絵画『隻腕のピアニスト』で一躍有名になるものの、24歳の若さでこの世を去ってしまった画家・花山霞氏。 病魔に襲われた彼は晩年、絵を描く事を止め、ひたすら日記を書くようになったと言われている。 しかし、その日記の内容はとても病院での療養生活をそのまま落とし込んだようには見えず、さらに『ここうちゃん』という謎の存在が頻繁に登場する事で知られている。 今回は書籍化された日記『花山霞、最後の絵』から、ここうちゃんに関する部分を抜粋し、幾つか紹介しよう。 … 〜10月20日〜 今日はとても良い事があった。 薄汚れた緑の川を渡ってトイレに行く途中、梅の花を持った看護婦さんとすれ違ったのだけど、その人が俺の後ろの方でボソボソと何か言ったんだ。 その時に、こう、パァッと視界が明るくなった気がしてさ。なんだ?と思っていると、僕の隣にここうちゃんが居たんだ。 いや、居てくれたのに気が付いたというのが正解だな。ここうちゃんは俺が小学生の時、髄膜炎で地獄を見た時から居てくれたはずなんだ。 退屈なのに身動きできない時はここうちゃんが遊んでくれていた事に、どうして今まで気が付かなかったのだろう。 でも、それは仕方がない。なぜなら、あの頃の俺はあまりに小さかった。死にかけたと言ってもそれを理解できていなかったんだから。 その証拠に、俺はあの時の事を大して覚えちゃいない。 何はともあれ、こうして理解できた事は幸運だった。トイレに行って疲れた俺はここうちゃんとプラットフォームに座って車椅子のお爺さんや松葉杖のカカシを見てた。 ここうちゃんが『病院は危険な所だと思う。そしてみんな賭け事をしている。そんな目をしてる』と、言った。俺もそうだと思う。 〜10月21日〜 山崎さんがお見舞いに来てくれた。 俺が大好きな梨を持って来てくれただけでなく、俺の絵をいくつか買いたいと言ってくれた。俺は嬉しかったが、ここうちゃんは魔獣のような眼で山崎さんを睨んでいた。 やめなよ、ここうちゃん。確かに、俺が死ねば俺の絵は高く売れるかもしれない。でも、いいじゃないか別に。 山崎さんが帰ってから、ここうちゃんを連れて屋上に行った。箱型の塔を登るのにはスイッチ一つ押せば良い。 笛みたいな口の鳥が銀色の粉でお化粧をしてる。焼肉が食べたいな。 俺が絵を描くのを止めてから、絵描き達は楽しそうだ。そんな事を思う俺にもう絵を描けないだろう。 ここうちゃんは、今でも絵を描けば良いのにと言う。俺はどうしていいか分からない。 〜10月23日〜 お腹が苦しくて眠れないので、ここうちゃんを探しに出かけた。 藁で埋まった道、かき分けるのが大変で部屋へ戻ろうかなと思ったけど、幸いにも夜回りの看護婦さんが俺を連れて行ってくれた。 看護婦さんは、早く部屋に戻ってねと言ったけど、俺は分かりましたと嘘をついて小1時間プラットフォームに座って点滅する星を見てた。エアコンか換気扇か知らないけど、ボヤけた音が絶え間なく鳴ってて、口の中の不快感を耳から入れられてるみたいだった。 ここうちゃんは曲がり角の影に隠れてた。 何でそんな所にいるのと聞くと、『明日は注射の日だから、怖くて』と、言った。 なぜ注射が怖いのか不思議だった。ここうちゃんはどこも悪くないから、注射など怖がる事はない。注射を怖がるのは病人だけなんだから。 励ましてあげると、ここうちゃんは元気になって、俺のそばに付いて歩いた。 窓が8つ並んだ渡り廊下までやって来ると、胸が激しく痛んだ。うずくまってしまったほどだ。 ここうちゃんの肩を借りて、何とか病室まで戻る。やれやれ、我ながら情けない。 〜10月26日〜 病院のご飯は本当においしくない。まずいわけじゃないんだけど、おいしくない。 俺が、ここうちゃんは食べなくて良いから楽だねと言うと、ここうちゃんは嬉しそうに笑った。握り潰してやろうかと思った。 そういえば、山崎さんが俺の絵をいくつか買ってくれたらしい。あの人には本当にお世話になった。良い人だったと思う。 だから、俺が死んで少しでも高くなってから、俺の絵を売って儲けて欲しいと思う。これは嘘じゃない、本当にそう思う。 けど、俺が書いた落書きにまで値段を付けるのはやめておいて欲しい。 恥ずかしいからね。それは値打ちなんて無いよ、俺が言うんだから間違いない。 ここうちゃんがうるさくて眠れない。 〜10月30日〜 何だかお客さんが多い。 これまで山崎さんと、サチが一度来てくれただけだったのに、最近は親しくもなく覚えてもいない同級生なんかがやって来る。 何しをしに来るのか本当に分からない。お見舞いなんだろうけど、俺には死にかけの人間を見て面白がっているようにしか見えない。 彼らは決まって集団でやって来る。一人でできない事は大体が良くない事だ。 どんなやつか知らない人間を見舞うなんて、変な話だ。俺ならそんな事はしない。弱ってる姿なんて見られたくないし、どう具合が悪いかなんて話したくもない。 ここうちゃんもそれには同感らしく、黒いよだれを垂らしながら、煙のようになっている。 Tという、中学の同級生だったらしい男が言った。 『早く元気になってね』 俺は元気だよ。 みんな緑の川を渡って、歯車で動くように帰っていった。不覚にも寂しいと思ってしまった。自分が何を考えてるのか分からない。 〜11月2日〜 ここうちゃんが、針金で作った植物の根みたいな物をくれた。 これは何?と聞くと、ここうちゃんはただニヤニヤ笑っているだけで答えてくれなかった。 それに触れると、肋骨の辺りに脈打つような冷気が走り、長く触れているのは危険だと思った。ここうちゃんは友達だが、たまに想像もしなかった凶悪な事をする。俺は、ここうちゃんと結婚するが、いつか離婚してやろうと思っている。 明日はなぜ絵が好きなのか日記に書いてみよう。 なぜなら、こないだの検査で変な事を言われたからだ。なぜ死ぬと言ってくれないのだろう。そしたら俺は、なら絵を描こうと思うかもしれないのに。 〜11月3日〜 今日は具合が良かった。午前中にまた同級生だと言う人達が来て、花だの千羽鶴だの色紙だのを置いて行った。 これらが俺と一緒に燃えていくのかと思うと、実にくだらないなと思った。でも、彼らの頭の中は良いことをしたという気持ちで一杯なんだろう。 彼らは一体誰なんだろう。 絵について書こうと思ったけど、ダメだ。何もする気がしない。 日記を書くのも大変だ。なぜって、毎日が同じ事の繰り返しで、どう足掻いても同じようにしかならないんだから。 こういう時間は身体に良くない、病院も遊ぶ場所を作れば良いのに。 ここうちゃんが、透き通った青い花を持って立っている。笑っているようにも見えるし、泣いてるようにも見える。 夜になると黒い雨が降ってきて、背中は穴だらけになる。俺に繋がったコードが、どこにも行けないようにする鎖に見えてくる。 〜11月6日〜 一時的に家に戻っても良いと言われたけど、断ろうと思ってる。 なぜって、また病院に戻るのが面倒だからだ。何が嫌かって、病院に居る事よりも戻って来るのが嫌なんだ。 ここうちゃんは家に帰るべきだと言ったけど、俺は理由を説明して黙ってもらった。むくれて窓際の椅子で爪を研ぐここうちゃんは雰囲気が有って、良い絵になりそうだと思った。 なんとなくえんぴつで落書きをしようとすると、えんぴつの芯がインクのように液状化して流れ出てしまった。残念だ。滲んでしまって何も描けない。 薬の量が増えたり減ったりして、崖っぷちまでアクセスを踏んだり離したりしてる気分になる。そのまま崖から飛んで行くのと止まるのと、どっちが生でどっちが死か考えてみたけど、分からなかった。 〜11月10日〜 ここうちゃんが自分の絵を描いて欲しいと言ってきた。描いてあげるから、その代わり消えてくれる?と言うと、それはできないと言って笑っていた。 俺はここうちゃんが嫌いだ。たまにここうちゃんのおかげで、人に優しくしようとか、意味の有る事をしようと思うけど、それは全てここうちゃんが思わせた事で、俺が思った事じゃない。 考えてみると、人に思わされた事なんて、その人に利用されてるのと同じだ。 ここうちゃんと看護婦さんと売店に行く。 パンを食べようかなと思ったけど、実物を見ると気分が悪くなってやめた。 廊下を、骨折した患者さんとその友達が通る。楽しそうに話していたけど、俺には酷く不運な人達に見えた。 怪我をして病院なんかに居なければ、今頃二人でどこかへ出かける事ができたのに。二週間かそこらでも時間を失うというのは多大な損失だと思う。 俺なら、二週間あの頃の俺に戻れるのなら、このゴミみたいな入院生活を全部売っても良い。ここでの時間は何にもならない。 ここうちゃんが優しい。気味が悪いほど。 〜11月15日〜 どの姿勢でもお腹が苦しくて嫌になる。あと、胸が痛い。 俺のお腹も大きいけど、ここうちゃんも最近太ったように見える。 何も食べていないのにどうして太るのかと聞いてみた。 すると『何も食べずに生きていられるわけがない。食べていないようで食べているんだよ』と、言った。 それにしても少し太り過ぎに思える。俺がそう言うと、ここうちゃんが二人で痩せようと言った。 俺のお腹が大きいのは太っているからではなくて病気のせいなのだと言うと、ここうちゃんは不機嫌そうにどこかへ行ってしまった。 〜11月22日〜 少し書くのが大変だ。 身体が怠い。 ここうちゃんが手を握って励ましてくれる。ここうちゃんの肌は青白くて、眼は灰色だった。 これまで、ずっと側に居たのに気が付かなかった。こんな顔をしていたのかと驚く。 山崎さんやサチが来てくれた。 山崎さんはほとんど何も言わないで、立ってた。サチは泣いてた。 二人が帰ってからしばらくして、フランスで絵描きをしてるという知らない人が来た。 誰かも分からない人が、さも親しげに何か言ってた。これだから芸術家を名乗る人間は嫌いだ。俺を友人だとでも思ってるのだろうか。 付き人みたいなやつが感動的だとばかりに泣いてたが、サチの涙と違って透き通っていた。人間から出た物が透き通っているわけがない、だから俺はこの人達が嫌いだ。 記念に写真を撮らせてくれと言ってきたので、好きにしてくれと言った。 多分、何かに載るだろう。嫌な気分だった。 連中が消えると、いつの間にか居なくなってたここうちゃんが帰ってきた。 どこに行ってたのか聞くと、『医者に行ってた』と言う。 変なことを言う。わざわざ出かけなくても医者ならここにゴロゴロ居るし、そもそもどこも悪くないここうちゃんが医者に行く必要なんてないはずだ。 すると、ここうちゃんは『悪い所ならある、私は最近本当に体調が悪い』と言った。 俺は自分の事ばかり考えていたが、考えてみればここうちゃんも俺と同じなのだ。そう思うと、少しだけここうちゃんがかわいそうになった。 〜11月25日〜 こないだの嫌な画家が来て以来、知らないヤツがゾロゾロやって来るようになった。 みんな死にかけの人間を一目見ておこうと、友達になっておこうと必死だ。俺はそういう行為を嫌っていたが、今更それをとやかく言うつもりもない。 彼らも名を挙げる為に努力しているのだ。 俺はたまたま絵が有名になり、絵を描いているだけで生活できるようになったけど、それは本当に運が良かったんだ。 ほとんどの人はそれがしたくてたまらなく、どんな手を使ってでもそうなりたいと思っているに違いない。 そんな事よりも、ここうちゃんの様子がおかしいのが気になる。 あれほど元気だったここうちゃんが、最近では暴れ出したり歌ったりする事もせず、ずっと大人しくしている。 よほど具合が悪いらしく、医者に連れて行ってと口の中で呪文のように繰り返している。良い気味だ。 〜11月26日〜 相変わらず会った事も無い人が次々とやってくる。ある一人の青年に、なぜこんなに人が来るのかと聞くと、あのフランスで絵を描いてる画家が俺の事を週刊誌に書いたりSNSに書いたりして、それを見てやって来たのだと言う。 迷惑だったが、中には絵を持ってきて見せてくれる人もたくさんいた。 ほとんどが似たり寄ったりのつまらない絵だったが、中には驚くほど良い絵を描いている人もいた。 久しぶりに楽しい時間を過ごせたと思う。 ところで、俺に会いに来れば彼らの絵は正しい評価をしてもらえるようになるのだろうか。 多分、彼らはそう信じていると思う。そうでなければ、知らない人の病室に入り込むなんて嫌だと思うし、できないだろう。 俺は病気になってから本当に物事を考えるようになったと思う。分からない事だらけだけど。 ここうちゃんは地面に倒れて泣いてた。死にたくない死にたくないと言ってた。本当にかわいそうだった。 泣くなよ、ここうちゃん。俺だって同じなんだから。 〜11月28日〜 ここうちゃんが動かなくなった。生きてはいるけど、もうダメらしい。 壁にもたれて、頭を垂れたまま、ずっと赤い涙と涎をポタポタ流している。俺はそれを見るのが嫌だったが、見ないわけにはいかない。 山崎さんとサチが来て、俺と出会った時の話や、これまでの事を話してる。 なぜそんな話をするんだろう。 〜11月30日〜 今日も山崎さんとサチが来てくれた。サチは九州に住んでいるのに、仕事を休んでホテルを取ってまで会いに来てくれているらしい。山崎さんが教えてくれた。とても嬉しかった。 サチにお礼を言ったら『礼なんかいらないから、早く治して元気になって』と言った。 どうせ死ぬのだし、俺にできる事ならどんな事でもしてやれるけど、多分それだけは不可能だ。 サチは、昔から難しい事を言う子だったんだ。 二人があまりに昔の話ばかりするので、少しこの先が怖くなってしまった。どう言えば良いのか分からないが、二人が俺に、俺の未来を見せまいと頑張っているように感じたからだ。 例えるなら、怖い所になんか行かないよと言いながら子どもを病院に連れて行く母親みたいな、そういう感じだ。 二人が帰ってから、ここうちゃんに話しかけた。 ここうちゃん、怖くないよ。俺が一緒に居るんだから。 〜11月?日(日付未記入)〜 山崎さん、俺の絵はみんなあなたにあげます。好きにして下さい。少しでもあなたの役に立てばと思います。 サチ、君は昔から俺を助けてくれた。 仲良くしてくれてありがとう。本当に、遠くからありがとう。身体に気をつけて。 ここうちゃんも、ありがとうと言っている。こいつも本当は辛いんだ。俺が本当に弱れば、自分も死ぬ事を知っている。俺達は離れたくても離れられない。辛いのは俺だけじゃないはずなんだ。 とにかく、二人には感謝してもしきれない。ありがとう。 〜最後の日記〜 絵を描いておけば良かった、と思う。きっと良い絵が描けた気がする。 本当に悔しい。もう何もかけないのが。 … 〜解説〜 この日記は花山氏の死後、彼の病室の金庫から発見された物である。 ここうちゃんとは、一体何者だったのだろう。病室の同居人のようにも友人のようにも恋人のようにも、悪魔か何かのようにも読み取れる謎の存在。 花山氏の描いた世界から、その正体について考察してみようと思う。 『隻腕のピアニスト』をはじめ、彼の絵には現実ではあり得ない方法で、不可能を可能にした人々が多く描かれている。 隻腕のピアニストでは、軍服を着た男が、カラフルなキノコを食べて幻影のような腕を得て、恍惚した表情でピアノを弾き、幻の喝采を浴びている。 『友人』では二人の白骨が焼け野原となった土地で酒を交わす様子が、『天の川の生活』では白く光る海に浮かぶ島に暮らす、貧しい夫婦の様子が描かれている。 一見すると、幸福なのか不幸なのか分からない印象を受けるが、それは見ている私達が彼らの立っている特殊な立場に立てていないからだろう。 人は強く何かを願う時、他の大切な物を平気で犠牲にしてしまう所がある。それを失う事で求めている境地に到達できるのなら、他人が羨む物ですら捨ててしまう。 花山氏が描きたかったのは、そういった人間の強さや愚かさなのかもしれない。 絵に限らず芸術全てが製作者の魂の反映だとするのなら、それは彼自身の生き方や倫理観そのものを描いたとも言える。 これは私の想像だが、花山氏は絵を捨てて、生を得ようとしたのではないかと思う。 完治が不可能だと確信した彼は、最後の望みに賭けた。 それは自分にとって何より大切な絵を断つ代わりに、病魔と友人になり共に生きていくという道だ。ここうちゃんとは、彼に取り憑いた病魔そのものだったのではないだろうか。 日記の中に擬人化した病を、まるで友人か恋人のように書く事で、彼は病魔と向き合っていたのだ。 普通では考えられないアイデアだが、自分が近い内に死ぬと知っているなんて、それは最早普通では無い。 普通の方法では解決できないのなら、普通ではない方法を選ぶ事は現実でも少なからず有るだろう。 正しいか間違いかではなく、花山氏は自分で描いた世界の倫理観で生き、病にすら打ち勝とうとしたのだ。 しかし、友人か恋人のように接しつつも、命が削られていくにつれて、病魔への怨念に近い感情が日記の所々に生々しく記されている。 彼は怯え苦しんでいた。日記の最後に幸福とは真逆の悔やみのひと言が記されている事からも、それが分かる。 いくら大切な物を捨てようと、病と友人になる事などできるはずがないのだ。 とうとう、彼の途方もなく不利な賭けは外れ、親友となった病と共に旅立ってしまった。 けれど、当たり前だと笑う事は、私にはできない。 余談だが、一般的に花山氏は病を機に芸術家を辞めたという事になっている。しかし、私は花山氏が芸術を捨てたとは思っていない。 なぜなら、彼は最後の時まで自分の命を使って、魂を形にし続けたからだ。 方法など問題では無い。やり方が変わろうとも、表現しそれを受け取る者がいる限り、芸術家は芸術家のまま変わらない。 そして、それは死後でさえも例外ではない。人間として死のうとも、芸術家としては死なないのだ。 ただ、それでも彼が圧倒的な絵画の腕を持っていた事は事実で、もう新しい絵を見れなくなってしまった事は惜しいと言うしかない。 花山霞が今も生きていたのなら、きっと病魔と友人になり生きる少年の絵を描いた事だろう。 筆者・たらふらま
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