こんなやつ。  私はたっくんの部屋に初めて招待されたとき、セックスした後にベッドにまったりとしながら彼とそういう話をして「結婚できないでしょ!無理でしょー」って言ってやったら、彼はきょとんとした顔をして、真剣に考え込み始めた。  たっくんは腕枕してくれていた右手をちょっと乱暴に引き抜いた後、上体を起こして、腕組みをし始めた。  ブツブツ聞こえないような小声の独り言のつぶやき逡巡を一分くらいやった後で、私の顔を真顔で覗き込んできて「香織ちゃんのいうとおりかもしれない」と言ってきたのでつい私は吹き出してしまったのだった。  そこでたっくんは少し考えたような顔をしておもむろに私の他にもマッチングアプリで連絡をとっている人がいることを話し始めた。  セックスまでたどり着いた人も二人ほどいたけどうまくいかない。外で会って仕事内容とかそういう外周的な話をしてある程度関係性を深めていくところまでは割といけるんだけれど、ある分水嶺みたいなのを越えられなくてどうしようもないんだよなとしみじみつぶやいたのだった。  「ねえどうすれば良いと思うかな?」  さっきまで話していたような少し突き放した物言いから、ほんの少しだけ湿った無防備な口調でたっくんは私に問いかけた。私はつい答えてしまった。  彼があまり誰にも話さないであろう類の本音みたいなものを「私だけに」問いかけてくれたとふと、思ってしまったから。  そこには真実みたいなものが確かにあると思ってしまったから。  それはまだ身体の中に残っていたワイン一本半分のアルコールとセックス後の心地よい気だるさのせいだったのかもしれないけれど。  本当のところはただの勘違いだったのかもしれないけど。  「どうすればいいのかだなんてわかっている人は、誰もいないと思うよ。多分、みんな幸せになろうとしているんだけど、その幸せって形は一定じゃない、一つのものじゃないと思うのね。きっと幸せの形って液体なんだって思う、私やたっくんや他の人たちもなんだけど、みんなが持っている幸せってそもそも液体状のもので、それがそれぞの人の中にある型みたいなものに閉じ込められている。で、これが幸せって信じられている割といろんな人に埋め込みやすい型ってあるんだけど、それはあくまで型だから、ある人の心には埋め込めないのね。私はもしかしたら今まで生きてて、その型みたいなものをうまくはめ込みきれなくてここまで来てしまったのかもしれないなと思う」  たっくんは頷きも身じろぎもせずに私のことを見ていて、私たちはしばらく黙りこくっていた。  コンクリートから伝わってくる冷ややかな夜の気配が私たちの間に侵入して、お互いの身体のほてりみたいなものは初めから存在しなかったとばかりに霧散していったようだった。でも、私たちは何となく偽りみたいなものはそこにはないなと感じたんだと思う。  私たちは婚活パートナーみたいな関係性になっていった。恋人ではなく、友人ともちょっと違う。セックスフレンドみたいなものでもない。  お互いにセックスの相性はそこそこいいと思ったけれど、過去それぞれが一番いいと思ったセックスよりか間違いなく大したことなかったし(と、失礼ながらたっくんも私にそう感想を述べた)、お互いにそれぞれ惹かれあうところもそんなになかった。彼はできる限りシンプルな暮らしを求めているようだったけれど、私はあくまで毎日の暮らしをできる限り楽しんで享楽的に過ごしていたかった。  無駄な時間を楽しむ行為が人生の彩りとなり、私というキャンバスを華やかにしていくことが人生の目的と信じている私と、無駄を排除し、最適解を求めていく求道者的な観点に喜びと感じるたっくんと人生を共にできるとは思えなかった。  それでも私たちはお互いに負担にならない程度である一定の距離を越えないようなスタンスを保つように、どちらともなく言葉にすることもせずに意識しながら、継続的なメッセージのやり取りを続けていった。  気が向いたときには空いている時間でご飯を食べたりするような気軽な関係になった。  お互いにセックスはあってもなくてもそんなに変わらなかった。話題はいつもお互いの婚活事情のことで、アプリで各自が出会った人のことだった。  これは限定的な交流であり、いつか必ずあやふやな形で終わってしまうであろう関係性だということはお互いに言葉に出さずとも分かっていた。  私たちはたまたま地球の海流に身を任せていたら接触してしまった船みたいなもので、何となく進行方向が一緒だったため船団みたいなものを組むことになったに過ぎないのかもしれないと思う。  「今日はデートなんだよね」  「お、いいじゃない。私知っている人?」  「そうじゃないよ、初めて会う人。写真見るとかなり可愛い。プロフィールも面白くて話も楽しそう。二五歳で営業の仕事しているんだって。何だったかな、ネジとか機械部品の商社とか言ってたかな」  「ネジ? 部品? ニッチな感じの会社なんだ」  「そうみたいだけど、なんか結構大きい会社らしいよ。俺、そういう細かな隙間の仕事やっている人好きなんだよね、モジュールとモジュールを結合していくと大きなシステムができるように、隙間と隙間の間には可能性が広がっているように思う」  「もじゅーる? 何それ」  「ネットで調べてよ」  「めんどくさいな」  たっくんからその女の子(イクミちゃん)のプロフィール写真を見せてもらうと、確かに可愛かった。  ショートカットを明るめの茶色にカラーリングしていて、色白でそこまで痩せ過ぎていない体型も男好きされるだろうなとも思うし、笑顔がとても明るい感じがして暖色系の花束のような印象があった。  ロングのニットのカーディガンはカジュアルだけれどサイズはきちんと彼女の体型とマッチしていて、着こなしがうまかった。  小さめな花柄のシャツは親しみやすい小さなマーガレット。  可愛らしい印象とシックな雰囲気が同時にあり、ハンドメイド風のピアスもそんなに高いものではないのだろうけれど、イクミちゃんの表情を引き立てる役割をした素敵なものだった。  彼女は一言で言えばセンスの良い服装をしていると思った。  彼女の自己紹介文を読むと、好きな作家はサマセットモームとか、モーパッサンやレイモンド・カーヴァーとか書いてあって、長編より、短編小説がすごく好きなんですというように書いてあった。  けれど同時に川辺とかで友人たちと一緒にバーベキューみたいなことをして、満面の笑みでダブルピースしているような写真が上がっていたり、フェスも行きますー! 邦楽派なので「ロッキンばかりなんだけどWWW」なんていうようなコメントの写真とか、きっちりとした印象のスーツ姿で自撮りした写真が並んでいたりした。大学は早稲田だった。なんかずるいと思った。  彼女の男からの「いいね!」は二千を越えていた。二千人の男が少なくても少しは彼女と話してみたいと思っているのだ。  アプリをやらない限り、短期間の間に二千人を越える新規の男からちょっといいかもと思われるなんて芸能人でもない限りはないのではないだろうか。どんな学校とか職場のアイドルだって、そこにいる全ての男たちから気になられることなんかないのだから、正直、すごいなあと思ってしまった。  私の人生最大のモテ期の高校時代でも三年間で十人ちょっとくらいから告白されただけだ(学校では)。でも、彼女はおそらく毎日どころか分単位で、男からの「いいね」の通知がアプリから来るんだろうと思う。その一つ一つその男たちのことをどういう基準で選別していくんだろうか? 私はせいぜい八十くらいだからその二十五倍以上かと思う。  「いいね二千越えって、ヤバくない? ってか、たっくんよく返事もらえたね、デートまで行けるなんてすごいよね、倍率十倍どころじゃないと思うよ、競争率めっちゃ高いじゃん」  「だよねー、俺も駄目元でいいねとか、メッセージ送ってみたんだよね。そしたらまさか返事があってさ。まあ俺は外見は目立つし、年の割に年収も高いし、変わったやつと話してみたかったらしいよ。ちょっと今日はテンション上がるよね」  「へえ、それはいいことですねー」  「お、ちょっと嫉妬してるの?」  たっくんはニヤニヤしながら左手で私の頭を撫でながら私の下腹部を右手で触ってこようとするので、たっくんの右手を私はパチンと部屋に響くくらいの音を立てて叩いてやると、たっくんは大げさに痛がりベッドを転げ回った。たっくんの顔はニヤついていて、行為の後でも萎んでいないペニスが妙に大きく揺れていた。

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