僕らは風に吹かれて
春に鳴る音 -1

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 新宿駅近くの甲州街道沿いにあるカフェは、平日の昼間からほとんどの席が埋まっていた。会話に興じる女性たち、パソコンのキーボードを叩くスーツを着た男性、スマホでゲームをしている学生のグループ。同じ空間にこれだけの人がいるのに、僕はここにいる誰の人生とも関わりがない。この先関わることも、多分ない。  向かい合ったソファに座って、僕は人を待っていた。ぼんやり眺めていたスマホから顔を上げると、店の入り口に蓮が立っていた。店内に視線を泳がせている。僕が手をあげると彼はすぐに気がついて、まっすぐこちらへ歩いてきた。 「みなと、ごめんな急に」  彼はそう言いながら、目の前の深緑のソファに座った。耳が少し見えるくらいに短く切った髪はゆるいクセがかかっていて、そのままヘアカタログに載ってもおかしくないような雰囲気がある。両耳に、シルバーのフープ型のピアスが付いていた。 「全然いいよ。暇だったし」  言いながら、僕は自分の髪型が変じゃないか、こっそりスマホの画面を見て確認する。 「よかった、会って話したいことがあってさ。ってか結構久しぶりだな」 「そうだね。あの時ライブハウスで会ったきりかな」  れんと会うのは二年ぶりだった。昨日突然連絡が来てからの、今日。だから僕は少し緊張していた。言葉を交わした印象は、あの頃とあまり変わらない。なのに、今の彼はどこか芸能人のようなオーラを纏っているように見える。環境は人を変える。いや、見る人の目が変わるだけなのかもしれない。 「でも蓮のツイッター見てるから、そんなに久しぶりって感じしないけど」 「あぁ、俺もインスタ見てるから同じ感じかも」  そう言って蓮は頬をあげた。蒼味がかった肌は滑らかで、きちんと手入れをしていることがわかる。少なくとも同い年、二十四歳には見えない。小さな顔には嫌味なほど高い鼻と薄い唇が適切な位置に配置されていた。整いすぎた顔は冷たい印象を与えるかもしれないが、彼の大きくて丸い目は、そこにちょうどいい具合の愛嬌を加えている。かわいいにも、かっこいいにもなる顔だ。 「相変わらず、湊はおしゃれだよね。それ、店で買ったの?」  蓮は急に、僕の着ているオリーブ色のトレーナー・シャツを指差して言った。 「ああ、うん。ありがと」  春になって暖かくなってきた今の季節にも着られる薄手のもので、先週買ったばかりだった。不意に褒められてどう返事していいのかわからず、僕は意図せずクールな返事をしてしまった。 「何か注文しよっか。蓮は何にする?」  僕は早口で言って、横に置いてあるラミネートされたメニューを手に取った。 「アイスコーヒーにしようかな」 「じゃあ俺も」  蓮は自然な仕草で手をあげて店員を呼び、アイスコーヒーを二つ注文した。  一瞬できた沈黙の合間に「ところで、何の用事?」とでも言えたら良かった。だけどそれも無粋な気がして、僕は黙って店内を見渡した。なぜだろう。僕は彼といると、少し格好つけてしまうきらいがあるみたいだ。  店内の向こう側で、スマホゲームをしていた学生のグループがワッと盛り上がった。ゲームが一戦終わったのかもしれない。 「最近さ、結構いい感じだったんだよ」  彼はすぐに話の本題に移らないらしく、自分のバンドの近況報告を始めた。新宿の三百人キャパのライブハウスでのワンマンが即完だったこと。だけど、その日でメンバーが一人抜けてしまったこと。「そうらしいね」と僕は相槌をうつ。どちらもすでに知っていることだった。僕は彼のツイッターも、彼のバンドのツイッターもフォローしているから。抜けたメンバーはベースで、田舎に帰ることになったとか。  蓮がフロントマンのバンド、ノベルコードは、多分今年くる。いや、もうかけていた。デビューもしてないのに、ワンマンは即完。限定CDは売り切れ。昨日久しぶりに彼のフォロワー数を確認したら、七千人もいたから驚いた。  でも、自慢話をしに僕を呼んだわけではないはずだ。蓮はそういうやつじゃない。 「湊は最近どう?」と彼が言ったので、僕も最近のことを話す。古着屋でのバイトのこと、インスタグラムの仕事のこと。僕は自分の話をしながら、彼は僕にインスタグラムでバンドの宣伝をして欲しいのかもしれない、と思った。  ほどなくして店員がアイスコーヒーを二つと、ガムシロップとミルクが入ったお椀型のケースを持ってきた。蓮は両方を一つずつアイスコーヒーに入れて、ストローでかきまぜる。僕がガムシロップを手にとって、アイスコーヒーに注ぎ始めたところで、蓮は言った。  「なぁ湊、俺のバンドに入らないか?」 「うん。……は?」  その言葉があまりに唐突で、僕は右手に持ったガムシロップを傾けたまま固まっていた。三秒くらい言葉を失ってから、僕は確認する。  「……僕が、ノベルコードにってこと?」 「そう。ベース」 「まさか、今日話したかったことってそれ?」 「うん」  どこか照れたような顔で蓮は言った。僕はふと我に返って、空になったガムシロップをテーブルの上に置いた。コツン、と実のない音がした。 「逆に、なんだと思ったの?」 「いや……バンドを宣伝してくれとか、そういうのかと思った」 「そんなこと頼まねーよ。そりゃしてくれたら、それはそれで嬉しいけど。湊、フォロワーめっちゃいるし。確か、五万とかだろ? すげぇよな」  そう。僕のインスタにはフォロワーが五万人いる。でもそれは、そういう仕事だからだ。音楽で成功しかけている、蓮のほうがすごい。 「だけど、何で僕が?」 「一人メンバーが抜けたって言っただろ? それってバンドにとって大変なことなんだよ。そんなに都合よく、気があう仲間なんていないし。ぶっちゃけピンチでさ。だけど、ふと湊のこと思い出して。湊は正確なベース弾くだろ? 一緒にできたら、めちゃくちゃ面白いなって思ったんだよ。ピンチがチャンスになるかもって」  蓮は僕に、熱い夢を語り始めた。バンドがいい状況になってきていること。夢を掴むまでそう遠くないこと。有名になったらかなり稼げるということ。今のメンバーそれぞれが持っている才能など。 「バンドメンバーって運命共同体なんだよ。一人でも欠けると、すぐ次ってわけにいかない。俺、メンバーはみんな同い年が良かったし、なんか尊敬できるところがないと嫌なんだよな。だから、湊がいい」  戸惑いはあった。だけど、誘われたことは素直に嬉しかった。  蓮の歌はすごい。上手いなんてプロになるなら当たり前かもしれないが、彼はプロの世界でも頭一つ飛び抜けているだろう。音域が広くて、女性の歌でも原曲のキーで歌える。大学生の頃から彼は圧倒的だった。ライブハウスで別のバンドを観に来た人も、彼が歌いだすとステージに釘づけになっていた。さらに、このモテそうな顔。頭も切れる。何かのきっかけがあれば、多分このバンドは爆発する。そんなバンドに、今誘われている。 「……ノベルコードはメジャーデビューを目指すの?」 「今の時代、メジャーがいいってわけでもない。でも起爆剤にはなるな。だから、それはこっちのタイミングでする」 「話は来てるってこと?」 「小さなところからは。どうせこれからたくさんくる」  当たり前のように彼は言った。実際そうなんだろう。大人たちも彼の才能を放っておくわけがない。 「……是非一緒にやりたいけど、少しだけ考えさせてほしい」  僕には断る理由がなかった。それでもそんなにあっさり決められないから、この場ではそう言っておくことにした。 「もちろん。俺も本気だから、もし湊に他に夢があるなら諦める。やる気のない人を誘ってもうまくいかないのは知ってるからさ。だから頼んでおいて悪いけど、本気でやってくれる場合だけオッケーしてくれ」  まっすぐな目で僕を見ながら蓮は言った。その瞳は雲一つない空のように透き通っていて、その奥に揺るぎない太陽のような燃える意志の輝きが見えた。  一緒にやるか、やらないか。こんなにわかりやすい人生の分かれ目などあるだろうか?  もしノベルコードが本当に売れて、いつかインタビューでも受けることがあったら「誘われた瞬間からいけると確信してました」なんて言うのだろうか。と、そんな未来を想像してるくらいだ。僕の結論は、すでに決まっているのかもしれない。  蓮はアイスコーヒーを持ち上げてソファに体を預けた。優雅に脚を組んでストローに口をつける。動きの一つ一つが洗練されて見える。人を惹きつけるものが、確かに彼にはあった。 「メンバーの二人も、すげぇいいやつなんだよ。早く会わせたい」  まだ一緒にやるとは言ってないけど、と思いながらも僕は頷いた。  蓮と話すのは心地よかった。自分で何かを起こそうとしてる人とは、やっぱり話があう。蓮もきっと、僕をそうだと認めてくれているから誘ってくれたのだろう。  僕は思い出したように、ストローで自分のアイスコーヒーをかき混ぜた。下に溜まっていた透明なガムシロップが、全体に溶けてアイスコーヒーの一部になった。

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