五十音のへんな生き物図鑑
『く』クシマンニュ

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 怪我や病の克服というのは、大昔から現代まで人々が研究し続けている永遠のテーマだ。  約2万年前に滅びた古代リッポ人は、クシマンニュと呼ばれる奇妙な菌類を使ってあらゆる不調を跳ね返す人体の創造を試みている。  古代リッポ人の都には、クシマンニュについて記された石版が多く遺されていた。  記されていた詳しい内容や具体的な方法、その研究の行き着いた先など、古代リッポ文明研究家のボコナーズ=ドイル氏に話してもらった。 『古代リッポ文明では、薬学や栄養学といった我々が真っ先に思い浮かべる方法とは少し違った方法で生命にアプローチしていました。それは、クシマンニュと呼ばれる不定形の菌類を体内で育成し、機能を失った臓器や四肢の代わりに働かせる。そうすれば、あらゆる病や老衰も克服できると、リッポ人は考えたのですよ』  ドイル氏曰く、クシマンニュとは特定の姿を持っていない菌で、長い時間をかけて接触している物体の性質に近い姿に変化するのだという。  つまり、金属の上に乗せて成熟させれば固く光沢を持った状態になり、羽毛の上に乗せて成熟させれば綿毛のように軽く柔らかく変化する。ならば、筋肉や骨や内臓に適応させれば、体の一部として機能するのではないかとリッポ人は考えたのだ。   『クシマンニュを研究していた学者は多く居ましたが、最も有名なのはスポという名の医者でした。スポはまず手術で肝臓や腸の一部を取り出し、その肉片の中でクシマンニュを育てました。もちろん、クシマンニュは時間と共にその肉片に適応しましたが、とても人体の代用品として使える代物ではありませんでした。なぜなら、体から切り離された細胞はじきに死んでしまいます。クシマンニュが変化したのは、もう死んでしまった細胞であり、当然それに適応したクシマンニュも活動を停止した腐肉のような状態へと変化しまったのです』  体の一部を生きたまま長期間保存する方法など無く、スポは試行錯誤を繰り返した。  まずは指先の欠損など、僅かだが体の一部を失うような外傷に傷薬の様に使用すればどうなるのか試した所、この実験は成功した。  誤って指をナタで切断してしまった大工の青年は変化したクシマンニュが、小ぶりだが指の形に成長し、怪我をする前と遜色なく作業できるようになったという。 『クシマンニュが医療的に有用であることは証明されていきました。しかし、スポが目指していたのはあくまでも不死の領域だったのです。何とか、死んだ部分ないしは死にゆく部分でも活動してくれるクシマンニュを作ろうと実験を繰り返しましたが、どれも思うような成果は得られなかった。体から切り離した一部で育てたクシマンニュでは、どうやっても人体の代用とはなり得ないのです。悩んだ末、他の学者が選ばなかった危険な方法に着手するのです』  スポは、生きている人間の体にあらかじめクシマンニュを植えておけば、怪我や病気に対する万能の免疫となるのではと考えた。  もちろん、そのアイデア自体を持つ学者は大勢居たのだが、誰も実践はしていなかった。それは危険過ぎると考えられていたからである。  なぜなら、クシマンニュがそう都合良く不具合を起こした箇所に成り代わってくれるとは限らない。体内にクシマンニュを取り込んだ場合、指先のように限定された部分と違って、あらゆる器官と目まぐるしく干渉する事になる。  つまり最悪の場合、身体の中にもう一つ身体ができるような事になる。そうなったら宿主の人間がどうなるのか、少なくとも健康な状態で生きていく事はできないだろうというのが一般的な考えだった。 『スポは生物にクシマンニュを同化させるという実験を開始しました。まず成熟したネズミにクシマンニュの幼生を投与し、どうなるかを観察したのです。適当な日数が経っても、ネズミには何の変化も無かった。次にネズミの耳を切り落としました。スポの予想では、失われた部位をクシマンニュが形成するはずでしたが、結果は失敗。ネズミの耳は失われたまま生えてこなかったのです。そのまま、ネズミは死んでしまいました。スポがネズミを解剖すると、体内に米粒のようなタンパク質やカルシウムの塊がたくさん見つかりました。言うまでもなくそれが体に溶け込んだクシマンニュだったのです』  スポの実験は失敗だった。やはり体内にクシマンニュを取り込む方法では、ただ寄生生物を体に宿すに過ぎない。不死の体を得るどころか、寿命を縮める事になってしまう。 『普通の人間なら、この方法は失敗だと思うでしょう。しかし、スポは諦めませんでした。クニマンシュが部分的になら器官を作れるという事に着目したスポは、たくさんのネズミを使って体のほぼ全ての部品を作り、そのパーツを組み合わせて、クシマンニュによるネズミの複製を作ろうと考えたのです。具体的に分かりやすく説明すると、仮に100のネズミにそれぞれ違う部分のクシマンシュを育てさせ、100種類の代用器官が作り出す。それを1匹のネズミに一つずつ移植すれば、母体となったネズミを死なせる事なく、少しずつ体をそっくりクシマンニュと入れ替えてしまえるというわけです。スポはこれが成功したのなら、研究は飛躍的に進むと考えたのです』  スポがここまでクシマンニュに拘る理由はなんだったのかと尋ねると、ドイル氏は『多分、面白かったのでしょう。人間は面白いとのめり込みます。なんとしても成功させたいと望むようになるのです』と、答えた。 『スポは早速、大量のネズミにクシマンニュを植えました。心臓や肺など生命に関わる部分を露出させる時は慎重に。移植先には赤ん坊のネズミが使われました。成熟している生き物は完成され過ぎていて、自分で器官を成長・適応させる事ができないという判断したのです。この判断は正解でした。実際、クシマンニュで作れる器官は、母親の胎内の赤ん坊のように未熟な状態がやっとでした。どうしても宿主の体の方が適応し成長させる必要が有ったのですよ。スポは出来上がった器官を一つずつ試験体ネズミの、本来持っている器官と交換していきました。何度か失敗を繰り返しながらも、とうとうクシマンニュネズミが完成したのです。そのネズミはそのまま成長し、他のネズミと同じように生きる事ができた。実験は大成功を収めたのです』  全身がクシマンニュで形成されたクシマンニュネズミ。いや、ネズミクシマンニュと呼ぶべきなのかもしれない。 『スポは医学会で褒め称えられ、功績を認められました。その技術は今後、ゆっくりとかもしれないが、医学の進歩に役立つだろうと。しかし、スポの考えは決まっていました。そうです、ネズミで成功したのだから、次は人間で試すべきだ。必ず成功する、と』  スポの情熱はとうとう狂気的な領域へと及んでいく。生きた人間、それも大勢にクシマンニュを植え、それを他の人間に移し替えるなんて事が可能なのだろうか。 『当然、そんな計画は実行できませんでした。いくらスポの動機が研究の為とはいえ、生きた人間を実験に使うなどという非人道的な行為は認められるわけがありません。スポな悩みました、絶対に成功すると確信している実験を行えない状況に歯噛みしていた事でしょう。何か別の手段を日夜考え、ある方法を思いついたのです』  クシマンニュによる人工器官の有用性を証明したスポ。成功を確信した実験は更に加速してゆく。   『スポは、クシマンニュを体の一部とするには三つの条件があると言っています。一つ、クシマンニュが混乱しないように限定された場所に落ち着かせる。つまり体内などの、複数の異なる性質を持つ物と長時間同時に接触し続ける環境に置かないという事です。二つ、クシマンニュを宿す者は成長途中の人間でなくてはならない。体が出来上がった大人では、クシマンニュを受け入れて自分の一部にする適応性が足りないという事です。三つ、臓器や皮膚や筋肉に内科的な不調の無い健康な状態をクシマンニュに覚えさせるという事。クシマンニュは病気まで忠実にコピーしてしまうので、宿主は健康な内にクシマンニュを宿していなければ意味が無い。スポはこの条件を満たす方法として、卵子と精子の段階でクシマンニュを使う事にしたのです。クシマンニュ卵子とクシマンニュ精子で人間の複製を作れば、その身体は自由に使える。スポはそう考えていたのです』  つまり、スポのアイデアはこうだ。クシマンニュで人間を製造し、その体を実験台にしたり、必要なら皮膚や臓器を貰えば良い。あくまでクシマンニュであって人間ではないのだから、人道的にも法的にも触れる事はないだろう、と。 『スポの実験は成功したのです。クシマンニュの受精卵を作り、成長の方向性を決定してしまえば、他の物に影響される事はない。問題は誰の母胎でその胎児を育成するかという事ですが、それもスポは考えていました。普通では考えられない方法ですが、彼女は自分のお腹でクシマンニュを育てようと決めたのです。自分で麻酔を打ち、下腹部を切り開いて子宮にクシマンニュの受精卵を宿しました。彼女は文字通り、自分自身で新しい人間を産み出す事にしたのです』  いかにクシマンニュが性質までコピーしてしまう菌だとしても、それを人間と同じように育てる事が可能なのだろうか。   『もちろん、スポにも不安が有った事でしょう。しかし、経過はとてもスムーズでした。何の問題もなくスポのお腹でクシマンニュは人間と同じように育っていったのです。やがて、出産の時が来ました。産まれた赤ん坊を見て、スポと医師は驚きました。その赤ん坊には性器が備わっていないのです。それ以外は、どのからどう見ても人間の赤ん坊なのですが、何かがあるはずの所はツルりとした肌で埋まっている。男の子でも女の子でもないその子はクニと名付けられ、スポは母親になったのです。クニは人間と菌類の両方の特徴を持っていました。性器が無く、肛門もありませんでした。つまり、排尿や排便を行わないのです。口から取り入れた物は全て分解し、無駄の無い栄養素として吸収できるのです。それから、極めて強力な免疫と治癒力を持っていました。スポが求めていた、あらゆる病や怪我に打ち勝つ身体という意味では、大成功を収めたと言って良いでしょう。それでいて、知能や仕草などはまるっきり人間そのものなのです』    果たしてそれは成功なのだろうか。確かにリッポ人の学者達が求めていた要素を満たしているとは言えるが。 『成功と同時に、スポは自ら産み出したクニの為に苦悩する事になります。そうです、クニのあまりに人間に近すぎる仕草や育ち方を見ている内に、自分がとても残酷な事をしたのではないかと思うようになったのです。当たり前ですが、当初考えていたように、クニを解剖したり臓器や筋肉を貰うなどといった事はできるはずがありません。ならば普通に、人間として生かしてやれるのかといえば、それも難しいように思えます。身体的特徴もそうですが、周囲の人間はクニを普通の子どもとしては見てくれません。クシマンニュで作られた人間だという事実は、どうしてもクニに付き纏うのです。例えば現代の私達の社会に人造人間やサイボーグが誕生したとして、その最初の一人が幸福に生きていけると思いますか?見せ物のようにされるか、実験や観察の対象になるのは目に見えています。新しい存在が普通の暮らしをできるようになるには、古い存在が新しい存在に慣れるための時間が必要なのです。しかし、クニはたった一人、それも仲間が自然と現れる可能性はゼロです。スポはそんなクニを哀れに思ったのです』  ドイル氏曰く、リッポ人のスポとクニの記録はそこで終わっているらしく、二人がその後どうなったのかは第二古代期ラブラスタ文明の書に引き継がれているという。  あらゆる病や怪我を受け付けないクシマンニュと人間の中間の存在。その最期がどう締め括られるのかは、次の機会に。 筆者・カール=ロバンソン

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