今からXXX年前、かつて人間は少子化という問題に頭を悩ませていたという。 現代では聞き慣れない言葉だと思うので、本題に入る前にこれがどういう問題なのか解説しておこう。 少子化問題とは、何らかの理由で子どもが居なくなってしまい、大人になってからさせようと思っていた仕事や難事の始末をする者が居なくなってしまうという問題だ。 分かりやすく例えると、人間は若い頃は自分で仕事をしてお金を稼ぎご飯を食べる事ができる。ところが、多くの人は老齢になると身体や判断能力が衰えてしまい、仕事をするのが難しくなってしまう。 そうなった時、大人になった子どもに働いてもらって、そのお金でご飯を食べるのだが、肝心の子どもが居なければ大人など生まれるはずがない。 ではどうやってその時代の老人は生きていけば良いのだ、という事だ。 また、自分ではどうする事もできない問題を抱えてしまった時、大人になった子どもに解決してもらおうというケースもある。 自分でどうにもならない問題を作っておきながら後世の人にその処理を任せるというのは、誰がどう考えたって無責任だと思うはずなのだが、恐ろしい事に当時はそれが普通だったのだ。 実際、その頃の地球は問題だらけで、とても正気でやっているとは思えない有様だった。 不完全な核燃料を地面に埋めたり海に沈めたりしていたし、温暖化対策だと言いながらガソリン車を走らせたり、森を燃やしたり、戦争をしたりして遊んでいた。 当時の大人達も少々やり過ぎかなとは頭の片隅で思っていたので、地球の環境を壊すのは止めようと子ども達に教えていた。 なので、いつか大人になった子ども達がそれを信じて何とかするだろうと期待し、そうした遊びを止めなかったという。 ちなみに、子どもというのは大人のマネをしながら大人になっていく生き物なので、いくら学校やメディアでそういう事を教え込んでも結局はマネが優先されてしまい、問題を解決する大人に育てる効果は薄かったといわれている。 話が逸れてしまったが、なぜ少子化が起こったのか解説していこう。 それは今では当たり前となっている、自然動物最大数の法則を当時は誰も知らなかったからだ。 大昔、人間は戦争ばかりして遊んでいたので、大人が一気に減った。子どもはあまり戦争には参加させなかった。 これがなぜかはハッキリと分かっていないのだが、恐らく子どもを戦争で死なせてしまうと、大人にして働かせる事ができなくなってしまうからだろう。 仮に生き残ったとしても、あまり若い内から戦争ばかりしていると、将来は戦争しか能の無いまるで役立たずの大人になってしまう。 それはまずいという事で、子どもは家に居させる事にしたのだと思われる。 時代は流れ、戦争ブームが落ち着いた後、今度は子どもを作るのがブームになった。 そんな事をして何が面白いのかと首を傾げてしまうような物が続けて流行しているが、嗜好流行の歴史とはそういう物なのだ。その時代の人にしか分からない面白さがいつの時代にも有る。 そういうわけで、戦争で減った空白に子どもが大量に増えた。 自然動物最大数の法則では当たり前の事だが、数に上限は有るが内訳はいくらでも変動する。子どもが7割の年寄りや大人が3割ぐらいの割合で、とうとう最大数の容量は一杯になってしまった。 年月が流れて、やがて大人が老人に、子どもが大人になった。 その時代は大人が沢山居たので、必然的に働く人が沢山居た。なのでご飯にも困らなかったし、暇な時間も有ったので、その暇な時間に大人達は問題を作って遊んだ。 様々な実験によって生み出した化学物質を海や空気に混ぜる、放射線を撒く、森や山を潰す等、これまで以上に難しい問題を熱心に作ったと言われている。 作った問題はどうするのかというと、これだけ大人が沢山いるのだから解決できるだろうと考えていた。 しかし、こうした問題というのは作るのは割と簡単だが解決するのはとても難しいので、沢山の大人が解決しようとしても結局できなかった。 ならば、自分達も老人達が大人だった時にしたのと同じように、子どもを作って、それを大人に育てて解決させれば良いと思った。 しかし、自然動物最大数の法則からそれはできなかった。 普通ならどんどん減っていくはずの老人達がなかなか減らなくなっていたのだ。 なぜなら、戦争をしていない上に大人が多く居るので、老人は無理な労働をしなくてもご飯を食べたり、暇な時間を使っていくらでも病院に行ったりできる。 無理をしなければ長生きできる、これはどんな生き物でも当然の事だ。 なので、最大数の空き容量が無いこの時代では子どもを作る事がなかなかできなかった。できないというよりかは法則が働き、頭では子どもが必要だと思いながらも、作ろうとする事ができないのだ。 つまりどうなるのかというと、老人が6割ほどを占め、残りの4割が大人と子どもという状態になった。 当時は自然動物最大数の法則が立証されていなかったので、なぜ子どもが増えないのか分からず大人達は悩んだ。 このままでは老人と子どもを食べさせながら必死になって延々と働かなければならない上、老人になった時に楽をしたり、暇を使って病院に行って長生きをする事もできなくなるのでは、と。 大人達の不満を他所に、老人はますます長生きになり減らなくなっていた。 やっと空きができて子どもが作れるという頃には、大人のほとんどは老人の一歩手前になっていた。 当たり前の事だが、子どもを作れない間に大人は老人になっていくので、もたもたしていると子どもだけでなく大人も減っていくのだ。 このままでは老人が減ったとて、働いたり子どもを作ったり問題を解決する者は居なくなってしまう。 大人達は、早急に子どもを大人にする必要が有ると考え、大人を作るための必須工程を簡略化すると共に、とにかく早く多く大人を作る為に、大人と認められる基準も下げる事にした。 これがどういう事なのかというと、当時大人とは単に年齢が一定に達したからなれるという物ではなくて、経験に基づく人格や技量や気質や風格でそうかそうでないかを判断されていたのだ。 もちろん、年齢が一定に達すれば社会的には一応大人と呼ばれるのだが、その人の扱い方というか世間の認識では大人でない事になっていた。 よく分からないかもしれないが、要するに大人の年齢になっていても、まだ中身は大人になれていないから、そういう人はもう少し子どもとして扱った方が良い、という風潮が有ったと思ってくれれば良い。 しかし、何をおいても大人と子どもを同時に確保しなければいけないので、大人と呼ぶには何かが足りないと判断されていた人も大人とする事にした。 子どもは、本気で大人扱いすれば自分は大人なんだと思う生き物なので、この試みは簡単に成功した。 自分は何もかもできる大人になったのだと信じ、大人と同じように子どもを作ったりするようになった。 つまり、子どもを大人と呼ぶ事にして誕生した『子ども大人』にも、子どもを作らせるという革新的な方法を取ったのだ。 これなら成長を待たなくても大人を増やせるし、子どもが居なくなるという事態もほぼ無くなると考えられていた。 一見、大人と子どもの確保は同時に成功したかのように思えるが、実際はそうではなかった。 子どもは本当の大人でなければ育てられない生き物だという事を、この時代の人間は知っているようで知らなかったのだ。 『子ども大人』達は、いくら自分を大人だと思った所で本当は子どもだ。 大人のマネをして子どもを育てようと試みるものの、子どもに子どもは育てられないので、無理だと分かると育てる以外の目的で子どもを扱うようになった。 具体的な例を挙げると、見せびらかす・他の子どもと競わせて楽しむ等だ。 そして、それに飽きると今度は、水中に沈める・蒸し焼きにする・殴り殺す・餓死させる等の方法で処分するようになった。 まことに信じ難い所業だが、これにはこうなった理由が有る。 子どもは大人のように、子どもを大人に育てて有効に使おうなどとは考えないからだ。 『子ども大人』にとって子どもは、どちらかと言えば気まぐれで捕まえた昆虫や玩具に近い存在なので、飽きれば棄てたり処分したりするのは当然といえば当然と言える。 こうなる事を予想していなかった大人達は『子ども大人』を子どもに戻して、これまで通りの手順で大人に育て、それから子どもを作らせようとしたが、それはできなかった。 なぜかというと、人間は一度でも大人になってしまうと、どんな方法を使っても子どもには戻れない生き物だからだ。 それはたとえ『大人子ども』であっても例外ではない。自分を大人だと認識した以上、子どもに戻して育て直すという事はできない。 少子化を解決するどころか、更なる問題の一つになってしまったが、そんな『子ども大人』を作ったのも大人達なのだ。 子どもが子どもを作って殺すという、生物的非生産の地獄絵図を極めている隙に、戦争ブーム期〜子どもブーム期に大人達がしこたま拵えた問題がいよいよ火を吹き始める時期も訪れようとしていた。 ハッキリ言ってこの頃になると、ある意味では大人が戦争に夢中になっていた頃より酷い有様だったのだ。 原子炉がとろけ出し、山は禿げ、海や空気は汚れ、動物は減り、『子ども大人』が増え、原爆やミサイルを作って出来栄えを競うのが流行していた。 これらの問題は難易度が極めて高く、本当に人間の力で解決できるのか怪しいシロモノばかりだった。 かつて大人だった老人なら、その状態の危険さは分かったのかもしれないが、後は死ぬだけの自分達にとってそれはどうでも良い事なので、関与せずに死んでいった。 膨大な数の問題を抱えながら、それを今どうにかする者も、いつかどうにかする者も居ない。 これが、少子化問題だ。以上で解説は終わりとなる。 さて、ここからが本題だが、そんな少子化問題に終止符を打ったのが、今では当たり前に地球の住人となっている我々サリファなのだ。 私達の祖先は作り過ぎた問題によって消えそうになっている人間を見かねて、救いの手を差し伸べた。 サリファは先ほど話したような酷い状態の地球でも元気に活動できる身体と、人間にとっては異常な難易度の問題をも簡単に解決できる能力や化学を持っていた。 弱い人間に、我々の祖先は力を貸し、知恵を与えてあげた。 人間の代わりに子どもや動物や植物を産んでやり、人間の代わりに大人に育て問題を解決させた。 正しく育てられた人間達は恩を感じたのか、間違える事もなく正しい方法で働き、サリファにご飯を食べさせてくれた。 サリファは何もできない老人をいつまでも残しておいたりせず、ご飯として利用した。 これによって大人と子どもの数は常に最適数を維持でき、誰も無理をしなくて良い世界になった。 不要な物は減らし、必要な物を増やすという当たり前の事を人間に教えた事で、地球はサリファの楽園となった。 そこにかつての荒れ果てた姿は何処にも無い。 以上で、サリファによる人間救済の歴史解説は終わりだ。
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