僕らは風に吹かれて
春に鳴る音 -8(1)

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 ポケットに入っているスマホが振動しても、外にいたら気づかないことが多い。だけど今回は偶然気づいてしまった。見てしまったらもう、無視はしづらい。  スマホの画面に表示される、緑の丸と赤の丸。「YES」か「NO」かの選択肢を提示され、瞬時にどちらかの答えを出すよう迫られる。苦手だ。 「……もしもし」 「またバンド始めたって?」  いつも本題から入る、母の話し方だ。僕のインスタグラムを見ているから、それで知ったのだろう。 「うん。才能ある友達に誘われたんだ。インスタのおかげで」 「へぇ、すごいね。そのバンドは、プロになってCD出すの?」 「……そうなればいいと思ってるよ」 「暮らしていけてるの?」  母は僕の話を、ほとんど聞かない。いつもそうで、会話のキャッチボールがうまくいかない。特にこんな耳元から声が聞こえるだけの状況では、表情が見えないから余計に意図がわかりにくい。 「大丈夫だよ」 「そんなこと言って。また前みたいに……」  そこまで言いかけて、母は言葉を切った。 「僕はもう、大丈夫だよ。ありがとう」  心配される。その優しさが、嫌だった。どうせなら父のように、僕に無関心でいてくれたらよかったのに。  母は僕に甘かった。ひとりっ子で、お金もなまじあったからか、僕が欲しいものは大抵買ってくれた。夫の両親が建てた家に住み、専業主婦。お金の感覚も鈍かったのかもしれない。  母は僕が進む道を否定することはなかった。だけど「否定しないこと」は、イコール「応援すること」ではなかった。僕がしている仕事を理解しようともしないし、多分、僕が何も考えずに好き勝手に生きていると思っている。 「湊が元気でやっていけてるならいいけど。また、何か新しいことがあったら教えてね」  電話が終わってから、僕は立ち止まったままスマホを眺める。心を落ち着かせるように、SNSで履歴から検索する。バンド名、自分の名前。  母が思っているよりも、ずっと早く時代は動いている。僕らの親世代には一生わからないことだろう。彼らは置いていかれてもいいと思っているからだ。変化についていけなくても許されると思っている。ある意味、逃げ切った世代なのだ。  だけど、僕らは違う。瞬きの間に、世界は変わっていく。それに合わせていけないと振り落とされてしまう。そして僕は今、その時代の流れに乗っている。  金土日の三日。たった三日なのに、ノベルコードのライブを観にくる人は日に日に増えていった。たくさんの人に撮られた僕らのライブ映像は、一気にSNSで拡散された。YouTubeにもアップされ、そこでも急激に再生回数が増えていく。ノベルコードのツイッターのフォロワー数は毎日増えていった。そして、僕のインスタグラムのアカウントも。  いわゆる、バズったというやつだった。  多分、ノベルコードの情報量の少なさが功を奏したのだと思う。現代の人は検索すれば、簡単に情報を得られることに慣れている。そんな時代に、僕らはまだオフィシャルサイトも、オフィシャルMVもない。だから、みんな自分で情報を探そうとする。すると、一般の人がアップしたライブ映像をいくつも観ることになる。その歌を聴いて、ますますこの人たちは誰だろうとなる。  カットされ磨き上げられた宝石が並ぶ店に、採れたての砂までついた原石が置かれているようなものだ。よくわからないから、目を引く。これがどんな宝石になっていくのか、知りたくなる。  へぇ、ベースの人、インスタでも有名なんだ。  たくさんの人がノベルコードや僕のことを話題にしているのを見ながら、息を整える。大丈夫、僕は今、誰かに必要とされている。  榊原さんはレジの横で、新しく入荷した商品にタグをつけていた。ちょうど僕が接客した客が帰ると、店内は二人になった。 「バンド、いい感じらしいな」  榊原さんは、タグをつけたシャツをハンガーにかけながら言った。 「え、なんで知ってるんですか?」 「昨日な、高校生くらいの女の子が来てたぞ」 「女の子?」 「ノベルコードの湊さんここで働いてますか、って。すげえな。ファンだぞ。考えられねぇ」  僕は驚いた。確かにインスタグラムを遡れば、僕がこの店で働いていることなんてすぐにわかるだろう。だけど、これまで若い女の子がわざわざ会いに来たことなどなかった。 「なんて言ったんですか?」 「働いてるよって言っといた。嘘つくのもおかしいしな。湊もそろそろ、ここでバイトしてられなくなるかもな」  少ない表情から、榊原さんの気持ちを読み取るのは難しい。だけどその言葉は少し寂しそうに、同時に誇らしそうに響いた。ファンの人が増えると、実際ここで働くのは難しくなってくるだろう。自分の居場所が一つ減ってしまうような気がして、なんだか急に寂しい気持ちになった。  この場所。この古着屋で、僕は榊原さんから自信を持って生きていく力をもらったから。 「でも昨日来てた子、ちゃんと服買ってったんだよ。いい宣伝になるよ。これからもよろしくな」 「……よかったです」  榊原さんは、本当は僕をもっと利用して、店の宣伝をすることもできるはずだ。でも、そんなことはしない。そんなことをするのは、格好悪いと思っているから。  世の中には、成功するために平気で格好悪くなれる人と、それを恥ずかしいことだと思える人がいる。榊原さんは後者だから、僕は尊敬できて一緒にいられるのだと思う。  一方で、例えば蓮の彼女は、簡単に格好悪くなれるタイプだ。彼女のツイッターには自撮りの他に、仕事で一緒になったモデルや芸能人との写真ばかりがあげられている。他の人を使って、自分の価値を高めようとしているのがよくわかる。最近では「バズるってこういうことを言うのかなぁ」と、匂わせツイートまでしていた。いつかノベルコードが有名になった時、自分から週刊誌に売ったりしそうで、正直怖い。 「バンド、いつメジャーデビューするんだよ」  榊原さんが尋ねる。 「まだ予定はないですよ。メジャーデビューするまでは働かせてくださいよ」 「それは助かるよ。週末、意外とお客さん多いからな」  バイトくらい募集すればいくらでもいるはずだ。なのに、僕を大切だと思ってくれているのが嬉しかった。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません