僕らは風に吹かれて
春に鳴る音 -2(1)

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「運命共同体って、いい言葉ね」  その週末の日曜日、茉由まゆは僕の話を聞いてそう言った。  新宿御苑は老若男女問わずたくさんの人が往来していた。入り口の門を入ると、すぐ向こうに満開の桜が並んでいるのが見える。今の季節はもっとも混雑する時期なのかもしれない。  新宿御苑には三つの入り口があるらしく、僕と茉由は新宿門と呼ばれる入り口から入った。 「バンドってそういうものらしいよ。みんなで進んでいくわけだから」  茉由の言葉に、僕は少し他人事のような返事をした。歩きながら、茉由にこの前蓮と会ってきたことを話したのだ。これまで蓮の話なんてしたことがなかったから、彼のバンドの説明からしなければならなかった。  新宿御苑の入り口付近の砂は細かくて、風が吹けば舞い上がって砂煙が立つ。水を撒いたらいいのに、と茉由は手で砂を払いながら言った。春の風はまだ冷たくて、彼女はカーディガンのボタンをしっかりとめていた。 「で、返事はしたの?」 「うん。やるって伝えた」  一日考えて、僕は蓮にラインで一緒にやると伝えた。軽い気持ちに取られるのは嫌だったから「覚悟ができた」という言葉を添えた。蓮は僕の返事に喜んでくれて「絶対売れるからな!」という言葉と、熊のキャラクターが闘志で燃えているスタンプを送ってきた。蓮が喜んでくれるなら、なぜか僕も嬉しいような気持ちになった。 「ノベルコードさ、今業界の人たちの間でも噂になってるんだよ。歌がめちゃくちゃうまくて」 「そうなんだぁ。すごいね」  彼のバンドの人気を話すと、茉由は大袈裟に目と口を丸くして驚いた。  茉由はこの前買ったばかりの水色のキャップをかぶっていた。その下に並んだ茶色いガラス玉のような瞳は、深い湖のように底が見えない。だからこそ、なぜかずっと覗いていたくなるような魅力がある。僕は時折その奥に、こちらが決して掬い取れない彼女の思考が沈殿しているのを感じることがあった。だけど一方で、口や頬といった顔の他の部分は柔軟に動き、素直に感情を表現してくれる。機嫌の善し悪しは表に出やすいタイプだ。 「そう思うと、バンドって本当に特殊ね。恋人同士に、運命共同体って言葉は似合わなくない?」 「確かに。恋人同士よりも、ある意味深い」 「それは、嫉妬したほうがいいのかな」 「しなくていいよ」  僕の言葉に茉由は笑った。笑うと、歯並びのいい小さな白い歯が見える。  道をしばらく歩いていくと、ビニールシートを敷いて花見をしているグループもいた。大人の入場料は五百円。これだけ見事な桜を見られるのだから、席代だと思えば安いものかもしれない。 「でも良かったね。湊、音楽したがってたから」 「そうだね」 「前やってたバンドより、ずっと良さそうなんでしょ?」 「うん。ずっと」 「あ、あそこよくない?」  地面の近くまで枝が伸びてる桜の木を見つけて、茉由は駆け寄った。僕は使い慣れた古いコンデジをリュックから取り出す。僕がファインダーを覗くと、茉由は桜の枝に顔を近づけて、いつもの表情をこちらに向ける。彼女は写真に写る時は、正面からじゃなくて顔を横に向ける。自分で横顔のほうが綺麗に写るということを知っているからだ。着ている白のロングシャツとベージュのカーディガンが、薄ピンクの桜の花に映えている。よく洗われたゆるいデニムと、少し汚れたコンバースの靴のバランスもいい。後ろで一つに束ねた黒い髪が、キャップの隙間から飛び出していた。  何枚か連続して撮っていると、同じ目的のカップルや女性のグループが、遠巻きに僕らのことを見ていた。ここで写真を撮りたいのだろう。  だけど、まだ僕らはやることがある。というか、ここからが仕事だ。  コンデジとリュックを茉由に渡して、今度は僕が桜の前に立つ。 「いつもの構図でいい?」 「うん、お願い」  僕は着ている白のスウィングトップのポケットに手を入れ、斜めを向いてポーズをする。インナーのマスタード色のラグランがよく見えるように、少し前を開いてみた。  何枚か写真を撮り終えたら、二人で確認する。 「うん、良さそう。ありがとう」 「私のもいいのあったら送って」 「わかった」 「もう、今日インスタにあげるの?」 「できればそうする。あと、ストーリーにあげる動画も撮っておこうかな」 「うん」  これが仕事。誰もそうは思わないかもしれない。だけど僕の仕事は、SNSに服のコーディネートの写真をあげることだ。それでブランドや企業から報酬をもらっている。いわゆる、インスタグラマーと呼ばれる仕事になる。今日は春服の宣伝の依頼だったので、こうして桜が咲いている場所にやってきた。  僕らはさらに奥まで歩いていく。初めて来た新宿御苑は想像以上に広かった。満開の桜スポットがいくつもある。 「ひょっとしたら、大ヒットするかもね」 「何が?」 「その、バンド。なんだっけ」 「ノベルコード」 「そう。だってボーカルの蓮くん、すごいんでしょ?」 「ほんと、可能性ある」 「でも、湊も十分すごいと思うよ。それもあって蓮くんは誘ってきたんでしょ」 「そうだと思うけど」 「なかなかいないんじゃない? インスタグラマーで、バンドマンになるなんて」 「インスタやってるバンドマンなんて山ほどいるでしょ」 「わけが違うよ。フォロワーの数が全然違う」  フォロワーの数。結局そういうことが大事なのだ。ただの数字だけど、それが全てだった。 「誰にだってできることじゃないよ。湊は、今の時代にあってる」  そう。この時代にあわせられている。だから蓮は僕を誘ったのだ。ベースを弾けるということはもちろんあるけど、それ以上に、僕みたいなやつが自分のバンドに入ったら面白いと思ってくれたのだろう。 「私、湊がステージでベース弾いてるの見たことないんだよね」 「もうすぐ見られるんじゃない?」 「楽しみ。でも、どんな感じなんだろう。想像したら、なんかかわいいね」  茉由は僕のことをよく「かわいい」と表現する。彼女は、ふふ、と口元で堪えるように笑った。なんだか似合わないことをしてる、と言われたような気持ちになって、僕は少し黙る。 「あ、あそこも桜綺麗。今日来れて良かったなぁ。きっと来週には散ってるだろうから」  茉由は僕が黙ったことも気にしない様子で、池の向こうの桜を見て言った。  今日は卒業式があったのだろうか。袴を着た学生たちが、桜の木の下で記念撮影をしているところだった。  僕はふと、自分が学生だった頃のことを思い出した。

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