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「小夜子どの」 「小夜子ちゃん」  神楽とタエが小夜子を支えた。 「……あれ?」  小夜子は石橋を渡りきっていた。振り向くと、あの石橋はなにごともなかったかのようにそこにあった。 「わたし、岩隠れの谷に落ちて……」 「なに言ってるのよ」  タエは安心して目をうるませている。 「小夜子ちゃんは渡りきったのよ。わたしたち、ずっと見てたもの。ね、神楽」 「はい。こちらで見守っておりました」  ふたりには小夜子が岩隠れの谷に落ちなかったことになっているらしい。  あれは、錯覚だったのだろうか。たしかに神楽の呼ぶ声を聞いたというのに。餓鬼の骨ばった手でつかまれた感触が、こんなにも生々しく残っているというのに。 「少し休みましょう」  神楽はみんなに水筒を回した。 『ま、助かってよかったな』  例の声が頭に響いた。小夜子はハッとした。 『管狐ね。やっぱりわたしは落ちたのよね?』 『覚えてないのかよ』 『覚えてるに決まってるでしょ。ただ、神楽とタエちゃんにはそう見えなかったみたいだし、石橋だって割れずに残ってるし』 『小夜子の見たものを、みんなが同じように見るとは限らないさ』  管狐はなんでもないことのように言った。 『じゃあ、そろそろタエのところに戻るよ』 『ま、待って。ひとつだけ教えて。もし、わたしが具楽須古の種を持っていたら、餓鬼に取られてた?』  ケケッと管狐は笑った。 『取られないさ。具楽須古の種は、他人から奪ったりもらったりするものじゃない。あの谷底から上がってくる意思がない限り、あいつらは手に入れられないよ』 『ふぅん。詳しいのね』 『おれも昔はふたつの世界をもっと行き来してたからな』  小夜子は驚いた。 『あんた、なん年生きてるのよ?』 『さあな。背中の書物の時代くらいなら知ってるぜ』  と言い残し、管狐は素早くタエの竹筒に収まった。かすかな重みを感じたタエが、竹筒をトントンと叩くと、管狐は顔を出した。 「お帰り。どこ行ってたの? 心配したのよ」  管狐がタエになにか答えたのかどうか、小夜子にはわからなかった。  谷の反対側と変わらない天然の回廊を下っていく。日は傾き始めて足元には影がせまっていたし、道幅はせまかったが、あの石橋を渡った後なので、もうこのくらいでは恐怖は感じなかった。  岩根峡を越えたころには、あたりはすっかり闇に包まれていた。一行は前夜と同じくごぼう……ではなく、芋を焼き、腹を満たすと倒れるように眠りについた。  小夜子は管狐が言っていた「背中の書物」を枕にして寝た。明日は読んでみよう。眠りながらそう思った。

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