物件
7.物件(ビッチ)

 私はビッチなんだろうか?  もちろん高校時代から私は変わってる人間だからあまり居場所みたいなものはないなあとは思っていたのだけれど、明確にそんな疑問をはっきりと思ったのは大学に入学してからだ。    私は要領だけはよかったので、高校時代は遊び呆けてたのに中堅の私立大学に現役で入学することができた。東京の真ん中の方にある私立大学は敷地内に小学校から高校まであって、全生徒で二割ほどの(できの悪い)生徒がそのまま大学までエスカレーターで上がってくる。ドラマで時々ロケ地になるようなキャンパスを行き交うのは小綺麗な格好をした学生たち。それぞれの悩みはもちろんあるのだろうけれど、基本的にはのんびりと、そしていくばくかの気怠さを持って彼らは大学生活を送っているように私は感じていた。  そんな環境で私は特別な理由などはなく、典型的な大学生ってやつをしてみようと思ったのだった。それは本当にただの気まぐれだった。高校時代からの貯金もあったので、週二、三くらいのアルバイトのシフトを入れてほどほどにしつつ、サークル活動やら一緒の授業を取っている人とつるんだりしたりするといった量産型日本の学生をやってみようと思った。  入学間近のキャンパスを少し散歩するくらいで、サークルの勧誘や新歓の催しのチラシやらが片手で持つのが難しいくらいになった。私は目を瞑ってその中から、何枚かを無作為に選んだ。よっぽど興味を惹かれそうに無いものを除いてできるだけ参加してみることにした。選んだサークルはいかにも遊んでますという雰囲気のオールラウンドサークルから地図研究会みたいなマニアックなサークルもあった。そこに漂っていたのはこれからの大学生活はこんなに自由な時間はもう無いんだから、たっぷり楽しまないとというような享楽的な空気と、あくまでそれは仮初の時間であるという、少し冷めた認識が頭の片隅にあるという事実を直視しない人たちのざわめきだった。ざわめきは華やかな春の陽気に混ざり込んでとても生ぬるいそよ風を吹かせているようだった。    飲み慣れていないであろう酒を躁的な掛け声とともに飲み干して、前後不覚になった大学生デビューの女の子を介抱するふりをしながら自分のアパートにどうやって連れ込もうかと考えている就活帰りのスーツ姿の先輩。えーそうなんですかーすごいですねーという相手を肯定する体をとったコミュニケーションの断絶をし続ける遊びなれている付属上がりの女の子。場違いなところに来てしまったなあと思いながらも無理やりはしゃいで見せる田舎から上京してきた朴訥な男の子。  すべてがすべて、私とは違うなあと思いながらも、私はできる限りその場の「風景」であろうとした。馴染まないまでも、溶け込もうとしていた。  私はお酒の勧めは基本的にやんわりと断ったが(高校時代にすでにある程度飲んでいたし、学生がみんなで行くようなお店の酒は大して美味しいとも思えなかった)、笑顔で感じよく対応することを心がけ、下心が全身からにじみ出ているような男子学生の視線を受け流しながら、それでもできる限りいろんな人と話をしてみようと思った。それは明らかに「非モテ」とされるような男子も含めてだったので、連絡先も聞かれるがままにホイホイ教えていたらメールを受信し続けるのがめんどくさくなってしまい、携帯電話を見るのが億劫になったほどでもあった。  たぶん、私はその時何人かの人と流れで寝たんだと思う。  思う、というのはもう私の中でその頃の記憶があまり実感の湧かないものになっているからだ。別にその時のセックスに特別の意味なんかなかった。求められ、やりたいと思ってくれる人がいた。まあいいかな、と思えたから、寝た。それだけだ。  別にやりたいならやればいいと思っていた。ピルを飲んでいたし、コンドームを付けずに挿入しようとしてきた男には本当に歯型がつくくらいに噛み付いてやった。私はヤラれているんじゃなくて、くっついていてあげているんだ。入れられているんじゃなくて、受け入れているんだ。その頃から、そう思っていた。  けれど、どうやら私の真意は伝わってはもちろんいなかった。面と向かって言われることはなかったけれど、何人かの人が私のことをちらちらと横目で見ながら珍獣を見るような視線を投げかけ、湿っぽいあまり好ましくない笑い方をしていたから。  それは別に私にとって、ショックな出来事ではなかった。むしろどちらかと言うと、新たな発見のように思いもしなかった出来事だなと感じたことだった。私にとって自分の気持ちに正直に生きていただけなのに、それが、結果として陰口の対象になるのだということに遅ればせながら気づいた。  大学に入学する前は大学とは自由な場所だと思っていたけれど、結局は少し大きい学校でしかないのだなあと思った。そう思ったのは、一番仲良しだと思っていた同じ授業を沢山取っている久美ちゃんから少し深刻な顔で、私の振る舞いについてはっきりと忠告めいた言葉をもらったからだった。 「香織ちゃん、色々言われてるの、知ってる?」  話があるのと言われ、久美ちゃんのアパートの部屋に遊びに行かせてもらい、久美ちゃんはかしこまった顔をして私と正対して話し始めた。久美ちゃんの部屋は体育会のボーイッシュな彼女の雰囲気とは全く違っていた。マイメロのタオルケットや寝るスペースを侵食しているだろうグーフィの巨大なぬいぐるみがベッドに横たわっていて、本棚にある小物入れやカーペットやカーテン何から何まですべてピンクを中心としたパステルカラーであった。    私は目が少しちかちかして、部屋自体の輪郭がぼやけて見えるように感じた。大学の体育会のバスケ部に入っている久美ちゃんのショートカットは夏休みの小学生のように短く刈り込まれていて、部屋の中で浮いていた。蜃気楼の中に実際の物体が一つだけ浮き上がっているようだった。色黒の久美ちゃんの顔とそのショートカットを交互に眺めると、何故か私の中では井上陽水の『少年時代』が流れてきてしまう。なーつはすーぎーかぜあざみ。 「何笑っているの」  しまった、笑っていたか。「なんでも無いよ、なんでも」 「香織ちゃんって、なんかいつも心ここにあらずって感じがするね」 「そうかなあ、そんなことはないとおもうんだけど。しっかり考えてるよー色々と」  私は確かに私なりに考えて行動していたのだ。けれど、私のその答えは久美ちゃんにとってはふざけた回答のように映ったのだろうか? 久美ちゃんは「はあ?」って大きな声でそう言うと、正座になって両手で方を掴み、私を揺さぶってきた。平均的な男子くらいの身長がある久美ちゃんの力はとても強くて、私はめまいがしてしまうのではないかというくらいに揺さぶられたような記憶がある。 「ちょっとやめてよ」 「やめるのは香織ちゃんのほうだとおもうよ」 「何をやめるの?」 「男バスのやつらが言ってたの聞いたよ。ヤりたいから香織ちゃんにヤラせてもらおうかなって」 「はあ? 何それ」 「心当たりあるでしょ? 香織ちゃん評判悪いよ?」 「はあ? 何の? あと誰から? 私、悪いことした覚えないし」 「あんまり言いたくないけど、香織ちゃんビッチだって。色んな人としてるって噂だよ」 「え、だとしたら何が悪いの? 大学入ってからは恋人がいる人としたこととか無いと思うよ。相手が嘘ついてたら別だけど」  私があまりにきょとんとしていたからなのか、久美ちゃんは信じられないといったように一層大きく「はあ?」と声を出した。 「いや、それって本気で言ってるの? っていうか、大学入ってからって何? 高校のときはそんなこともしてたの?」 「いや、本気だよ。別に悪いことしてないよ。大学入る前のことは別に久美ちゃんに関係ないじゃない」 「いやいや、本気って、言葉悪いかもだけど、頭おかしいんじゃない? キモいよ」  ひどいな。なんで出会って二、三ヶ月の人にそんなこと言われなくちゃならないの? 「何でそこまで言われるの?」 「や、だって、普通にキモいでしょ」 「普通にキモいって何? 何、普通って?」 「普通は普通だし。付き合ってるならまだしも、そうじゃない人とそんなにヤッてるなんてまともじゃないよ。マジでキモいんですけど。こんなこと、面と向かって言ってあげる人は私くらいしかいないよ?」 「そんなこと言ってくれなくて、別にいいんだけど」  私たちは取っ組み合いの喧嘩まではいかなかったものの険悪な雰囲気となってしまった。私は半ば逃げ帰るように久美ちゃんの家から出た。家から出るときにグーフィの耳を掴んで床に叩きつけて、蹴りを入れてやったら、久美ちゃんが悲鳴を上げて泣いてしまったような気がしたけれど、私は気にせずに久美ちゃんのアパートを飛び出した。  その後、私は苦くて嫌いだったビールを買って飲もうと思ったけど、最初に言ったコンビニで身分証明証の提示を求められたので、いいですって断って、別のコンビニに行って買った。そこでは何も言われなかった。ルールに絶対的なものなんかあるものか。十八歳から飲める国だってあるし、マリファナが合法な国だってある。ルールなんて、顔も知らないなんか適当に偉い人が、その人達の論理で勝手に決めたことに過ぎないんだ。  何で、私が普通にキモいって言われなくちゃならないのか。っていうか普通って何? あんたの勝手なものさしで、私を決めないでいてほしい。私だってそりゃあ完璧じゃないから、間違っちゃうことはたくさんあるけど、キモいって何? キモいって言ってるあんたのほうがキモいんだけど?  久美ちゃんとはそれからまともに会話もしなくなり、色々な人から私は遠ざけられるようになった。久美ちゃんは目立っていたうえに、女子からも男子からもそこそこ人気があったのだ。学食でお昼を一緒に食べていた子たちも私のことを誘わなくなり、私は一人でコンビニで買ったパンとかをいつも齧っていた。私みたいなぱっと見、明るくて、そこそこ可愛い女の子が腫れ物を扱うようにされてる。なんか、ウケるなーって、私は私のことを笑いながら過ごしていた。私の中には私とは別の人間がいて、置かれている状況をどこか遠いところで眺めているもう一人の私が私の中に存在するようだった。その別の私が私のことをあまりに笑うものだから、私も沈み込むことはなかったのかもしれない。変なやつだったな、と今は大学時代の私のことを大人になった私は思う。今の私なら耐えられそうにない。  ただ、その頃の私はあまりこういうことに今までの人生で慣れていなかったので、無視されたりすることって結構それなりにしんどいことなんだなあっていうことが分かったのだった。  ああいう経験も学びと言ったら学びなんだろうか? でも、キモいとか言われるのは本当に心外だったから、大学の講義に行かなくなるとか負けたようで絶対に嫌だった。  ちゃんと出席は続けて卒業はしようって思っていたけれども、さすがの私でも結構しんどかったのを思い出す。あんな大学生活になるだなって思ってもみなかった。  あとから聞いた話だと、私が寝た人の一人が、どうやら久美ちゃんが高校時代からこっそり好きだった人らしく、そのことを吹聴した人がいたらしい。くだらないと思った。  やりたいって言ったのは、もちろんその男からで、私はその彼のしつこさに根負けして受け入れてあげたのに、どうして「俺はあいつとヤッた」って私を支配したことになるのか、変な勘違いをするのかが理解できない。そもそもそいつのセックスは下手くそで、指を乱暴に出し入れするからあまりの痛さに私はそいつの腕を引っ掻いて、もうしないでってちょっとキツく言って、それまで固く張り詰めてたそいつのペニスは萎れてしまったくらいなのに。私に出入りしているときにそいつが発している喘ぎ声みたいなのが、瀕死のラクダみたいな間抜けな声だったというのに。そのことを内緒にしてあげていたのに。  私は当初の決意と言うか、癪だったので意地のような気持ちで大学の授業に出席を続け、必須ではないゼミにだって所属した。流石に同じ大学の学生と寝るのはもちろん、遊んだりもしなかったけど。    ちょうど出始めだったSNSに登録して、色んな人とメッセージのやり取りをしたり、実際に会って話したりもしていた。セックスも時々した。同じ年の男子もいれば、十歳くらい年上の会社員もいた。男とだけ遊んだわけじゃなく、女の子とも遊んだし、オフ会で三十人くらいで全員初対面の人たちでいつも空いているファミレスに突撃して働いているバイトを困らせるみたいな人様に迷惑をかけるだけの頭がおかしい遊びもした。  恋人もできたけど、数ヶ月付き合っては別れてみたいなことを繰り返した。彼氏のこともネットで知り合った友達のことも、みんな好きだった。好きだったけど、それだけだった。私はだんだん好きという気持ちが分からなくなっていった。

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