俯く俺たちに告ぐ
雨のち雨 4

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 学生の時確かに「今を生きるのに過ぎたことを勉強したって無駄、関数やっても社会に出たら必要ない」そんな風に思っていた。八代さんのように考えながら勉強していたら少しは今が違って見えていたのだろう。やはり元から違う、こんなに近くにいるのに手を伸ばしても届かない程遠くに感じた。  二人でしばらく話していたが、青鬼が戻ってきたため業務へと戻る。今日は大きめのプレゼンだ、八代さんを見習って少しだけ背筋を伸ばしてみる。こんなことくらいしか出来ないけれど、同じ高校出身で会社も一緒。真似ていればいつか彼の見る景色を感じられるかもしれない、一歩でも近づいてみたいと思った。 ――トイレ行ってこよ。  さすがの青鬼もトイレくらいは目を瞑ってくれる。それすら咎められたら、真っ黒企業まっしぐらだ。廊下を歩いていたら、不審な動きの女性を見つけた。狭い廊下を右に左にあるきまわっている。ドアに手を掛けてみては、止める。立派な不審者。 「新人さんですか?」  社員証を首から下げた見かけない顔のスーツ姿、不安そうな表情。恐らく今年入社した社員だろう。頭一つ分下にある顔が、迷子の犬みたいな声を上げた。 「お早う御座います! そうなんです。営業二課から資料をもらってきてと言われたんですが、どこのドアから入ればいいのか分からなくて……すみません」 「ああ。営業なら課ごとにパーテーション立ててるだけだから、どのドアから入っても繋がってるよ。二課ならすぐそこだし案内するね」 「有難う御座います!」 ――うんうん。元気があっていい。新人って感じ。  来た道を二人で戻る。見知らぬ先輩に迷惑をかけたことが申し訳ないらしく、歩いている最中も謝られたが、新人なんて誰だってこんなものだから気にしないで頑張ってほしい。頑張っていない俺が思うのもあれだけれども。  二課の目の前で別れる。何度もお辞儀をされた。俺も突然の出来事で気分転換になった。新人ちゃん、ありがたや。  トイレ……はもういい。 「有難う御座いました。失礼致します」  プレゼン先の相手に深々とお辞儀をして礼を言う。先方も穏やかな人柄で、話している間別段突っ込んだ質問をしてくることもなく、今日のプレゼンは無難に終わらせることが出来た。逆に言えば無難過ぎて可もなく不可もなく、だ。結果がなんとなく想像出来る。  やはり才能がないのか、いや才能というよりセンスか。あの服のセンスがない青鬼ですら課長までは出世しているのに。つまり、役職関係無く俺は馬鹿にしている青鬼以下というわけで、一周して自分を馬鹿にしていることになる。世の中不公平に出来ているというより、きっと自分が悪い。 「頑張れよ」  ぽんと頭に手のひらが置かれる。今日一緒に付いてきてくれたすぐ上の先輩だ。優しさが売りの先輩であるが、いつでも優しいというのも今の状況では殊更堪えた。「頑張れ」など俺にとっては嫌いな言葉で、また心にずくりと沈み込んでいく。 ――俺は頑張っている、頑張っているのにこれ以上どう頑張れと言うんだ。  頑張っているつもりで頑張っていないということか。頑張っていないんだろうな。だって、俺と同じ年齢でも、結果を出している人間はいる。納得には程遠い心うちを隠し、「はい」と素直に返事をして二人で帰社した。  自分のデスクに鞄を置くと青鬼が待っていた。 「高田、こっち来い」 「はい」  せっかく気持ちを切り替えようと思ったのにそうはいかないらしい。プレゼンの報告待ちだろう、また説教か。内心とぼとぼと奥に位置するデスクへ向かう。いつもより二本程多い眉間の皺が嫌な予感を演出する。 「ただいま戻りました。何かご用でしょうか」 「用ってもんじゃない、何だこれは」 「これは……って」  ばん、と青鬼のデスクの上に乱暴に放り投げられた紙の束を見ると、今月の営業成績報告書だった。つい昨日出したものだが、何か問題でもあったのだろうか。いや、あったからこの状況なのだ。俺は恐る恐る聞いた。 「間違いがあったでしょうか」 「間違いだ? こんな簡単なことも出来ないで営業が出来るか! ここだ、ここ」  青鬼の指し示す先を視線で追うと、計算式の羅列が目に入った。そこをよく観察してみる。ちゃんとエクセルで計算式を入れたのだから間違いは無い、はずだった。先頭から順を追っていくと、ある箇所で冷や汗が滲んだ。 「……あ」

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