五十音のへんな生き物図鑑
『し』シヴァニーマッシュルーム

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『アルビアの民は、自然の摂理を重んじる快い人々だが、一つだけ不思議な所が有る。  それは、彼らが異様なまでに死を恐れている民族だという事だ。  いや、恐れているなんてもんじゃない、憎んでいると言ってもいいだろう。  誰だって死ぬのは怖いし嫌かもしれないが、憎悪を抱くなんて事が有るのだろうか。  家族や恋人を病気や事故で亡くせば、その原因を憎む事は有るだろう。しかしそれは死そのものを憎んでいるわけじゃない。  現に何人か大好きな人が死んだ俺でさえも、死を恨んじゃいない。恨んでいるとすれば原因だ。  俺の言いたい事が分かるだろうか。  彼らは死そのものを、敵のように憎んでいる。死という概念に殺意を持っている。  その一点に関しては、変わった人達だなと思った。  なぜそんなに死ぬ事を憎むのかと聞くと、村長のカーロイド・ニヴラさんはこう言った。 「死さえ無ければ、誰もこの世から居なくなる事なんてない。  つまり悲しむ事も怒る事もないではないか。  死が存在するから、我々は死の代わりに消えていかなければならない。  分かるかね、我々は死に殺され、死はその分生きているのだ」  俺にはそんな考え方はなかったので、少しばかり目が覚めた気がした。  もちろん、俺自身の価値観が変わったわけじゃないけど、カーロイドさんの言ってる事も分かった』 … 『アルビアには信じられない儀式が存在すると聞いた。  それはシヴァニーマッシュルームと呼ばれる菌を脳に宿す手術だ。  成人式のような催しが有って、それが済むと新成人全員が、頭頂部にシヴラと呼ばれる特別な刀で切れ目を入れて、シヴァニーマッシュルームを植えるのだという。  なぜそんな恐ろしい事をするのかと、カーロイドさんに詳しい説明を求めた。  俺は言ってから、しまったと思った。なぜかって、考えてみれば自分の国の儀式を「恐ろしい事」と言われるのは気分の良いものじゃないだろうから。  しかし彼は、他所の土地とは風習が異なるのだなと理解を示してくれて、俺の質問に答えてくれた。 「シヴァニーマッシュルームは、我々を死から守ってくれるのです。  彼らは私達に、死に奪われない命を与えてくれる。死が私達の身体から、命を抉り取ったとしてもです。  シヴァニーマッシュルームが心臓を動かし、血を巡らせ、考えさせ、そして動かせてくれる。  要するに、シヴァニーマッシュルームと一つになれば、命を死に奪い去られる事もなくずっと生きていられるのです」  俺は、彼が何を言っているのか分からなかった。  言うまでもないが、死なずにずっと生きていられる方法なんてこの世に有るはずがない。ましてや菌類を脳に植え付けるだなんて。  さては何か宗教的な意味合いの話をしているんだなと思ったので、失礼ながら調子を合わせて適当な返事をしていた。  しかし、それを見抜いたカーロイドさんは、呆れたような顔になって、 「ならば見せてあげようか?シヴァニーマッシュルームと生きている人々を」と言った。  俺はその言葉に好奇心が湧き上がり、是非お願いしますと言った。  明日はそのシヴァニーマッシュルームを宿した人に会わせてくれるそうだ』 … 『恐ろしい物を見た。  昨日書いた通り、俺はカーロイドさんに連れられて、シヴァニア(シヴァニーマッシュルームで不死を得た人々をこう呼ぶ)の暮らす村へ行った。    向かう道中、色々とカーロイドさんに質問をしたりしたけど、どうも上手く話が噛み合わない感じがした。  はっきり分かった事と言えば、俺達にとって死とは腹が減ったり眠くなったりするのと同じで、生きている以上回避できない自然的な現象の事だと思うのだが、彼らはまるで生き物のように意思を持って行動する存在として認識しているという事だ。  それも殺人鬼のように、大した意味もなく人の命を奪う恐ろしい敵として。    俺達でいう「死んだ」は、彼らにとっては「死という生き物に殺された」なのだと言えば分かりやすいかもしれない。  そんなわけだから、俺とカーロイドさんの話は通じている様でどこかすれ違っていた。  もっとも、カーロイドさんが他所の思想に対して理解が有る人だったから、感覚の違いを容認してくれていたのだろうけど。  もしもそうでなかったら、俺はどうなっていただろう。  とにかく、そうこうしている内にシヴァリアの土地に到着した。  そこはアルビアの村から数キロ離れた山のふもとに作られた村だったが、家屋や施設はアルビアよりも綺麗で驚いた。  アルビアではみんなが木や藁で作られた小屋に住んでいるが、シヴァリアの村は石で建てられた屋敷が有ったり、水路や寺院みたいな物も有った。  色とりどりのフルーツの木や、牛や豚の牧場まで有った。    なぜ長であるカーロイドさんが住んでいる村よりも、こちらの方が発展しているのかと聞くと、 「シヴァリアはシヴァニーマッシュルームに選ばれ、死に打ち勝った人々なのだ。  そんな彼らの知恵や勇気や力は我々よりも遥かに優れている。  ここはそんな彼らの都市なのだから、アルビアよりも栄えているのは当然なのだ」と、答えた。  しかし、一見華やかな村だが、とても静かで人の気配が少しもしなかった。  歩いている人も居ないし、牛や豚が鳴いている以外はどこもかしこもシンとしている。    何だか不気味だなと思いながら、黙ってカーロイドさんについて行った。  そして、シヴァリアの村長が住んでいるという家にやって来た。  カーロイドさんは何も言わずに家に入り、中で誰かと少しばかり話してから、俺を招き入れた。  そこで俺はシヴァリアの村長と対面したわけだが、見た瞬間、その姿があまりに恐ろしかったので腰が抜けそうになった。    彼は人間とはかけ離れた姿をしていた。    骨と皮だけになって干からびたような人間が、同じように干からびた人間を背負っている。  しかも二人は全く同じ顔なのだ。  どちらも皮膚は乾いた木のようなガサガサとした質感をしている。同じ異様な人間同士の二人羽織。よく見ると、背中の人間の喉から植物の茎のような器官が伸びていて、それが背負わされている人間の脳天と繋がっている。  それを見た時、背中の人間がシヴァニーマッシュルームと呼ばれる存在なのだと理解した。    俺は冷や汗が止まらず、ただ震えていた。  すると、背中の人間が口を開いた。 「ようこそいらっしゃいました。カーロイド村長から聞いていますよ、他の土地からのお客だそうですね。私がシヴァリアの長、ズーマです」  カーロイドさんの日本語も随分上手だが、ズーマと名乗るシヴァリアの日本語はそれ以上に見事だった。  俺はその流暢な言葉が余計に怖かった。一体、これは何なんだろう。失礼だとかそういった思いは、すっ飛んでしまって、ただ見た事もない生き物に出会った衝撃で頭が混乱してしまっていた。  カーロイドさんは、そんな俺の様子を見て、ズーマに状況を説明してくれた。  シヴァリアに初めて会ったので驚いたのだろう、と。ズーマも特に気分を害した様子もなく、ヒビだらけの顔を笑顔にして、頷いていた。本体?のミイラはピクリとも動かない。  茶色の木肌そのものの皮膚から、異様に白い目が光って見えた時、俺は思わず目を背けてしまった。  また、なぜあんな硬そうな皮膚が割れず滑らかに動くのか不思議でならなかった。  しばらくして、俺は落ち着きを取り戻し、改めて挨拶をした。  何を言って良いのか分からず、黙っていると、カーロイドさんが説明してくれた。   「命が死に奪われた後も、シヴァニーマッシュルームは生き続けるのだ。  意思や心は彼らが引き継ぎ、決して失われる事はない。  これで分かっただろう、私の言っていた事が」  要するに、こういう事だった。  背負っている人間が、シヴァニーマッシュルームを宿して、いつか死んだ人間。  背負われている人間は、シヴァニーマッシュルームが宿主から養分や記憶を貰い受けて成長した物。  シヴァニーマッシュルームは、喉から伸びた管で宿主の全てを吸収し、姿形まで完全にコピーして成長する。それも、性格まで同じになると言う。  それがカーロイドさんの言う、死なない人間の正体だった。  俺はそれまで漠然と捉えていた、アルビアの倫理観に身の毛のよだつ恐怖を覚えた。  俺にはズーマが、シヴァニーマッシュルームに身体を乗っ取られた哀れな老人にしか見えなかったが、彼らにとってはそうではない。 「記憶や嗜好まで、同じなのですか?」 「ハハハ、変な事を仰る。当たり前ではないですか、私なのですから」 「しかし、あなたを背負っているズーマさんは既に死んでいるのでしょう?」 「生きていると言えるでしょう」 「あなたとズーマさんは、同じでは無いのではないでしょうか」 「私は、同じだと思っていますがね。私はズーマです、ズーマの事なら何でも知っているし答えられる。それがズーマだという証ではないですか?」  姿や記憶や性格が同じなら、同じ生き物だと言えるのだろうか。  そういう存在が居れば、死んでいない事になるのだろうか。 「シヴァニーマッシュルームは、死なないのですか?」 「我々は死にやられる事はありません。シヴァニアは全てを受け取ると、裏の山の中腹に有る、胎と呼ばれる大きなシヴァニーマッシュルームの母体と同化します。命を失う事はなく、母体は我々の記憶やエネルギーを得て大きくなっていくのです」 「私達はその母体をシヴラで切り取り、頭に宿すのだ。  どうだね、アルビアに死が存在しない事が理解できただろう。  私達はそうして生きてきたのだ」 … 『昔、アルビアという地域に出かけた時に、寄生植物を使って分身を作る人々と出会った事がある。  彼らは死によってもたらされる悲しみや怒りを忌み嫌い、私の常識では考えられない方法を使って死を克服しようとしていた。  寄生植物と同化した人は、遺伝子を植物に奪われミイラのように枯れてしまう。植物は宿主と同じ姿になり、性格や記憶まで同じになるという。  彼らはそれを生の継続だと信じており、私も他所の思想をとやかく言うつもりもない。  正解だとか間違っているだとか、そこに住む人が勝手に決めれば良い事だ。    今になって、それにしては不自然だと思う事がいくつか有る。  死んでいないアルビアの人々は、なぜ寄生植物(生き続ける人々)と住む場所を分けていたのか。  なぜ自分達の村より豪華に飾り立てた村を作ってまで、寄生植物をそこに住まわせ閉じ込めているのか。  当時は分からなかったが、今は分かる。  彼らも、死ぬ事と同じぐらい、生き続ける事が怖かったのだ』      

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