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 どれほど暗いところでも、目が慣れてくれば薄ぼんやりと辺りが見えてくるものだ。けれども今、小夜子のまわりはいっこうに闇が薄らぐことはない。自分でも目を開いているのか閉じているのかわからなくなってくる。 「ありえないよ、こんなこと」  小夜子は声を出してみた。けれども、ここでは声さえも闇に吸いこまれるように消えていく。手を伸ばして辺りを探ってみようとして、手足を伸ばしてみる。なにも触れない。壁にも床にも。小夜子はまだ落ち続けていた。どこにもぶつからずにずっと落ち続けている。 「ありえないってば」  再び言ってみる。こんな深い穴なんて考えられない。すでに落ちているという感覚すらなくなっている。  お父さんとお母さんはこの穴のことを知っているだろうか。知らなかったら、わたしは見つけてもらえない。  わたしがいなくなってどう思うだろう? 迷子? いや、そんなことはないってわかるはず。わたしは普段から知らない場所にひとりで行ったりしないもん。  じゃあ、家の中か竹やぶにいるって思う? うん、たぶんそう考えるだろう。  でもいないんだ。見つからないんだ。わたしは行方不明ってことにされちゃうんだ。突然煙のように消えちゃったって思われるんだ。  小夜子はふと思った。これは、ありえないことがあったのかもしれないと。 「もしかして、これが神隠し?」  そうつぶやいたとたん、再びあの生ぬるい風が巻き起こった。地の底から吹き上げ、小夜子の体にからみつく。小夜子は息苦しくなり、両手で顔をおおった。自分の手のひらの陰で大きく息を吸いこみ、ゆっくり吐き出す。  やがて風が止まった。小夜子はおそるおそる両手を下ろす。  明るかった。足が地についていた。  まぶしさに細めていた目をゆっくり開いていく。  町――いや、村と呼ぶべきだろう。板張りの粗末な家が並んでいる。昔の農村はこんな風景だったのではないだろうか。しかし、田んぼがあったと思われる場所は、干上がって地面がひび割れている。全てが灰色の景色。なぜだろうと考えて、緑が見あたらないことに気づく。草一本生えていない。 「なに? ここ」  深い深い穴を落ちた先に現れた村。夕方だったはずなのに、ここは真昼だ。しかもあれだけの高さを落ちてかすり傷ひとつない。 「どういうこと?」  小夜子はまゆを寄せ、自分が落ちてきた穴を見上げた。見上げたつもりだった。だが、そこには抜けるような青空があるばかりで、穴などどこにもなかった。 「かーごめ、かーごめ、かーごのなーかのとーりーはー」  わらべうたが聞こえる。小夜子は声を求めて歩き出した。向かい合った長屋の間で七、八人の子供たちが手をつないで輪になっている。 「よーあーけーの、ばーんにー、つーるとかーめがすーべったー」  どの子もつぎはぎだらけの着物を着ている。髪は乾燥してボサボサに乱れ、薄汚れた足にはなにもはいていない。 「うしろのしょうめん、だぁれ」  みんなが輪の中心で目をつむっている子を見つめている。その中でただひとり、かすりの着物を着た男の子が小夜子に気づいた。 「あれ? おまえ、だれ?」  その子の目線を追って、全ての小さな瞳が小夜子に向けられた。 「わたしは……」  そう言いかけて、小夜子は口をつぐんだ。ここがどこだかわからないのに、身元を明かして危険はないのだろうか。でも、だれの助けも借りずに帰ることなどできそうにもない。  小夜子がためらっている間に子供たちはじわじわと近づき、ついには小夜子をぐるりと囲んでしまった。どの子もにこにこと感じのいい笑みを浮かべ、小夜子を見つめている。その笑顔があまりに親しげなので、小夜子はかごめかごめの仲間に入れてもらったような気分になった。けれども、小夜子には「後ろの正面」にいる子の名前などわからない。 「ねえ、どこから来たの?」  一番年上と思われる女の子が優しくたずねた。小夜子よりもふたつみっつ年上に見える。お姉さんらしくそっと小夜子の髪をなでる。 「あたしは芙蓉ふよう。あんたは?」  小夜子はこの人になら答えてもよさそうだと判断した。 「わたしは、さよ……」  小夜子が名前を言いかけた時、芙蓉はパッと小夜子の頭から手を離した。まるでうっかり熱いものに触れてしまったように。そして、じりじりと後ずさりしていく。 「……あ、あんた……」  さっきまでの落ち着きのある優しさは消え、驚きと戸惑いに目を見開いている。  小夜子にはわけがわからない。わからないのは小夜子だけではないらしく、ほかの子供たちも不思議そうに芙蓉と小夜子を見比べている。  黙りこんだ子供たちと小夜子の間を一陣の風が吹きぬけ、砂ぼこりが舞い上がった。子供たちのパサパサの髪が風に乱れる。 「……あっ!」  小夜子は両手で口元を覆った。  子供たちの頭には、白い突起物があった。人にはないもの。小夜子はそれの名を口にした。 「角……」  小夜子の言葉に、子供たちは自分の頭に手をやった。小さな手が、三センチ足らずの角に触れている。子供たちは「角がどうしたのだろう」とつぶやきつつ不思議そうに顔を見合わせている。芙蓉は神妙な顔で再び小夜子に近寄った。 「……あんた、角が生えていないわね」  途端に、子供たちがざわめく。 「――碧落へきらく」  芙蓉はひとりの男の子に声をかけた。最初に小夜子に気づいたかすりの着物の子だ。 「だれか大人を呼んできて」  碧落はすぐに走り去っていった。残った子供たちは遠巻きに小夜子を囲み、あからさまにじろじろ見ている。今すぐ立ち去りたいが、こうぐるりと囲まれてしまっては逃げようがない。  とんでもないところに迷いこんでしまったのかもしれない。いや、でも、これが現実のできごとであるはずがない。ヤギやシカではあるまいし、人に角が生えているわけがない。昔話に出てくる鬼くらいのものだ。小夜子の思い描く鬼とは、いかつい顔をし、体が大きく筋肉隆々で、動物の毛皮を腰に巻いている。ここの大人たちは、そういう鬼の姿をしているのだろうか。  しかし、やってきたのは赤鬼でも青鬼でもなく、どこにでもいる普通のおじさんとおばさんだった。もちろん、頭から突き出た角を除けば、ということだが。  碧落がおばさんと手をつないでいるところを見ると、彼の両親なのかもしれない。 「芙蓉、この子か? 角がないというのは」 「うん」  おじさんが子供たちの壁を割って輪の内側に入ってきた。十センチはあろうかという太く長い角が生えている。乳白色をした子供たちの角とはちがい、わずかに茶色を帯びてつやもない。  小夜子が角を見上げていると、おじさんは両手でガシッと小夜子の頭をつかんだ。 「ちょっ、ちょっと! なにすんのよ!」  小夜子が必死にもがいても、おじさんはびくともしない。 「離してよ!」 「じっとしてろ」  低く恐ろしい声だった。小夜子は抵抗してもむだだと思い、諦めておとなしく頭を見せた。おじさんはじっくり小夜子の頭を調べた。何ヶ所も髪の分け目を変えて見る様は、まるで猿の毛づくろいのようだ。  おじさんはようやく手を離すと、「うーむ」とうなった。小夜子は上目づかいにおじさんを見上げた。この人たちの姿は少しばかり変わっているが、今のところ小夜子に危害を加える様子はない。かといって、味方というわけでもなさそうだ。とりあえず逆らわずにいよう。 「おそらく間違いないだろう」  おじさんが言うと、子供たちの顔がパッと明るくなった。拝むように両手の指を組んで小夜子を見つめる子までいる。 「え? え? な、なに?」  小夜子はパチパチまばたきをしながら、子供たちを見回した。 「なによ? どういうこと? 間違いないってなんのこと?」  みんな小夜子の問いに答えるどころか、ひれ伏す子まで現れた。おじさんとおばさんは、溢れんばかりの涙を浮かべ、満足そうにうなずき合っている。  小夜子ひとりがこの状況を理解できずにいた。 「あの……」  小夜子がおじさんに声をかけると、おじさんは溺れかけていた感動の渦から抜け出してきた。 「おお、そうだ。早く笹の庵に連れていかなくては。おい、碧落。おまえ、急いでかんなぎに知らせてこい。今から異形なる者をお連れしますとな」 「うん。急いで行ってくるよ」  言うが早いか、碧落は背を向けて走り出した。 「父さん」  芙蓉が進み出た。  そうか、芙蓉と碧落は姉弟なのか。小夜子はなぜ芙蓉が大勢の子供の中から使い走りに碧落を指名したのかがわかった。  芙蓉は父親の前に立つと、小夜子を見やって言った。 「あたしが笹の庵まで案内するわ」 「そうか。じゃあ、すぐにでも行ってくれ。おれは村の者に知らせてこよう」  そして、おじさんは子供たちの方に向き直ると、追い払うしぐさをした。 「ほら、おまえらも散った、散った」  子供たちは順番に小夜子の前に来ては手を合わせ、去っていった。最後におじさんとおばさんがいなくなると、小夜子と芙蓉だけが残された。芙蓉は小夜子の肩をポンッと叩いた。 「さ、行くわよ」 「い、行くって、どこへ? わたし、だれかとまちがえられているんじゃ……」  芙蓉はくすりと笑った。笑うと妙に幼く見えた。 「説明は歩きながらするわ。少しでも早く行きたいから。あたしたちはずっとこの時を待っていたんだもん」

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