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 マーブ族という人達は瞑想をする為に産まれて、そして死んでいくのを美徳としている。  彼らにとってそれは苦痛では無い。我々が遊んだり仕事をしたり結婚をしたりするように、彼らは瞑想に耽るのだ。  なぜならマーブ族にとっては精神世界こそが本当の世界であり、現実の世界での出来事はまるで意味の無い物だという考えを持っているからだ。  分かりやすく例えると『実物のケーキは食べてしまえばおしまいだが、精神世界のケーキは何度でも食べられる。現実でそれを食べる為に働いたり、作ったりするのは無駄だし馬鹿げている。精神世界で生きる事を極めれば、肉体が消えても生き続けているのと変わらない。死んでしまってからも、より良く生きていく為に、肉体が有る内から精神世界で生きていくべきだ』という事だ。  もちろん、瞑想ばかりしていて生活が成り立つわけがないので、彼らも畑を耕したり家を作ったり家事をしたり、我々が思う普通の労働や生活もある程度は営んでいる。  しかし、そうした普通の暮らしを充実させる事は彼らにとって恥ずかしい行いとなる。つまり、我々でいう働き物が『将来(死後の暮らし)の事を考えて行動できない愚か者』だと判断されるのである。そして、仕事をせず貧しい環境で一家全員が黙々と瞑想に耽っている様子は『あそこの一家は本当に真面目だ、見習わなければいけない』と、評価される。  働き者は怠け者、怠け者が働き者と、我々の価値観とはまるで逆の思想を持っている部族なのだ。  そんなマーブ族にとって、結婚は子どもを作る為の儀式でしかない。  男女はガラ・タニアと呼ばれる占いのような物でパートナー(ガラ)を決めて子どもを作る。二人の関係はそれだけで、一応同じ家には住むが、それ以上信頼関係を築いたり、愛し合ったりする事はしない。なぜなら、それは意味の無い行為だからである。  中にはそうした事に充実感を見出して、我々の思う幸福な家庭を目指して努力する夫婦もいるだろうが、そうした人達は先述した通り、仲間から愚かな人達だと笑われてしまうのだ。  彼らにとって、正しい結婚生活はガルラを愛し努力する事に他ならない。  ガルラとは『血を分けた相方』という意味で、精神世界に居る恋人・パートナーの事である。ちなみにガラは『血の通っていないかりそめの相方』という意味だ。  男女ともにガルラを大切にしろと、子どもの頃から教えられる。  ガルラは誰よりもパートナー(自分)を大切にしてくれる。辛い時はいつも側に居てくれるし、楽しい時は何倍も楽しませてくれる。永久に同じ時間を生きる一心同体の存在なのだから、誰よりも大切にすべきだと説くのである。  取材に応じてくれたマーブ族のヘメヘメ氏に、ガルラについて詳しく話してもらった。 『ガルラは誰の中にも居ます。もちろん、マーブ族ではない人にも必ず居るはずなのです。他国の人のほとんどは居ないと答えますが、それはまだ会えていないだけでしょう。あなたの中に居るガルラを一緒に探してみましょうか?』  ヘメヘメ氏の言う、その方法を実践してみる事にした。 『良いでしょう。では、これから私がする質問に正直に答えて下さい。あなたは好きな人はいますか?』  私は既婚者なので『はい』と答えた。 『あなたは本当にその人が好きですか?いえ、そんな事を聞くのは失礼に値するのかもしれませんね。好きだとしましょうか。どうしてその人を好きになったのですか?』    私は『容姿と人柄に惹かれたのだ』と答えた。 『では、あなたは何を基準にして奥方の容姿や人柄を良いと判断したのですか?』    私は『人柄に関しては、どことなく母親に似ていて温かい感じがしたからだ。容姿に関しては、基準と言われても分からない』と答えた。 『母親があなたに見せていた人柄が、本当にその人の人柄だと思うのですか?それは違います、それはその人の人柄ではなく「親としての人柄」なのですよ。温かいと感じたのなら尚の事です。本当のその人を知るには、過去に遡る必要が有る。産まれた時から現在進行で、その人の内面を見ていなければ人柄を知る事などできるはずがないのです。母親の不確かな人柄を、他人、それもまだ親になっていない人物の人柄と照らし合わせるというのは、少々強引だとは思いませんか』  私は『それはそうかもしれないが、それこそ不可能な事だ』と答えた。 『つまり、あなたはこれまでの経験から「良いと感じる人柄」を自分の中にイメージとして持っていた事になる。そのイメージと照らし合わせる事によって、良き人良くなき人を判断しているのです。それは容姿に関しても同じ事が言えるのです』  私は『そう言われてみればそうだ』と答えた。 『では、そのイメージの正体は何でしょうか。あなたはそのイメージをお面や音声や書体で持っているわけではないでしょう。必ず、人の姿をしていると思います。あなたであれば女性の姿をしているでしょう』  私は『それが私のガルラという事ですか』と言った。 『その通りです。しかし、今のあなたにとっては幻のような存在でしかないでしょう。会おうと思っても会えない、その人と共に生きていくなんて、文字通りの夢物語なのだと思います。ですが、それは私達にとっては実現できる事なのですよ。誰よりも近くでいつも待ってくれているパートナー、それがガルラなのです。そんなパートナーを無視して、いつ気持ちが離れてしまうか分からない人と生きる道を選ぶなどというのは、マーブの民にとっては普通考えられない事なのです』  ヘメヘメ氏の解説を聞き、ガルラの正体が分かったような気がした。  現実の人間は、言ってしまえば全てが謎に包まれている。性別、容姿、性格、その全て見ただけでは真実かどうか分からない。自分の求めているパートナーとなるのかどうか、付き合ってみなければ分からないし、何なら付き合っても分からないのだ。  しかし、ガルラは違う。ガルラは自分の中にのみ存在する自分だけの存在だ。ガルラの事は誰よりも自分が知っているし、ガルラも自分の事を誰より知っている。喜びや悲しみを全て共有できる。確かにあらゆる面で理想的なパートナーと言えるだろう。  ヘメヘメ氏は、最後にこういう言葉を私に言った。 『ガルラを妄想だと言う人はたくさん居るでしょう。では、現実の恋愛や結婚はどうなのでしょうか。利害を目的とした結婚や、些細な言い争いが元で別れてしまう夫婦が数多く存在する。これらは「嘘」や「過ち」ではないのでしょうか。全てがそうだとは言い切れませんが、それをガルラと比較して、絶対に良い物だと証明する方法が有るのでしょうか。私は伝えたい事が有る。つまり、ガルラと歩むにせよ、他人と歩むにせよ、大切なのは本人が幸福でいるべきだという事なのです。どちらが良いのか、それはあなた自身があなたのガルラに会って教えてもらえば良い』  私も、私のガルラを探してみた。  私にはマーブ族の人達のように触れたり会話したりする事は到底できそうにもなかったが、ガルラは確かに私の中にも居たのだ。  その姿はボンヤリと頼りなく、どんな顔なのかハッキリと見る事さえできなかった。  漠然とした印象のガルラだったが、遠くからこちらを見て微笑んでいる姿は、家で私の帰りを待ってくれている妻に似ていなくもなかった。 筆者・エルドラ=マルコ  

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