心に花を、世界に音を
#23 今まで気づかずにいた。〈安原良太朗〉-2

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 鷹丘のコンクールまで十日余り。その前日の土曜日は絵美ちゃんのファッションショー。いつもは大嫌いな六月だけど、今年は妙にイベント盛りだくさんだ。初っぱなから海も行ったし。  俺はくせっ毛だから、この梅雨という季節が好きになれない。ただでさえボリューミーな頭が余計ボリューミーになって鬱々としてくるからだ。  だから、こんな叩きつけるような雨が降り続く日に、元気な人なんていないと思う。一人ぽつんと学食に座り、ぼんやり人間観察。ほら、みんな元気がない。  あっちの女子は今日の前髪が気に入らないと嘆く。こっちでは男子が雨に濡れた体を豪快にタオルで拭いている。こんな雨の日に、笑っていられる人なんて――いた。  目が合ってしまった。叩きつけるように聞こえた雨が、一瞬、やんだような気がした。  友達に向けていた笑顔を引き締めて、困り顔で俺に視線を返してくる。杏奈ちゃんは今日も、お団子頭だ。 「あれ、杏奈、知り合い?」 「あー……中学の同級生」 「うちら席、取っとくから、ちょっと話してきたら?」 「そうだよー。杏奈のラーメン頼んどくし!」 「いや、ちょっと――」  杏奈ちゃんの声を無視して去っていく女子二人。たぶん杏奈ちゃんの友達だろう。  友達に置いて行かれた杏奈ちゃんが、あらためて俺を振り返る。やっぱり困り顔だ。なら、せめて俺が笑わないと。  笑顔で手を振ったら、杏奈ちゃんはまた少し困って。そうして、ようやく笑ってくれた。 「さっきの、友達?」  おずおずと近づいてきた杏奈ちゃんに、いつも通りを意識して話しかける。俺のことは見ずに、ちょこんと向かいに座る杏奈ちゃん。 「うん。年下だけどね、二人ともいい子だよ」 「そっか。それにしても雨、すごいね」 「うん、すごいね」  沈黙。まだ気にしているんだろうか。本当に、言ってくれてよかったって思ってるのに。 「この前、余計なこと言ってごめんね。絵美と別れたの、あたしのせいだよね」  ――やっぱり。違うのに。 「ううん、むしろ感謝してるよ。杏奈ちゃんのおかげで暴走しなくて済んだから」 「暴走?」 「いや、その……今は気まずいけど、そのうち友達に戻れると思うし」  焦って水を飲む。いま完全に余計なこと言いかけた。伏し目がちな杏奈ちゃんと目が合うきっかけにはなったけど、わざわざ言う必要はない。 「あ、絵美ちゃんといえば」  名波に嘘――というと大げさだけど、勘違いさせたことを話す。他人行儀だった杏奈ちゃんが、だんだん怒り顔になる。何で? 「それもう使っちゃったの!? あたしのアイディアなのに!」 「いやいや、俺の案でしょ」 「まったく、世話が焼けるよね。とっととくっついちゃえばいいのに! ……あ、ごめん」  怒ったり謝ったり、杏奈ちゃんは忙しい。なんだか少し笑えてくる。いつもの杏奈ちゃんに戻ったみたいで、嬉しくて笑えてくる。 「何で謝るの。いいよ、もう終わったことなんだし」  ふっと、柔らかく微笑む杏奈ちゃん。いつもの元気な笑顔とは違う。大人びた表情に、思わず目を見張ってしまう。 「またいい人、現れるよ。……あたしとか」  聞き間違いだろうか。だって杏奈ちゃんは鷹丘が好きなはずだ。聞き返しても、いいかな。 「え?」 「あ――ふふ、冗談だよ」  なんだ冗談か。とは、思わなかった。思えなかった。俺はそこまで鈍くないし、杏奈ちゃんも、そんなに器用じゃないと思う。 「あたし、そろそろ行くね! 友達、待たせてるし」  引き留める間もなく、立ち上がった杏奈ちゃんが俺に背を向け小走り。かと思えば立ち止まり、振り向いて俺を見た。 ――大丈夫!――  離れているからだろうか。手話で話しかけてくる。ガヤガヤ騒がしい学食で、杏奈ちゃんの言葉がまっすぐ、俺に向かってくる。 ――良太朗は、自分で思ってる以上に、かっこいいよ!――  満面の笑みが眩しい、そう思った。杏奈ちゃんはやっぱり、太陽みたいだ。ぶんぶん手を振って友達のもとへ向かう、杏奈ちゃんの後ろ姿を目で追う。  かっこいい、なんて。初めて言われたかも。  こんな雨の日には、どんなに嬉しいことだって価値が半分に下がってしまう。逆に嫌なことは二倍になるという、最悪なシステムだ。  でも今、さっきまで俺の心をふさいでいた鬱々としたものが、少しずつ消えていくのがわかる。晴れていく、心が。  この気持ちが何なのかわかる。俺は知っている。何度も感じたから。だけど今は、心の中に包み込んで。大切に育てよう、そう思った。

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