一面、毛細血管のような模様がびっしりと刻まれていて、赤く発光していました。この部屋の紅色の灯りは、その模様が発する光だったのです。 砂二郎はとうとう気味が悪くなってきました。 一体何で出来ているのか調べてみようと思い、改めて地面に触れてみました。すると、さっきまでの湿っぽいような感じとは違っていて、もうハッキリと湿っていたのです。 しかも、手が沈み込むほど柔らかく、生温かい。砂二郎は驚いて、思わず手を引っ込めてしまいました。抜いた手には得体の知れない粘液が糸を引いていて、地面の窪みと繋がっていました。 自分の手と、自然と塞がっていく地面の窪みを交互に見、砂二郎はゾッとしました。 『どうなっているんだ、この部屋は』 砂二郎は恐ろしくなり、来た道を戻ろうと振り返りました。 しかし、穴はいつの間にか肉塊のような物で埋まっていました。閉じ込められてしまったのです。 砂二郎は恐怖のあまり、がたがたと震え、涙を浮かべました。 そして獣助や飯郎がどうなったのか、心配でたまらなくなりました。二人も謎の空間に閉じ込められているのかと思うと、気が気ではありません。 何とか出口を見つけてやろうと、勇気を出して部屋を調査する事にしました。 すると、部屋の隅から女が現れました。さっきまでは居なかったはずなのですが、いつの間にかそこに居たのです。 砂二郎は驚いて、ワッと声をあげ、尻餅をついてしまいました。 それもそのはず。恐怖で混乱している状態で、居ないはずの場所にいきなり人間が現れれば、誰だって腰を抜かしてしまうでしょう。 オロオロする砂二郎に、女はそっと近付いて来て話しかけました。そして、甘い香りのする手を差し出してくれたのです。 『あらあら、そんなに怖がらないで。心配しなくても大丈夫。ここの造りを見れば最初はみんな驚きますけど、何も怖い事なんて無いんですよ』 女は、シルクの織物が肌をなぞっていくような優しい声でそう言いました。 そして、砂二郎の手を引いて起こしてあげました。 砂二郎は女の目を見て驚きました。透き通った紫色の瞳をしていたからです。 その瞳を見ていると、恐怖も驚きもどこかへ消えてしまうのでした。 『どうしたの?そんなに私の顔がおかしいかしら?』 『い、いいえ…』 『うふふ。ここは少し変わった造りをしているから、みんな驚いてしまうのです。でも、安心して下さい。ここがこんなに濡れているのには理由が有るのですよ。そう、あえてある種類の油を部屋中に染み込ませてあるのです。この油はとても良い物で、身体にも良いし気分も良くなるのですよ』 女は床に座り、手を一度ゆっくりと地面に埋めてから引き抜きました。すると、ジュボッという湿っぽい音と共にネトネトした油がたっぷりと糸を引いていました。 そしてその手を握ったり開いたりして、油の粘りや泡立つ様を砂二郎に見せるのです。 砂二郎はなぜか、ンクッと生唾を飲み込んでしまいました。女が、凍り付くような色気の有る視線を砂二郎に向けていたからです。 『そ、そうなのですか。安心しました。いや、まるで生き物の体内のような造りだなと、少し怯えていたのです。私はこうした部屋がこの世に有る事を知らなかったものですから』 『初めは、みんなそうでしょうね。初めての事は誰でも怖いものですから。でも、もう怖くないでしょう?さぁ、ゆっくり休んで下さい。ここは温かいですし、床も柔らかいから、布団を敷かなくても良く眠れますよ』 女はそう言うと、砂二郎を押し倒し、抱きしめました。 そして、砂二郎は女の言われるがままに眠りました。それはそれは天にも昇る夢見心地で眠ったのです。 … 一方その頃、飯郎はあちこちに物騒な設備が設けられた暗い部屋に居ました。 無数の針が天井に向いて生えているまな板や、四肢を拘束する鎖もありました。 それに、背中が鋭角に研ぎ澄まされている鉄のラクダや、焼きを入れる鉄棒、豚の臓物を搾り出す巨大な歯車なども有りました。 さらに、刀・鮫刃・棍棒・鞭・裂拳といった凶器の類はもちろん、ペンチ・尖った針金・金槌・鎹・ギザギザしたスプーン・割れたガラス瓶・目の荒いヤスリ・万力などの、使い方によっては強烈な苦痛を与えられるであろう工具も置いてありました。 これら全てに血なのか錆なのか判別できない赤黒いシミまでついているのです。 飯郎は鉄の臭いのする冷たい空気の中で、それらの物を見て怯えていました。 自分がこれから、何者かにこの品々を用いて暴力を加えられるのかと想像していたのです。 しばらくすると、役人のような男がボロボロの麻袋に入れられた女を連れてやってきました。 女は袋から顔だけを出されており、幼い顔立ちながらかなりの美人でした。 飯郎は訳がわからないので、とにかく今分からない事を全て役人に質問しました。 すると、役人はその質問に全て分かりやすく答えてくれました。 役人が言う、今現在の状況はこういう事でした。 『この女は、とある村で理由もなく男衆を何人も騙し殺して遊んでいた凶悪な者なので、これから相応の罰を与えなければならない。 しかし、この村の掟で男が女を傷付ける事は許されていない。また、女が女を傷付ける事も良しとしない。 なので、他の村の者にその役目を担ってもらいたいのだが、やってもらえないだろうか。 もし断れば、そこの刀でお前の首を斬る。 なぜなら、この村では男が男を始末する事は公然と認められているからだ』 飯郎はこれを聞いて、絶句してしまいました。 かつて聞いたどんな話よりも理不尽だと思ったからです。 飯郎はどう考えても納得できず、なぜ自分がそんな事をしなければならないのか、言い方を変えて役人に何度も質問しました。 しかし役人は何も答えずに、女を麻袋から放り出しました。 あらわになった女の身体を見て、飯郎は仰天しました。 女は人間ではなかったのです。上半身は色白の美しい娘でしたが、下半身はカマキリのような昆虫の形をしていました。 しかし、狭い袋に詰め込まれたからか、そのお腹や羽根や脚はクシャクシャに潰れていました。黄色い血まで滲んでいたのです。 『明日の朝、またやってくる。それまでに済ませていなければ、首を斬るので』 役人はそう言って、煙のように消えてしまいました。 あまりに異常な状況に、飯郎は茫然自失の状態で、しばらく立ちすくんでいました。 すると、女が苦しそうに起き上がり、泣きながら言いました。 『お願いです、殺さないで下さい。私は誰も騙したり殺したりしていません、全て嘘なんです。私が化物だから、なんとか理由を付けて殺そうとしているだけなんです。お願いだから助けて下さい』 女の訴えは心に響くものがあり、とても嘘を言っているとは思えませんでした。 さらに女が言いました。 『それに、私のお腹には卵も有るんです。そう、人間で言うと妊娠していると言うのですね。私が死ねば、赤ちゃんも死んでしまいます。どうかお願いします、この通りです』 女は潰れかけたお腹をいたわるようにさすり、地面に頭を付けて悲願しました。 本当に命懸けで飯郎に助けを求めているのです。 飯郎はジッとその様子を見ていましたが、その内に妙な気分になりました。 もちろん、飯郎はこの女を助けてやりたいと思っているのですが、同時にこの女にあの道具を使ったら、自分はどうなるんだろうという好奇心も有ったのです。 しかも、その好奇心は一度確信すると止めどなく湧き上がり、もはや興奮と呼べる感情になったのです。 飯郎はその興奮をしっかりと捕まえて、何度か息を吐きました。 すると、頭の中が真っ赤になり、身体の中を熱い何かが駆け巡りました。 さっきまでの重苦しい感覚が消え失せ、とても充実した気分になったのです。 そうなると、もう飯郎は別の人間になったも同然です。 何も怖くないし、何も分からなくなくなりました。 早速、飯郎は部屋に有った道具や設備を一通り使用し、女に徹底的な罰を与えました。 そして、どれでどのようにするのが良いのか、実践の中で自分なりに効率の良い手法を編み出していったのです。 そのうち、女は最初こそ冤罪だと叫んでいましたが、終いには『私がやりました』と、言うに至ったのです。 その自白が本当に本当なのかどうなのかは分からないのですが、飯郎はその言葉に大変な喜びを感じていました。 そうした事がしばらく続き、とうとう女は動かなくなりました。 最後に飯郎は豚の臓器を出す歯車で、女の卵を搾り出す事にしました。 飯郎は歯車の重いハンドルをギィギィと、ひとり汗びっしょりになりながら回しました。 そして『これは口が聞ける内にやっておくべきだったな』と、少しだけ後悔しました。 … 獣助は狼狽えていました。 穴を滑り落ちて辿り着いた場所は、何もかもが巨大な、途轍もなく広い部屋だったのです。 天井は空のように高く、箪笥やちゃぶ台も家のように大きく、獣助はまるで自分が子犬のように小さくなってしまったのかと錯覚していました。 自分が小さいのか部屋が大きいのか分からない獣助は、部屋をウロウロしながら大きな家具を観察していました。 どれもこれも規格外の大きさで、山という山の木を全て使ってもこんな物は作れないだろうと獣助は思いました。 ましてや、座椅子や床板等は削り出しで作られているので、これを作ろうと思えば海程の大きさの大木が必要になるのです。 こうした普通では有り得ない品物の存在で、獣助は『自分が小さくなった』と思い込むのでした。 小さくなってしまったと信じ込み絶望していると、大きなドアが開いて巨人が入って来ました。 部屋の大きさに見合うぐらいの、女の巨人でした。 巨人は獣助を見つけるやいなや、満面の笑みを浮かべ、とても嬉しそうにこう言いました。 『やっと私の所にも来たんだ』 巨人はキャッキャとはしゃぎながらドスンドスンと獣助に駆け寄りました。 獣助は怯えて逃げましたが、自分より何倍も大きな巨人から逃げられるはずもなく、あっという間に捕まり、抱き上げられてしまいました。 獣助はかつてない恐怖にブルブルと震え、声を出す事すらできず、思考も停止していました。 ただただ、怖いという気持ちが無限に湧き上がるばかりです。 そんな獣助の状態が分からないのか、巨人は獣助を赤ん坊のように抱いて、よしよしよしよしと言いながら上下に揺さぶるのです。 あやしているつもりなのかもしれませんが、そんな勢いで上下に揺さぶられて平気な人はいません。 獣助は激しい脳震盪を起こし、首が鞭を打ち、目が回り、嘔吐しそうになり、やがて意識を失いました。 どれぐらい時間が経ったのか、獣助は首輪を嵌められて部屋の隅に取り付けられた籠の中で目を覚ましました。 獣助が目を覚ましたのを見てとると、巨人は申し訳なさそうな顔で籠から獣助を抱き上げました。 そして、今度はとても優しく、柔らかく獣助を扱うのです。 『ごめんね、ごめんね。大丈夫、大丈夫』 穏やかな夕暮れみたいな声で巨人は言いました。 どうする事もできない獣助は、黙ってその声を聞いて、巨人の大きく柔らかな胸に抱かれていました。 次第に、恐怖で引き千切れそうになっていた心臓が平静を取り戻し、不思議な事に今度は幸福な気持ちがやってきたのです。 まるで雲に浮いている心地で、いつまでも巨人に抱かれていました。 獣助はいつの間にか、巨人の甘い菓子のような匂いや、お城のような顔も、好きになっていました。 巨人の巨大な優しさに守られている内に、女の持つ力や大きさを知りました。 そして、女を利用しようなどと考えていた自分に気が付き、そんな事はもうやめようと思い眠りました。 … とうとう鰯村から男が居なくなりました。 男が居なくなって、しばらく経ったある日、西の方からたくさんの綺麗な女が鰯村にやって来ました。 何事だと怯える鰯村の人々に、女達のリーダーは名をすめふらふと名乗りました。 そして、こう言いました。 『心配しなくて良い、事情は全て分かっている。男が居なくなったこの村を立て直し、女性の村を作ろう。その為の知識や手法といった生きていく知恵は何もかも私が教える』 男が居なくなって不安になっていた鰯村の女達は、すめふらふを救世主だと思いました。 凛々しく、賢く、美しいすめふらふに憧れるようにもなりました。 すめふらふを中心とした女達の働きによって、鰯村はあっという間に美しく発展した都になりました。 鰯村の人々は毎日が充実していました。 つらい畑仕事や子どもの世話などしなくて良いし、何より食うに困ったり汚い身なりをせずに働ける事が本当に幸福でした。 鰯村の女達は、 『男というのは本当に馬鹿な生き物だった。稼ぐのも下手で、知性も品も無く、暇があれば女の事ばかり考えていた』 と、嘲笑うようになりました。
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